最強騎士は夢を見る
蝶がやって来る。
虚空をさ迷う蝶は、
ゆらりゆらりと舞うように遅く、
しかし明確な意思を持って私に迫る。
蝶がやって来る。
蝶が甲冑の上にとまる。
撫でるように、休むように、餌に群がるように。
それは害意を持って私の命を削る。
蝶がやって来る。
その蝶を切り捨てるが、虚空に同じ紋様の蝶が現れる。
そして、私に迫り、とまり、削る。
害意を持つ蝶は、私にとって未知なる存在だった。
蝶がやって来る。
初めは一匹の蝶だったが、次第にその数を増していった。
一匹、二匹、十匹、百匹、千匹。
蝶は笑い声をあげ、歓喜する。
蝶がやって来る。
一匹の蝶では痛痒にすらならないものも、千匹を越えれば痛みに変わる。
その貪り食われていくような感触に、私は必死に剣を振るう。
そんな私の惨めな姿に反応するかのように蝶が群がってくる。
蝶がやって来る。
私は初めて未知に対して恐怖した。
最強と名高いガーディアンである自分を追い詰める未知に。
理由の分からない痛みを与えられる未知に。
蝶がやって来る。
知らなければならない。
知らなければならない。
知らなければならない。
蝶がやって来る。
蝶はついに私の命の削り取った。
息絶える寸前、最期に私は理解した。
蝶だと思っていたものは、■■■の手だったのだ。
※※※※※※※※※※
私は寝惚け眼を擦りながら、朝の食事の支度を整えるべく台所に立つ。自分の黒髪が料理に落ちないように紐で縛ると、台所の通気孔として設けられた窓の景色を眺める。
夜明けには程遠い未明の景色、ほど寒い夜の冷気が頬を撫でる。
昨夜から眠れていない。暖かい毛布の中で目を瞑り、微睡む度にあの蝶の夢を見て、ベッドから飛び起き、飛び跳ねる心臓を何とか抑え込みながら頬をつねり自分が生きていることを確認する。それを5回も繰り返せば眠る気力も失せ、こうやって朝食の仕込みに勤しむのも自明の理というやつだ。
「……それにしても眠い」
ガーディアンは早朝から仕事が始まるといえどもだ、不眠で仕事に望んだことは今まで一度足りとてない。重い瞼を押し上げながら警邏や警備の仕事が行えるかと若干不安はある。
底が深い鍋をフックに引っ掛ければ、魔法の石炉に火が灯る。魔法の火がパチパチと音を立つのをしばらく待ち、鍋の中に手を入れ底がじんわりと熱気を纏ったことを確認すれば、いよいよ調理の開始だ。
新鮮な兎の肉を鍋へ投げ込む!
土が付いた新鮮なニンジンやジャガイモを鍋に投げ込む!
食用水が入ったボトルを鍋に投げ込む!
食器棚から木製の皿を取り出し鍋に投げ込む!
そして、鍋の蓋を閉め、ことこと1分間煮込む!
そして、蓋を開ければ《兎の肉入りスープ》の完成だ!
「……何かおかしい」
鍋から木製の皿に入ったスープを手に取る。いつもの料理手順のはずなのに、何処か私の頭の中で引っかかりを覚える。
スープ作りに失敗したのかと思い、スープの匂いを嗅いでみる。兎肉独特の獣臭さは薄く残っているが、コショウと刻んだ香草の刺激的な香り、ニンジンやタマネギの甘味を含ませたかのような香りは食欲をそそられる。おかしい点はない。
「寝惚けているだけか」
目を擦りながら早々に結論付ける。悪夢の見たせいで神経質になっているのだろう。
鍋から二人前のスープを取り出すと食卓の上に並べ、脇にスプーンを添える。バケットにパンを補充すれば、朝食の準備完了だ。
あとは父上様が起床されるのを待つだけなのだが、夜空を見る限りではあと2時間ほどはお目覚めにはならないだろう。
そうなると───暇になった。何をするでもなくただ待つだけというのも無駄にしている気分で落ち着かない。だが、私に趣味の類いはない。あえて言うのなら料理だがそれも今しがた終わった。
「……思い付くのは1つしかない」
石壁に吊るしていたランタンを掴む。
※※※※※※※※※
『星がよく見える。 夜とは美しいものだな』
白き甲冑に身を包み、村から離れ街道に沿って歩く。王都と私の暮らしているテッド村の間にはアーカナ大森林が広がっている。街道に沿って歩けば自然と木々が目につくのだが、今だけは夜空の美しさを堪能する。
ランタンもいらないほど空が星の光で埋め尽くされ、数えきれない色の星が夜空をキャンバスにして遊んでいる。赤い星を探して星の間に線を引いて絵にしてみれば、まるで父上様の顔シワのように不出来となる。
『こういうのも、たまには良いな』
気を張らず、何も考えず、目的もなく歩き回る。夜空の美しさを堪能するのも、森に住まう動物たちの合唱に耳を傾けるも、今の私は自由なのだ。案外冒険者というものはそういう自由を楽しむ人間の集まりなのかもしれないな。
────────────────
ファイアターボの攻撃、ビッグラビットに32ダメージを与えた。
ビッグラビットを倒した!
────────────────
「これで20羽目、っと!」
ふと冒険者の気配に気が付き、空を眺めていた視線を地に落とす。視線の先、おおよそ100メートル右前方に赤髪の青年冒険者がいた。何やらビッグラビットを相手取っているようだがその数は異様だ。
数えて35羽のビッグラビットに追いかけられており、冒険者は時折突出したものを素手で撃退しては囲まれないように走り逃げている。本来ビッグラビットは、人を集団で襲うような害獣ではない。むしろ、人懐っこいあまりに猟師が生きたまま抱きかかえて持って帰れる程に温厚な動物だ。
それ故に異常な行動を取るビッグラビットに首を傾げる。だが、今は考えている暇はないようだ。
アダマンタイト製の片手剣を抜き、脚に力を込めて大地に踏み込む。100メートルの間合いを一瞬で縮め、ビッグラビットと冒険者の間に割って入る。
「えっ、なっ、ガーディアン!?」
『冒険者よ、助力しよう』
ビッグラビットは目の前に障害が現れたことで困惑している。その隙を見逃さず、剣技を叩き込む!
────────────────
ガーディアンの攻撃!
ガーディアンはスキル『一剣無双』を使用!
攻撃力が下がる代わりに、攻撃対象を単体から前方10メートル範囲化する!
ビッグラビットたちに99999ダメージを与えた。
ビッグラビットたちは死体も残らず四散した。
ファイアターボは戦闘に勝利した。
────────────────
蝶の夢の中でも使用した技を叩き込めば、35羽のビッグラビットは血飛沫となる。脳裏に延々と復活し続ける蝶の姿を思い浮かべるが、ビッグラビットは復活するような兆候を見せることはない。ほっと一息つけいて剣を鞘に収めると、背後を振り向き赤髪の青年冒険者の顔を見る。
『大丈夫か』
災難だったなと言葉を紡ぐ前に、赤髪の青年冒険者が恨めしい目を見て私のことを見ていることに気が付いた。私は何かやってしまったのだろうか?
「ああもう、せっかく素材集めの最中だったのに呼んでもいないのに何でガーディアンが……」
『素材集め?』
「ガーディアンには分からないからいいよ。もう困ってない」
赤髪の青年冒険者は頭を掻きながら溜息を吐くと、散らばっていたビッグラビットの死体の近くで腰をかがめる。そして、腰に吊るしていた小型のナイフを手に取ると勢いよく死体に突き刺す。死体は淡く光ると、肉と皮、そして丸っこい尻尾に解体される。冒険者は尻尾だけを手に取り、腰のポーチに無造作に突っ込むと次の死体の元へと歩み寄る。
「……」
『……』
流れるような動きで、ビッグラビットにナイフを突き刺しては次々に解体していく。その手際に感心しながら私は男の後ろを付いて行く。
「……」
『肉は取らないのか』
「いらない」
『貰っても?』
「どうぞ」
『感謝する』
彼が残した肉を拾い上げ、ガーディアン装備の多機能ベルトに格納する。これで後3日ほどは兎の肉入りスープが作れる。
「……」
『……』
「いや、何で付いて来るの?」
『付いていってはいけないのか?』
「そりゃあまぁ、理由がないと不気味だろ?」
『ふむ』
確かに何も言わずじっと後ろを付いていくのは無礼だった。しかし、理由、理由か。そもそも私は何故この冒険者に付いて行こうと思ったのだろう。
赤髪の青年冒険者の姿を見る。軽装の皮鎧は恐らくラムレザーアーマー、アーカム大平原に住まう羊の皮をなめして作られたものだ。アーカム大平原はアーカム大森林とは真逆の王都を挟んだ西方に存在し、魔王軍が攻め込む最前線に隣接している。そのため、冒険者でも中級ほどの実力がなければ命を容易く落とす。つまり、ラムレザーアーマーを装備できるほどの実力者は中級以上のものであると言え、この赤髪の青年冒険者もそれに該当する。そんな冒険者が何故──。
『何故、こんなところでビッグラビットを狩っているのか気になってな』
「ガーディアンに言ってもなぁ」
『そこを何とか』
「……あー、もしかしてこれイベントか? こんな時間にガーディアンがいるのがそもそもおかしいし」
『イベント?』
乗り気でなかった赤髪の青年冒険者が、一転してにこやかな笑みを浮かべる。イベントというのがよく分からないが話を聞いてくれるのならありがたい。
「俺がここで兎を乱獲してるのは、金儲けのためさ」
『金儲け』
意外な言葉が出てきた。
「そうさ、金儲け。 ビッグラビットが落とす尻尾は、初級クエストのビッグラビット討伐クリアに3つ必要になる」
『なるほど、そのクエストの報酬目当てに集めていると』
「いいや、クエストは受けない。 どうしてか分かる?」
にやりと赤髪の青年冒険者が悪戯っぽく笑った。クエストを受注せずにどうやって金儲けをしようと言うのか。頭を巡らせ考えてみるが分からず、冒険者に手を上げて降参ということを態度で示す。
「ははっ、まあ、AIには分からないか。
答えは単純、この尻尾をクリアしたい他の冒険者に売るのさ。
クエスト報酬が500EGだから、単価で200から300ほどでな」
合点がいった。つまり、兎の尻尾をクエスト達成のアイテムではなく、1個約167EGの商品と解釈して需要の分だけ値をつり上げる。売れなくなっても自分がクエストクリアに使えば、在庫は存在しないに等しい。確かにこれほど優良な商品はないだろう。
『しかし、売る方もそうだが買う方もどうなのだ?』
「まあ、世の中面倒くさがりが多いし、売るのだってあんまり良い目で見られない。夜遅くに狩ってるのもそういった悪い風評を回避するためだし」
そう言いながら、赤髪の青年冒険者はナイフをビッグラビットの死体に突き刺す。
「だけど、俺は武器や防具を買い揃えて、新しい冒険をしたいんだ。アーカナ大平原を越えた先には強い相手もいるけど、何より景色がいいっぽいし未知を探索する好奇心が疼く!」
『……景色がいいのか』
「ああ、ここの夜空よりも綺麗な場所があるらしい」
赤髪の青年冒険者が上を指差す。一番綺麗だと思っていた夜空よりも綺麗な場所、それは想像もつかないほどに美しいのだろう。
旅に興じ綺麗な景色を見て回る自分の姿を夢想する。きっと、この夜空にも負けない彩りに溢れ、多くの人たちと出会いがあるのだろう。困っている人がいるのなら助け、旅仲間と出会えば情報を共有喜びを分かち合い、盗賊に出会ったら剣の錆にする。そう、まるで冒険者のように自由で……。
しかし、己の白き甲冑を見て我に帰る。
『ガーディアンでは到底叶わぬ夢だな』
自嘲するように呟く。私はガーディアンだ、アーカナ大森林区域を管轄し守る者。ここの守りを放っておいて西方に行くことなど出来はしない。何より魔王軍が攻め込んでいる現状でそのような楽しみは戒めなければならない。私は夢を振り払い、現実に戻る。
『興味深い話が聞けた、感謝する』
「いやいや、俺も又聞きの話だからさ」
『それでも感謝したい、貴殿の名は?』
「俺はファイアターボだ、気軽に ファイとでも呼んでくれ」
『ファイ、その名を覚えておこう。 私はサーティン、また出会う機会もあるだろう』
東の空が白み始める。私に許された自由時間もここまでだ。別れの挨拶を交わせば、ファイは兎の解体に戻り、私はテッド村にある自宅へと戻る。
昨夜は悪夢を見たが、そのおかげで良い夢も見ることが出来た。
今日の出来事を胸に、私はガーディアンとして働き続けよう。
私には私のやる事が、彼には彼のやる事があるのだから。
※※※※※※※※※
某SNSサイト
熱血さすらう冒険者@エデオンβ勢 10分前
今日未明ほど、兎狩りで金策してたらガーディアンに会った!
夜に出会うなんて滅多にないし、あれは何かのイベントに違いない!
>返信
天変地異@夫婦でエデオン勢 0分前
嘘お疲れさん、って言いたいがエデオンは割りと隠しイベントが多いのは事実
俺も教会で寝てたらガーディアンに叩き起こされて、説教食らったわ
後でまとめサイトに詳細を書けたら書いてくれ