最強騎士の休息と裏切り
蝶がやって来る夢を見た。
私の身体を絶え間なく削る蝶の夢。
そこに、存在するはずのない者がいた。
殲滅者のソラモンが立ち、私をせせら笑う。
蝶が群がり、白い雷と球形の炎が身を焦がし尽くす。
痛み。痛み。痛み。
痛い。痛い。痛い。
そうだ、私はあの時に痛みというものを理解して───
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「はっ!?」
「ひゃっ!?」
夢の中の痛みに飛び起きると、目の前には紫髪の大男シデンの姿が目に入る。
シデンは驚き竦みながらもどこか嬉しそうな表情をこぼす。
「よかったぁ、サテンさん。 無事に目覚めてくれて」
「……ここは?」
上体を起こして辺りを見渡せば素朴な一室のベッドの上、シデンの手には薬品のようなものが握られている。
どうやら、私の看病をしていてくれたようだった。
「ここはテッド村の宿屋です。 海岸の洞窟前で倒れていたところを私とストーラが見つけたんですよ」
あの戦闘の後、洞窟を脱出した時に気絶してしまったらしい。
冒険者に醜態を晒すなど元守護者として何たる不覚か。
「すまない、助かった。 そうだ、私と一緒に老人はいなかったか?」
「……は……はい、いらっしゃいましたが、今はサテンさんと同じく寝て……いらっしゃっています」
言葉を詰まらせ、シデンは悲しそうな表情を浮かべる。
それほどまでに重体だということだろうか。治療魔法が使える者の心当たりは一人いるが……。
「と、とりあえず、サテンさんもしばらくお休みしててください」
「いや、すぐに出よう。 老人の様態の方が大事だ」
ベッドの端に手をかけ、立ち上がろうと力を込める。
しかし、腕は意思に反して支えとしての役割を果たすことなく、あっけにとられた私は木製の床に突っ伏す形となる。
「っ、一体何が?」
「あわわ、大丈夫ですか!? サテンさん!」
あわてて駆け寄るシデンに手を貸してもらい、なんとかベッドに腰をかける。
一通り自分の肉体を動かす。腕を持ち上げ、手首を曲げ、指を曲げ、足に力を込める。
そして、自分の状態をようやく理解する。
「腕と足に力が入らない」
「……そうですか。 やっぱり何かしらの神経にダメージが入っているのでしょうね」
シデンが私の腕を取り、その大きくゴツゴツとした石のような手で腕の筋肉に圧力を加える。
触られているという感覚が薄いが、力強い圧迫感により徐々に感覚が戻っているように思えた。
「どうですか?」
「くすぐったい、とも感じないが按摩されるのは心地よく感じる」
「それなら時間が経てば戻る、のかな? 素人判断ですけど」
「……そうか」
先の戦闘、ソラモンとの戦いは私にとっても未知数なものだった。
命を削り取るのではなく、まるで肉体と精神を削り取るかのような痛覚刺激の嵐。
殲滅者という存在が魔王の切り札とするのならば、それは王の切り札たる守護者に匹敵する脅威である。
ソラモンに勝てたのも、市民を守るという王命があってこそだ。
王命は破ってはならない。王命は絶対である。王命は守護者としての使命にして宿命である。
元守護者であろうとその命令に抗わずに行動すれば、私の身体が動かなかろうと勝手に動き、私の精神が萎えていようとも勝手に高ぶってくれる。
限定的な鼓舞魔法のようなものであり、次に殲滅者と対峙した時に王命に該当する事柄が起きるかどうかは定かではない。
「……私達の方でも実はコボルトの集団による奇襲があったんです。そこでストーラが私を庇って矢傷を受けたんですが、実際に撃たれたかのような痛みが走ったとおっしゃっていました」
「実際に撃たれた……」
「VRATDの痛覚遮断を外すのは違法なんです。 いえ、そもそも出来ないはずなのにどうして……」
「ブイアールエーティディー、痛覚遮断を外す……」
「あ、すみません、私ったらつい考え事を。 コホン、端的に言えば急激な痛覚刺激でサテンさんの身体がビックリしちゃってるのだと思います。 だから、今は安静にして身体を休めようということです」
「なるほど、理解した」
冒険者は時折おかしな事を言うので慣れてはいる。
分からないものは一旦思考の端にでも置いておきつつ、今はやるべき事をやろう。
「シデン、ひとまず情報を共有したい。 あの洞窟で何が起こったのかを」
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『殲滅者が!? そ、それは重要な情報です! シデンに伝えてきますね!』
シデンがそういって立ち去ってから数分後、私はベッドの上で言う事を聞かない四肢を投げだして目を瞑っていた。
やる事もなく、これが今できる事であると自分に言い聞かせるが……。
「なんて無様だ」
どうしても守護者として、自らの力の無さを気にしてしまう。
守護者の名を頂いておきながら、このような体たらくでは仲間たちに顔向けができない。
もし仮に、あの場で動けるのが別の守護者であったならば。
王宮魔法師長ワン様であったのならこの事態を魔法の一つや二つで片付けるだろう。
聖女ツーであったのならば、遍く全ての神々を説得して魔物たちに神罰を与えるだろう。
……トゥエルブであったのならば、認めたくはないが彼奴の盗賊としての技量で魔王城に潜入して暗殺というのもできるだろう。
私は……私はただの処刑人だ。
守護者になれたのも処刑直前で脱獄したトゥエルブを聖女ツーと共に捕らえたというだけであり、自分の不始末を片付けただけだ。
確かに剣術には自信はあるが、他の守護者でも同じくらいの技量の者は数多くいる。
突出した力など、私にはあの忌むべき力しか───
「やぁ、お姉さん。 こんばんは」
───思考を中断するように、少年が私に声をかけてくる。
声がする方に顔を向ければ、つい先刻にあったばかりの鍛冶屋のサタンが笑みを浮かべながら私の顔を覗き込むような形でこちら見ていた。
「サタンか。 いつからそこに?」
「ほんのちょっと前からですよ、お姉さん。 どうですか、具合は?」
「見ての通りだ。 四肢が動かないくらいで、その他は健康そのものだ」
肩を使ってだらりと垂れ下がった腕を見せつけると、サタンはより一層笑みを浮かべる。
「それはそれは大健闘されたようで何よりです」
サタンが顔を私の耳元まで寄せる。急な接近に眉をひそめていると、サタンの言葉が続く。
「僕の言葉に、首を縦に振るか、横に振るかで反応していただけますか?」
奇妙な問いと思いつつも、私は首肯する。サタンは満足げに頷き、そのまま続けて。
「実は、僕も殲滅者なんですよ。 守護者さん」
とてもとても小さな声でそう告げた。
聞き間違いなのではないかと耳を疑ったが、サタンから漏れる殺意と悪戯心を現した少年のような瞳に事実であると確信する。
まさか体が万全ではない状態で二匹目の殲滅者と出会う羽目になるとは……。
私はサタンの真意を測りかね、彼の目をじっと見つめる。
「安心してください。今はどうもこうもいたしませんから。 ただ、僕の周囲は魔王によって随時記録されています。音声データとして残らないような最小音量で話しますが、あなたは迂闊に言葉を口にしないようにしてください」
首肯する。否、首肯するしかない。四肢が麻痺している以上、主導権はあちらにある。
私の答えに満足げな表情を浮かべる少年の表情は、明らかに年不相応な大人びた顔、まるでデーモンのようなあくどい表情だった。
「あなたが守護者であるということ、それを誰にも話さずにいてくれませんか?」
意図が図りかねた私は首を傾げる。 元よりあまりみだらに明かすべきではないと思ってはいる。だが、それを殲滅者から提案してくることが不思議でならない。
そんな疑問を払しょくするような答えが耳元でささやかれる。
「僕は魔王を裏切りたいんです」




