外星人がいる日常
一章『恐怖のハコ星人、現る!』
僕がアパートに戻ると、部屋の中央にダンボール箱が置かれていた。
大家さんが留守のうちに荷物を入れておいてくれたのだろうか? もしそうだとしても、勝手に部屋の中に入ったりはしないはずだけど――。
そんなことを考えながらドアを閉め、僕は通学用バッグを机の上に乗せた。ダンボール箱の大きさはこの部屋に越してきたときに使った中サイズと同じだ。側面には『長州みかん』の文字。加えてずんぐりとしたシュールなキャラクターが、間抜けなポーズを決めている。
いったい誰が、こんなにも大量のミカンを送ってきたのだろう? 僕はもう何年も前から両親とは疎遠だし、親戚付き合いなどというものも皆無だ。何かを送ってくれるような大人に、心当たりはない。
カサカサカサ……
確認しようと近づいた瞬間、ミカン頭のキャラクターと目が合った。思わず足を止めて、目を擦る。おそらく気のせいだろうが、ダンボール箱が動いたような気がした。最近は色々と気を煩わされることが多い。この土日はゆっくり休もう。
カサカサカサ……
カーペットを踏み進む足が、再び止まった。見紛うことなき旋回運動で振り返り、“それ”は帰宅した僕の方へと身体を向けた。
ダンボール箱の目線部分は切り抜かれており、そこからキャンディー型の無感動な瞳がじっと僕の顔を見上げている。――まるで安部公房の『箱男』だ。その穴の斜め下には左右に凵型の切り目が入っており、よく見ると箱の上面にはタブレット端末とロボットアームが取り付けられている。その本格的な装備から察するに、これが子どもの悪戯の範疇を越えたものであることは明らかだった。
「何だ、【外星人】か……」
驚いた犬みたいにしばし固まったのち、僕は小さく嘆息した。
『何だとは何だ』
すぐさまタブレット端末が不満の機械音声と共に文字を表示させる。対外星翻訳機だ。僕は【外星人】の知識に暗いので種族の特定まではできないが、おそらくこのダンボール箱星人には発声器官が備わっていないのだろう。何らかの言語を発する種族の【外星人】は、同時通訳可能なタイプの翻訳機で地球人と会話することがほとんどだ。わざわざ思考音声を端末越しに言語表記なんてしない。
「どうでもいいんだけど、ここは個人の居住スペースだよ。観光なら他に行ってもらえないかな? ほら、トキワ公園なんて今は桜が満開で見頃だよ」
『観光だと、馬鹿にしているのか貴様(怒)』
柔和に微笑みかける僕を、謎のダンボール箱星人が睨みつける。
――何か気に障ることでも言ったかな?
――(怒)とか表示されちゃってるし……
「え、えーと、それならどうして地球に来たの? 観光じゃないのなら、いったい何が目的なの?」
『そんなことは、見ればわかるだろう』
「へ?」
『ちょっと地球を守りに来た』
そう答えると、その【外星人】は凵型の切り目から小さな手を押し出して、ダンボール箱の正面を親指でグイ。そこには拙い字で『地球防衛隊極東支部』と書かれていた。うん、この時点で無理そうだ。もはやついていけそうにない。
「えーと、キミは……」
『自分のことはキャップと呼べ。あと、上官には敬語を使うのが礼儀だ』
「そ、そうですか。すいません」
短い眉を思い切り尖らせるダンボール箱星人に、僕は微苦笑を浮かべて謝る。
――いったい何なんだろうこの人は……
――もしかして、どこかの星の軍人さんか何かなのかな?
長い睫毛に縁取られたグラスグリーンの大きな瞳。ラテックスの作り物みたいにすべすべした透明感のある白い肌。小さくて可愛らしいおでこにはプラチナホワイトの前髪が垂れている。
覗き穴から見ても容姿の全体像は把握できないが、見た目もサイズも極めて地球人に近い。それも幼稚園児から小学生低学年ぐらいの幼子だ。しかしだからといって軽視してはいけない。【外星人】はその種族によって生態もさまざまなので見た目なんてアテにはならないし、年齢そのものに対する概念も地球人とは大きく異なる。相手がどんな立場の【外星人】であるかわからない以上、ここは適当に合わせておくのが無難だろう。
――それにしても、地球を守りに来た……ね。
僕はブレザーのポケットから拾い上げたケータイを起動。最新ニュースをチェックして、笑顔のまま嘆息する。当然のことながらこの星を脅かすような事故や事件は起こっていない。もし仮に『巨大隕石が地球に衝突か』――なんて事案が発生していたとしても、第一級看守惑星である地球は銀河同盟の観察下に置かれている。そんな問題はとっくに内宇宙に滞在している【外星人】たちの手によって解決されているはずだ。
ちなみにこの『内宇宙』という言葉の意味は、ファースト・コンタクト前に使われていた精神世界などという哲学的な意味ではない。地球人が認識している宇宙の外にはさらに別の宇宙が存在していて、例えるなら巨大なシャボン玉の中に数多くの宇宙というシャボン玉が浮かんでいるような状態だ。その事実が発覚してからは、地球を含めた太陽系銀河が存在する宇宙を内宇宙。膜の向こうに広がる宇宙を外宇宙と呼んでいる。僕たち地球人が認識している四次元空間を内宇宙、さらに高次元の時空であるバルクを外宇宙――というブレーン宇宙論に照らし合わせて考えるのが一番わかりやすいだろうか。
宇宙は当時の地球人たちが想像していたよりも遥かに茫漠で、超高度なテクノロジーを有する【外星人】たちでさえ地球の存在を探知するのはそれなりに大変だったそうだ。と言っても、それが『超高度な文明を持つ宇宙人がこの宇宙にいるのなら、とっくに地球人と接触しているはずだ』などというフェルミのパラドクスの理由ではない。彼らは四十億年以上も前にはすでに地球に有機生命体が存在していることを把握していたし、密かに調査や研究も行っていた。にもかかわらず彼ら【外星人】が僕たち地球人の前に姿を現さなかったのは、つい十年前まで地球がまだ看守惑星ではなく不可侵惑星にカテゴライズされていたからだ。
――まあ、ただの観光客なら放っておいてもすぐにいなくなるかな。
――こんな安アパート、見てもつまらないだろうしね。
一向に部屋から出て行く気配のないダンボール箱を一瞥し、僕はとりあえずお茶でも出しておもてなしをすることにした。いくら地球連邦と銀河同盟との条約で【外星人】の観光権が保証されているとはいえ、ここは個人の居住スペースだ。市役所にでも電話をすれば他所へ行ってもらうなり保護してもらうなりの対応をしてくれるのだろうが、職員もこの手の問題には猫の手も借りたい心境だろう。何より事情を説明するのが面倒だし、厄介ごとになるのもごめんだ。ここは額面どおりお茶を濁して適当に帰っていただくのが得策である。
僕は制服のブレザーをハンガーにかけ、冷蔵庫を開けた。
「キャップ、お茶菓子はウイロウでいいですか? 小豆と抹茶と……あと、栗が入ってるやつがありますけど」
『うむ。なら栗が入ってるやつにしろ(喜)』
冷蔵扉に手をかけたまま視線を向けると、キャップは壁に立てかけておいた折り畳みテーブルを準備しながら揚々とした機械音声を吐き出す。その様子から察するに、どうやら消化器を持ち地球の食品も食べることができる種族の【外星人】であるらしい。加えてウイロウは京都や名古屋、山口など特定の地域でしか作られていない羊羹のような食べ物だ。先ほどの僕の質問に対し疑義なく容易に答えたところを見ると、地球の――、しかも日本の文化にかなり精通した個体であることは間違いない。
――観光客ではなくて留学生なのか? いや、企業の就労体験者という可能性もある。
――徹頭徹尾、居丈高な軍人口調を崩さないところを見ると、
――あるいはそういう種類の仕事をしている【外星人】という線も捨てきれないかな。
その言動から細かな人物像を分析しつつ、僕はトレーに乗せたウイロウと緑茶をテーブルの上に並べる。キャップはダンボール箱正面の口に位置する部分をパカっと開くと、その二つをむんずと掴んだ。
しばし部屋の中を「もちゃもちゃ」という咀嚼音と、「ずずず」と湯飲みを啜る音が響く。
……沈黙。
過去に【外星人】の観光客が民家に闖入するという事件に関わったことがあるのだが、そのときはお茶を出して適当に世間話をしてあげれば満足して帰っていった。地球式のおもてなしを希求している【外星人】観光客は意外と多く、彼らは現地住民と交流を深めることに旅の重きを置いている。だから今回も同じ対応で問題ないだろうと高を括っていたのだが、そもそもどうやって交流を深めればいいのだろうか? 自分のことを『地球を守りに来た地球防衛隊のキャップだ』なんて嘯く彼と、まともに会話が成立するとは考え難い。
――さて、どうしよう? 何でもいいから、早く出て行ってくれないかな。
――いや、ここはむしろ僕の方が出て行くべきなのか?
――話し相手がいなくなれば、退屈で帰ってくれるかもしれないし……
ウイロウと緑茶を腹に納めた後も一向に出ていく気配のないダンボール箱を見つめながら、そんなことを考えている――と、ブレザーのポケットの中でケータイが悲鳴を上げた。僕は渡りに船とばかりに立ち上がって拾い上げる。着信はよく知る人物からだった。
『大変だよ、ヤシロ君! 大変、大変!』
受話口の向こうから、焦りきった少女の声が飛び出してきた。いつものように、大変さんが厄介事を運んできたのだ。僕は辟易としながらも、今のこの面倒な状況とを秤にかける。よくわからない謎の【外星人】と部屋で二人きりで過ごす苦痛に比べれば、大変さんの厄介事に巻き込まれている方がいくらかはマシなのかもしれない。
煩くて一旦は離した受話口に耳をあてる。
「いったいどうしたのさ大変さん。また厄介事でも舞い込んできたのかい?」
『そっ、そんな暢気なこと言ってる場合じゃないよ、ヤシロ君! 今回はそれどころじゃないんだよ! 激ヤバなんだよぅ!』
「激ヤバって――」
『首吊り死体だよぅ!』
「え?」
瞬間、全身の血が冷たくなっていくのを感じた。
大変さんは数瞬の間を空けた後で、悲鳴のような声を絞り出した。
『藤山の一本桜に、首吊り死体がぶら下がっているんだよぅ!』
†
【外星人】とのファースト・コンタクトは今から十年前の夏の日だった。人類初の軌道エレベータ建造計画が現実のものとなり、地球軌道上に宇宙ステーションが設置された日に、彼らは宇宙の深淵の彼方から何の予告もなしにやって来た。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
大きいもの、小さいもの。丸いもの、四角いもの。機械的なもの、生物的なもの。
多種多様な宇宙船がまるでイナゴの大群のように空から降りてきて、世界中の都市上空を覆い尽くした。それはこれまで創作されてきたどんなものより歪で、これまで想定されてきたどんなものより異様な光景だったと思う。この日のあることは数限りなく小説に書かれ、数限りなく映画に製作されてきたが、それが現実のものになろうとは誰一人として思ってはいなかった。
東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、ローマ、モスクワ、キャンベラ、北京、ニューデリー……
その的確さから、彼らの行動が探索の旅の末に辿り着いたなどというロマンチックなものではなく、周到に準備された計画的なものだということに人類は嫌でも気がついた。そして五日間の沈黙――。先制攻撃を主張する者もいたし、『ようこそ地球へ』などと子供みたいにはしゃぐ者もいた。ただ多くの心ある地球人が“終わり”を悟っていただろうということは当時、子どもだった僕にも感じ取ることができた。ああ、この世界は終わってしまったんだ――と。
『我々は銀河同盟に所属する外星人です。この星は今日から第一級看守惑星として、我々の観察下に入っていただきます』
気持ち悪いほど完璧な日本語でそう告げたのは、θ(シータ)と名乗る【外星人】だった。その天才の作品としか評しようのない演説は世界中のテレビやネットをジャックした上で同時通訳された形で全世界に配信され、【外星人】たちの知的レベルの圧倒的な高さを示すのを手伝った。そして彼らの希望通り地球連邦が設立――。もちろん、徹底抗戦の姿勢を崩さない国はいくつもあったし、実際にミサイル攻撃を行った国もあった。新品のように無傷のまま浮上し続ける宇宙船群を見て世界は戦慄し、彼らからの報復に恐れ慄いた。
しかし、いつまで経ってもそれは起こらなかった。まるで地球人の存在すら忘れてしまったかのような、完全なる静止。それこそが、好戦的だった国々への最も効果的な報復になるということを彼らは知っていたのだろう。ただ圧倒的なまでの技術力の差を、人類は見せつけられたのだ。攻撃を行った国の政府は他国はもちろん自国の国民からも責任を問われて瓦解し、やがて徹底抗戦を唱える国は一つとしてなくなった。
そうしてこの星の幼年期は終幕を開き、地球人と【外星人】との生活が始まった。
彼らはハリウッド映画みたいに地球に侵略戦争を仕掛けてくるようなことはなかったし、政治や国家間の紛争、地球上で起こっているありとあらゆる問題に対してもあれこれ口を挟むことはなかった。埼玉県の秩父に建造された重力制御型軌道エレベータ『サイカ』の欠陥を見抜き、あっという間に新しい完璧なものを完成させたかと思えば、そこを拠点に彼らが始めたことは“観光”だった。地球人に英知をもたらすでもなく、政治や生活に積極的に介入してくるでもなく、その数十億種類にも上る【外星人】たちはただ地球を観光するためだけにこの星にやって来たのだ。
こうして最初に宣言したとおり、地球は彼らの観察下に置かれた。
「で、大変さん。首吊り死体ってもしかしてこれのこと?」
「うん、そうだよ!」
「僕のこと、騙したの?」
「うん、そうだよ!」
「………」
ミルクのたっぷり入った甘いチョコレートみたいな色の髪が、ゴーグル付きのOGKブラックスターのヘルメットから伸びている。吊り上がった元気な眉の下には爛々と輝いた猫の瞳。色白の整った鼻筋に桜色の唇が添えられた、制服のブラウスの上から紺色のジャージを着込んだスポーティーな女の子。絶賛、僕の悩みの種こと大変さんは顎の下でヘルメットの紐をぷらんぷらんと揺らしながら、悪びれる様子もなくハキハキ答えた。
「あのさあ、大変さん」怒っていることをアピールするため、大げさに嘆息する。「僕は確かに部の活動には積極的じゃないし、できれば関わり合いたくないと思ってるよ。隙あらば退部したいと願っているし、そもそも詐欺られて入部させられたと根に持っている。でも、こんな嘘で騙すのは酷いんじゃないかな?」
「えへへ」
「笑って誤魔化さないでよ」
「――だっ、だってヤシロ君、私がTOMODATI団の活動を一緒にしよって誘っても、いつもいっつも断るでしょ。だからさ、ちょこっとだけ事実を大げさに伝えたというか、やっちゃったというか」
――いや、やっちゃダメだよ。
あわあわと言い訳を重ねる少女に向けて、僕は思わず眉根を寄せる。
「仮にそうだったとしても、さすがに『首吊り死体』はないよ。大変さんとはもう一年以上の付き合いだし、常識が色々と残念なのは知ってたつもりだけど、今回はさすがにないよ。ついて良い嘘と悪い嘘があるよ」
「うー……ヤシロ君、酷い。何もそこまで悪し様に言うことないじゃない」
大変さんが拗ねるように唇を窄める。
「だって、だってさ……また断られるの、イヤだったんだもん。もしもヤシロ君が来てくれなかったら……私、独りぼっちでTOMODATI団の活動しなくちゃいけないんだよ。そんなの……大変だよぅ」
「……はぁ、もういいよ。わかったよ。それで、その首吊り死体っていうのはこれのことで間違いないんだよね」
諦めたように首を振り、僕は藤山の山頂に植えられた一本桜へと視線を転じた。
小枝、小枝、ビニール袋、小枝、小枝、空き缶、小枝、小枝、ペットボトル……
桜の太い枝からは、大人一人分ほどの大きさのある小枝とゴミの塊がぶら下がっていた。先端から太い糸のようなものを出して吊るされたその姿は、なるほど遠目に見れば確かに首吊り死体のように見える。どうやらこの謎の物体こそが、今回の厄介事の種――TOMODATI団の部長こと大変さんがいつものように安請け合いした例の案件であるらしい。例の、とはつまり――
「【外星人】……なんだよね? TOMODATI団の活動として呼ばれたってことは」
「そうだよ、外星人さんだよ」
大変さんは当然と言わんばかりの顔で頷く。
「日本での種族名はミノムシス星人さん、地球の蓑虫に生態がよく似ていることから名付けられたみたいだね」
「ということは……ガイア星系類似種ってことでいいのかな?」
「そうそう。ヤシロ君、よく知ってたね」
僕が不安げに推察を述べると、大変さんは園児を褒める保母さんのような笑顔で首肯する。
『ガイア星系類似種』とはこの地球に生息する生物に生態が類似している種族のことだ。現在、地球に実際に入星してきている【外星人】は数十万種類。そのうち宇宙服の着用やナノテクノロジーなどによる大々的な素性変態なしに地球での活動が可能な種族のほとんどが、このガイア星系類似種に該当する。
銀河同盟によって現時点で確認されている【外星人】は全部で数十億種類にも上るのだが、その全てがファースト・コンタクトから十年足らずで地球への入星許可を得ているわけではない。このガイア星系類似種たちはほぼ生身にして地球での活動が可能だというアドバンテージもあり、地球にとって有害な細菌やウィルスを保持していないことが確認された個体から順に、こうして他の種族たちよりも先んじて地球観光にやって来ているというわけだ。
「それで大変さん。そのミノムシス星人を今回はいったいどうすればいいの? 二人で観光案内でもすればいいのかな?」
大変さんから改めてガイア星系類似種についての説明を受けた後で、僕は首を傾げた。
「うーん、それなんだけど……実は詳しい話をまだ依頼主さんから聞いてないんだよね」
「今日の放課後に部室で依頼を受けたんじゃないの?」
「依頼主さんの依頼主さんからは依頼されたんだけど、依頼主さんにはまだ正式に依頼されていないんだよ。依頼主さんからはこれから依頼主さんの依頼主さんを通して依頼される予定なの」
「はあ?」
早口言葉みたいなことを言い出す大変さんに、僕は思わず目を眇める。
「えーとつまり、放課後にTOMODATI団の部室にやって来たのは依頼主の友人か何かで、本当の依頼主にはこれから会って話を訊くってことでいいのかな?」
「さっすがヤシロ君、以心伝心だね。TOMODATI団の団結パワーのなせる業だね」
――いや、二人ぼっちのメンバーに団結も何もないと思うんだけどさ。
猫の瞳を輝かせ、大変さんが甚く感心した様子でウンウンと頷く。
「今日、部室に来た子がここに依頼主さんを連れて来てくれる約束になってるんだけど、ちょっと遅れてるみたいなんだよね」
「なるほど、それでこんな場所に呼び出されたのか……」
僕は納得がいったところで改めて周囲を見回した。
藤山は山といってもほとんど小高い丘ほどの高さしかなく、その規模も小さい。国道の脇道から一キロメートルほど入っただけでこの一本桜のある山頂に辿り着いてしまうことから、気軽な散歩コースやデートスポットにもなっている。愛車のYAMAHAビーノDを桜の木の側に止めているところを見ると、大変さんも路上からそのままここまで乗り入れてきたのだろう。これだけ緩やかな傾斜であれば、49ccの電動スクーターであっても楽々登ってこれたはずだ。
「と、ところでヤシロ君。さっきから気になって気になって大変なんだけど……」
ふいに大変さんが、チラチラとこちらを窺いながら落ち着かない様子で声をかけてきた。
――どうしたんだろう?
――何だか酷く色めき立っているようだけど。
疑問に思いながらも目顔で続きを促すと、大変さんは爛々と輝く猫の瞳で僕の足下を舐めた。そしてこんなことを言う。
「そっ、そのダンボール箱はいったい何かな? 見るからにのっぴきならないものを感じるんだけど! 感じるんだけど!」
「……え?」
何だか嫌な予感がする。僕は大変さんの好奇な視線を怖ず怖ずと手繰り寄せ、自らの足下へと目を落とした。
「―――」
青々と生い茂った春色の芝生。その上で、シュールなミカン頭のキャラクターがポーズを決めていた。
†
二十分後に件の依頼主がやって来るまでの間、僕は大変さんからそのダンボール箱星人についてのべつ幕なしに質問を受けていた。相手は【外星人】と仲良くなりたいがためにTOMODATI団なる狂気じみた部活動を立ち上げてしまうような、エキセントリックな少女である。こんな刺激的な物体を前にして、食いつくなという方が無理な話だ。
しかし、訊かれたところでこちらとしても『よくわからない』としか答えようがない。
僕自身いったいこのダンボール箱星人が何なのか理解できていないし、どうしてこんなところにまでついて来たのかもわからない。大変さんの用事を済ませて部屋に戻るころにはいなくなっているだろうと、高を括っていた。
例えばクロノ星人は自分の立てた計画通りに生活しなければすぐに精神を病んでしまうし、ジャミルス星人は水に濡れると身体が溶けて小さくなってしまう。ツナーヨ星人は地球人が蚊を殺すことを宇宙の根幹への冒涜だと嘆くし、アンベリー星人はイチゴの粒々を外敵だと誤認して殲滅しようとする。
身体構造から思考構造、感性から価値観、生まれ育った環境までまるで違う【外星人】のことを理解なんてできるはずがない。どうしてダンボール箱星人が僕を追いかけてこんなところまでついてきたのか? いったい何が目的で僕に関わろうとしているのか? そんなことはまじめに考えるだけ時間の無駄だ。
――まあ、放っておけばすぐに飽きていなくなるかな。
――それよりも今は、このミノムシス星人だ。
僕は謎のダンボール箱星人をとりあえず意識の外へ追いやると、現れた依頼主に目を向けた。やって来たのは僕や大変さんと同じ常磐高校の制服を着た女子生徒二人だった。大変さんいわく、依頼主さんとその依頼主さんの依頼主さんなのだろう。一人はショートカットの活発そうな女の子。もう一人はおさげ頭をした大人しそうな女の子だった。制服のリボンが青色であることから観取するに、どうやら一年生のようだ。
「どうも、大変先輩! 来てくれてありがとうございますッス! こっちが放課後に話した山波冬実ッス! それで、私が武井真ッス!」
初対面の僕に気づいて自分の自己紹介を付け加えつつ、ショートカットの武井さんがぺこりと頭を下げた。文脈から察するに、どうやら依頼主は後ろにいるおさげ頭の山波さんの方で、放課後に部室までやって来たのがその友人である武井さんのようだ。二人がひとしきり待ち合わせ時間に遅れたことへの謝罪を終えたタイミングで、僕も「一応、TOMODATI団の部員をやっている玖条坂ヤシロです」と自己紹介を済ませた。その後で二人の視線は当然のことながら足下のダンボール箱へと集中する。何か自己紹介的なものをするのかとしばし身構えたが、結局キャップはキャンディー型の無感動な瞳でじっと二人にガンを飛ばしているだけで、特に言葉は発しなかった。
――そういえば、さっき大変さんに絡まれてたときもずっと黙り込んでたっけ。
――僕の前ではあんなに息巻いていたくせに、もしかして人見知りさんなのかな?
そう推察してキャップの方へ視線を落とすと、『何だその目は』という不満の機械音声が飛んできた。僕はいつもの愛想笑いで「何でもありませんよ」と誤魔化す。どうやらこのダンボール箱星人がずっと無言をとおしていたのは対外星翻訳機の故障というわけではなく、本当に人見知りを催していたからのようだ。
「そ、それで……あの……今日先輩たちに来てもらった理由なんですけど……」
二人の後輩は「何これカワイイ」や「く、クッキー余ってるけど食べる?」などしばし足下のダンボール箱を愛でた後で、ようやく本題へと入った。後ろで心細そうにしていた山波さんが、武井さんに背中を押されて話し始める。僕と大変さんとキャップは、その蚊の鳴くような弱々しい声を聞き取るために揃って一歩前に出た。
山波さんはしばし何かを迷うように目を泳がせた後で、大きく息を吸い込んで――
「実は先輩たちにお願いしようと思ったのは、その外星人の駆除なんです!」
「「え?」」
大人しそうな少女の口からいきなり飛び出した物騒な単語に、僕と大変さんは揃って目を丸くした。一瞬何かの聞き間違いかとも思ったが、急激に冷たくなっていく周囲の空気を見るにそれはなさそうだ。動揺する僕たちの様子を見て、慌てて武井さんが割って入った。
「ちょ、ちょと、冬実! いきなりそんなこと言ったら、先輩たちも困っちゃうよ! そ、それに駆除だなんて、相手は虫とかじゃなくて外星人なんだよ! まあ、確かに虫っぽい形はしてるけど――」
「ご、ごめんなさい! 駆除とか、ちょっと間違えちゃったっていうか、違うんです! そ、そうじゃなくて……えーと……その……」
武井さんに指摘され、慌てて山波さんが取り繕う。TOMODATI団は名前のとおり、大変さんが地球にいる【外星人】と友だちのように仲良くなりたいがために旗揚げした部活動だ。そのメンバーに対していきなり『外星人を駆除して欲しい』などと依頼するなんて、さすがに不適切であったと感じたのだろう。
山波さんは自身を落ち着かせるように深呼吸を挟み、失言を修正すべく再び口を開いた。
「じっ、実は先輩たちにお願いしようと思ったのは、その外星人の排除なんです!」
「………」
――うん、あんまり変わってないかな。
――駆除も排除も類語辞典の同じ項目に入っちゃってるよね。
排除だなんて、大変だよぅ――と青ざめる大変さんの横で、とりあえず笑顔を作ってやり過ごす。もはや友人の武井さんすら頭を抱えている状況で、このままでは話が一向に進みそうもない。
僕は仕方なく口を開いた。
「えーと。つまり山波さんは、あのミノムシス星人を一本桜から追い出して欲しい――ということでいいのかな?」
「は、はい、そうです! そうなんです!」
僕の出した助け舟に、おさげ頭の少女が深く頷く。
「でも、いったいどうして? 確かにちょっと不気味というか、景観を損なっているとは思うけど、別にこのミノムシス星人が一本桜に巣作りしていることで、山波さんが何らかの不利益を被っているようには思えないんだけど」
「そ、そうだよ! 駆除だとか排除だとか、そんなのミノムシス星人さんが可愛そうだよ!」
「それは……その……あの……色々と事情がありまして……」
僕と大変さんに諭され、山波さんは気弱げに俯いてしまう。そしてたっぷり二十秒ほどの沈黙を挟んだ後で、重々しく口を開いた。
「実は私には末期ガンで入院中の祖母がいるんです。真にTOMODATI団への依頼をお願いしたのも、今日ここに来るのが遅れたのも、その祖母のお見舞いに行っていたからなんです。それで、この一本桜から外星人を追い出したいのも、実はその祖母のためで……」
「おばあちゃんのため?」と大変さんが小首を傾げる。
「はい。この一本桜は早くに亡くなった私の祖父が、祖母にプロポーズをした思い出の場所なんです。祖母の病状はもう手の施しようがなくて、余命いくばくもなくて、だから最後にどうしてもおばあちゃんにこの場所を見せてあげたいんですけど、でも、あの、その……」
山波さんは両手を胸の前でわななかせ、瞳を涙の気配で揺らし、視線を一本桜の方へと送る。そこには不気味としか形容しようのない巨大な小枝とゴミの塊がぶら下がっていた。
「要するに、おばあちゃんに思い出の一本桜を見せてあげたいけど、こんなよくわからない不気味な【外星人】がぶら下がっていてはままならない。だからどうにかして、この【外星人】を追い出して欲しい――てことでいいのかな?」
「は、はい……」
――なるほどね。
――それでTOMODATI団に依頼に来たというわけか。
横から「不気味だなんて酷いよ!」とか「追い出しちゃ可愛そうだよぅ!」などという少女の抗議が聞こえてくる。【外星人】のことが大好きな【外星人】偏愛者である大変さんは、この手の依頼を解決するには不適任だ。
僕は無視してミノムシス星人へと近づいた。
「ここの地主が不法侵入を訴えてくれれば、市役所の外星人課に連絡して一発で解決なんッスけどね」
武井さんは僕に倣って【外星人】の前まで来ると、これまでの経緯を説明してくれた。どうやら二人はいきなり大変さんのところに頼みにきたわけではなく、桜が咲くまでの一週間、このミノムシス星人を追い出すべく試行錯誤を繰り返していたようだ。
武井さんは巨大な小枝とゴミの塊を躊躇なくむんずと掴み上げ、隠れていた側面を僕へと向ける。そこにはアダムスキー型UFOの形を模した手の平サイズのシールのようなものが貼られており、印字された日付の横には地球連邦の入星許可を示す許可印が押されていた。
「これが観光許可ステッカーッス。見てのとおり入星してきたのは一週間前で、滞在期間はまだ三ヶ月近く残ってるッス」
「え? ちょっと待って。一週間って、武井さんと山波さんがこのミノムシス星人をここで見つけて色々追い出そうと試みた期間と同じだよね? つまりこの【外星人】は、地球に入星してすぐにこの一本桜に巣作りし、そのままずっと移動していないってこと?」
「はいっス。私たち、毎日通学途中や部活が終わった後に一本桜まで様子を見にきてたんッスけど、この外星人は一度も別の場所に行った様子はなかったッス」
「………」
武井さんの話を聞いて、僕は眉を顰めて考え込んでしまう。彼女の話が本当なら、つまりこのミノムシス星人は観光目的で地球にやって来たにもかかわらず、ずっとこの場所に巣を作って篭城していたことになる。基本的に【外星人】の行動なんて僕たち地球人に理解できるものではないが、これはあまりにも不可解だ。もちろん、桜を見るために地球までやって来た――という可能性もあるのだろうが、それならばなおのことこんな寂しい場所は選ばない。トキワ公園にでも行って満開の桜並木を思う存分、堪能すればいい。
「あと、直接交渉も試みたんッスけど」
武井さんはそう言うと、「すいませーん」とミノムシス星人の蓑をポンポンと叩く。その瞬間、にゅっと蓑から【外星人】が頭を出した。肌の色は紫色。二つのつぶらな瞳と虫特有の複雑な口を持つ、全体的に丸っこいフォルムをした生き物である。モスラの幼虫みたいだ、と形容すればわかりやすいだろうか。
「ちちよ、ちちよ……」
「見てのとおりッス」
困り果てた眼差しを僕へと送り、武井さんは肩を竦めて見せる。ミノムシス星人は『ちちよ、ちちよ』と鳴き声を上げはするものの、その言葉は僕たち地球人には通じない。どうやら対外星翻訳機を地球で失くしてしまったか、あるいは入星のさい持ってくるのを忘れてしまったようだ。お互いに言葉が通じないとあっては、交渉のしようがない。
「一応、市役所経由でミノムシス星人用の対外星翻訳機の予備がないかって探してもらってはいるんッスけど――」
「それはさすがに難しいんじゃないかな」
後ろで僕と武井さんの話を聞いていた大変さんが、ひょっこり意見を差し挟んでくる。僕はチョコレート色の髪をした少女に視線を向けて、「どうして難しいの?」と首を傾げた。
「さすがに県内で探すのは難しいかもしれないけど、【外星人】がたくさん観光に来ている東京の方にも問い合わせてもらえば、一つぐらい予備があってもおかしくないんじゃない?」
「うーん、絶対にないとは言い切れないんだけどさ。そもそもヤシロ君は、いったいどれだけの数の外星人さんがこの地球への入星許可を得ているか知ってる? 軽く見積もっても数十万種類だよ。しかもその数は地球に有害な細菌やウィルスなんかのチェックを終えた個体から、毎日数十種の勢いで増え続けているの。外星人さんたちの意思疎通方法や使用言語は種族ごとに違うのだから、もちろん対外星翻訳機だって莫大な種類がある。都合良くミノムシス星人さんの翻訳機だけが見つかるなんて確率、きっと大変だよ」
そう言って、大変さんは困ったように桜色の唇を窄める。
大まかな数字を例に挙げて説明されてみれば、なるほど確かに彼女の言うとおりだ。【外星人】の事情なんてほとんど把握していない僕からしてみれば、『どこかに一つぐらい翻訳機が余っていてもおかしくないじゃないか』だなんて簡単に考えてしまうけど、それは大変さんの言うとおり途方もない確率なのだろう。
もし仮に予備の対外星翻訳機が日本国内にあったとしても、それを見つけ出して送ってもらうとなると、おそらく相当な手間と時間が必要なはずだ。山波さんは末期ガンのおばあちゃんに、思い出の桜を見せることを望んでいる。あと二、三日で散ってしまうであろう開花のタイムリミットを考えれば、とてもそんなものを待っている余裕はない。
――さて、どうしたものか。
――これでは本当に手の施しようがない。
右手で前髪を梳きながら思考を巡らせる僕を、グラスグリーンの瞳がじっと見上げていた。
†
春の陽が落ちるまで、あと二時間といったところだろうか。武井さんと山波さんの二人が部室に顔を出さなければいけないからと学校に戻った後も、僕は藤山の一本桜の前で頭を悩ませていた。今日この場所に呼び出されて依頼の内容を聞かされたときは『そんなの簡単じゃないか』と侮ったが、武井さんたちが試みたという数々の方法を聞かされて、この依頼の難しさを痛感させられた。これは想像以上に厄介な案件であるらしい。
「とりあえず、状況を一度整理してみるか」
嘆息を噛みながら独りごち、僕は改めて依頼について自分の中でまとめてみる。
まず今回の目的は、山波さんのおばあちゃんに思い出の一本桜を見せてあげることだ。おばあちゃんは末期ガンで余命いくばくもない状態であるらしく、来年まで生きていられる保証はない。だから山波さんはどうしても今年のうちにおばあちゃんに満開の桜を見せてあげたいのだが、不気味な小枝とゴミの塊であるミノムシス星人が住み着いてしまったためその願いを果たせない。そこで友人の武井さんに相談して、このミノムシス星人を一本桜から追い出すべく行動を開始したそうだ。
武井さんはまず最初に、ほとんどの地球人がそうするであろう方法――直接交渉という手段によってミノムシス星人を一本桜から追い出そうと考えた。しかし結果は前述したとおりである。件のミノムシス星人は何らかの理由により対外星翻訳機を所有しておらず、そんな【外星人】と直接交渉などできるはずもない。一応は市役所に連絡してミノムシス星人専用の予備の対外星翻訳機を探してもらうようお願いしているようだが、大変さんの話を聞く限り見つけ出すのは至難の業だろう。もし仮に運良く国内に予備の対外星翻訳機があったとしても、取り寄せてもらうのに数日の時間を要する。あと二、三日で散ってしまうであろう開花のタイムリミットを考えれば、とてもそんなものを待っている余裕はない。
次に武井さんたちが考えたのは、ミノムシス星人の観光活動に対する異議申し立てだった。地球連邦と銀河同盟との条約によって【外星人】たちの観光権は保障されているが、それは特別なケースを除いて公共の場所に限られる。つまりいくら【外星人】であったとしても、私有地に勝手に入った場合は市役所や警察のお世話になるということだ。もちろん裁判権がないので【外星人】を地球の法律で裁くことはできないが、態度を改めない場合には強制送還されてしまうことだってある。
この藤山は普段、気軽な散歩コースやデートスポットになってはいるものの、国有林や県有林ではなく民有林――つまり、個人の私有地だ。そこに目をつけた二人は地主に直接会ってこのミノムシス星人に対する不法侵入を市役所に訴えるようお願いしたのだが、地主は首を縦には振らなかった。「あの藤山は先祖代々、市民の皆さんに開放している場所だ。たとえそれが外星人の旅行客であったとしても、追い出すつもりはないよ」――それが地主の返答だったそうだ。『余命いくばくもないおばあちゃんに思い出の桜を見せてあげたい』などという感動話を聞かされた上で頑固な態度を崩さなかったところを見るに、今さら僕や大変さんが交渉に行ったところでどうこうできる相手ではないのだろう。
困り果てた武井さんと山波さんは、ついに最後の手段に出る。それは一歩間違えば傷害罪や器物破損罪にも問われかねない手段だったが、二人にはもはや他の方法が思いつかなかったそうだ。美術室からノコギリを借りてきた武井さんと山波さんは、なんとミノムシス星人の糸を切って別の場所に運んでしまおうと考えた。梯子を立て、中段あたりまで登り、散水ホースほどの太さのある糸にノコギリの刃を穿つ。その役目は活発な武井さんが引き受けた。
当初は簡単に終わると思われていたミノムシス星人の糸切断作業は、その予想以上の弾力もあって難航を極めたらしい。確か本物の蓑虫の糸は、これまで昆虫の中でもっとも強いとされてきた蜘蛛の糸よりも強度が高いそうだ。その蓑虫に近い生態をもつミノムシス星人の糸がそれほど強固であったとしても不思議はない。
顔を出して「ちちよ、ちちよ」と抗議するミノムシス星人を横目に武井さんは切断作業を断固継続していたそうなのだが、それも長くは続かなかった。抗議しても聞き入れてもらえないと悟った彼は、ついに実力行使に出たのだ。口から吐き出される糸。絡まって身動きが取れなくなる武井さん。ミノムシス星人は武井さんを糸で雁字搦めにした後も収まりがつかなかったらしく、興奮した様子でしばしそこら中に糸を吐き出し続けていたそうだ。
他にも二人はミノムシス星人を一本桜から追い出すべく様々な強硬手段を試みたそうだが、何かしようとするたびにこの糸攻撃を受けてしまい、結局どれも失敗に終わったらしい。
そうして打つ手がなくなった二人は、部室で先輩たちから『外星人関連の問題を解決してくれるTOMODATI団なる部活が存在する』という噂を聞きつけ、校内一の残念美少女こと大変さんの元に依頼にやって来たというわけだ。
「ねえ、大変さん。そんなところでむくれてないで、ちょっとは解決策を考えてよ。元々は大変さんが引き受けた依頼だよね」
状況の整理を終え、僕は一本桜から少女へと視線を移した。
「確かに気が進まないのはわかるけどさ、大変さんはTOMODATI団の部長でしょ。だったらちゃんと責任持とうよ。このまま何もしないつもりなの?」
「うー……」
愛用している電動スクーターの上に体育座りをした大変さんが、非難がましい猫の瞳を向けてくる。いつもはTOMODATI団の活動ともなれば暑苦しいぐらいのやる気を見せる少女なのだが、今回の『ミノムシス星人を桜の木から追い出す』というネガティブな内容の依頼にはどうしても積極的になれないようだ。
「はぁ……」
僕は協力の要請を諦めて、視線をミノムシス星人へと戻した。春の麗らかな風に煽られて、巨大な小枝とゴミの塊が気持ち良さそうにゆらゆらと揺れている。
――僕、こんなところで何してるんだろう?
――別にTOMODATI団の活動なんて、僕には関係ないじゃないか……
一向に解決の糸口が掴めないこともあり、ふとそんな考えが頭をよぎった。
所属してもう一年近くになるものの、元々僕は無理やりこの部の活動に参加させられてきただけであり、今日だって大変さんの嘘のせいでこんなところまで誘き寄せられたに過ぎない。確かにTOMODATI団のメンバーであることは事実だが、それだって大変さんの詐術にまんまと騙されて強引に入部させられただけだ。こんなよくわからない、全校生徒から生暖かい視線を向けられるような部の活動に、いつまでも必死で参加する義理なんてない。
――さっさと帰ろう。
――帰って夕食の支度でもしよう。
そう思い、踵を返した瞬間だった。
『ヤシロ隊員、貴様はこの蓑虫野郎を追い出したいと思っているのか? それが貴様の地球を守るために必要なことなのか?』
「え――」
いきなりだ。いきなり僕のことを『ヤシロ隊員』などと呼んできたダンボール箱が、いきなりそんなわけのわからない質問を投げかけてきた。反射的に視線を向けると、思いがけずキャンディー型の双眸に射抜かれる。その瞳は相変わらず何を考えているのかわからない無感動なものだったが、強い感情の色さえ浮かんでいるような気がした。
僕はぞっとして息を呑むも、すぐにいつもの愛想笑いへと切り替える。
「地球を守るために必要かどうかはわからないけど、とりあえず武井さんと山波さんは喜んでくれるんじゃないですか。僕としてはこのまま全部投げ出して帰ってしまいたい気持ちもありますけど、よくよく考えてみればTOMODATI団のメンバーとして二人に顔を見られてしまっていますからね。平穏な生活と平凡な人生を謳歌するリトル・ピープルであるところの僕としては、今後学校で二人とすれ違ったときに気まずい思いをしないためにも、できればこの依頼は解決させておきたいかな」
『うむ……そうか。ならば仕方がない、手伝ってやろう』
僕の二心のない素直な言葉を受けて、キャップが決意の込もった機械音声を発した。どうやら今回の依頼の解決に、協力してくれるつもりのようだ。
相手はダンボール箱に引き篭もり自分のことを『地球を守りに来た地球防衛隊のキャップだ』なんて嘯く変人ではあるものの、れっきとした【外星人】である。地球人を遥かに凌ぐ知能を持ち、遥かに高度なテクノロジーを有する存在――。そんな【外星人】である彼なら、僕たち地球人が抱えている問題など容易く解決してしまうはずだ。
――助かった。
――これでこの依頼は解決だ。
僕は心の中で安堵の溜め息を漏らす。
先ほどまではこのまま帰ってしまおうかと本気で思っていたが、リトル・ピープルの思考アルゴリズムに従って冷静に考えてみると、やはりそれはあまりにも不人情であるのだろう。それに先刻自分でも述べたように、僕はTOMODATI団のメンバーとして二人に自己紹介まで済ませてしまっている。もしもここで依頼を投げ出したら、その後の学校生活にも影響しかねない。僕は平穏無事な生活を心の底から望んでいるのだ。万が一にも後輩である武井さんと山波さんの恨みを買うようなことになり、校内で悪い噂でも立てられては堪らない。
カサカサカサ……
キャップがダンボール箱を引き摺りながら、ミノムシス星人の前へと歩み出た。
彼の言葉を理解して対外星翻訳機なしで直接交渉するのか、あるいは瞬間移動装置のようなものを使って瞬時に別の場所に移してしまうつもりなのかもしれない。とにかく僕なんかには及びもつかない方法でこの問題を解決しようとしていることだけは確かだ。スクーターの上でいじけたように体育座りをしていた大変さんも、何かを察した様子で身を乗り出している。
そして張り詰めた糸のような緊張感の中、謎のダンボール箱星人が行動を開始した。
キャップはロボットアームで小突いてミノムシス星人に顔を出すよう促すと、ダンボール箱の左右にある凵型の切り目から小さな両手を殴る勢いで押し出した。その手に握られていたのはドライヤーのような形の持ち手にドリル型の物体が嵌め込まれた道具――光線銃だ!
「兵器の地球への持ち込み条約で禁止されているはずなのに、どうして!?」
思わず上ずった声で叫ぶ。
兵器やそれに順ずる機器の地球への持ち込みは条約で硬く禁じられているはずだ。にもかかわらず、キャップは平然とその禁忌をやってのけている。もしも銀河同盟にこの事実が知れれば、たとえ同盟に所属する【外星人】であってもタダでは済まないはずなのに――。
『ヘイ、ベイビー……小便は済ませたか? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はOK?』
キャップに光線銃を突きつけられ、ミノムシス星人は激しく動揺した様子で「ちちよ、ちちよ」と蓑の中で身体を揺り動かしている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいキャップ! 確かに依頼を解決したいとは言いましたが、いくらなんでもこんなやり方はマズイですよ! 大問題になります!」
『wktk wktk』
「き、聞いてるんですかキャップ! 本当にマズイですって、他に何か方法を――」
異変に気づいて走り寄ろうとした大変さんが、スクーターの下敷きになっている。僕も慌ててキャップを止めようと手を伸ばしたが、もはや間に合う距離ではない。光線銃のトリガーにかけられた小さな指が、無情にもミノムシス星人に向けてカチリと引かれた。その瞬間、
ピロピロピロピロピロ……
視界が歪むような絶望感を連れて、光線銃が独特の機械音を発した。ドリル部分が赤、青、緑と色を変えながら光輝く。その照準は目の前の獲物を残酷なまでに捕らえて離さない。
……沈黙。
しかし光線は出なかった。
光線は、出なかった。
四人の間を、生暖かい春風が流れていく。
光線銃をひとしきり撃ち終えたキャップは、満足した様子で光線銃をダンボール箱の中へと戻した。思い切り肩透かしを食らい時間と感情を浪費した僕は、内臓まで吐き出してしまいそうなほど深く深く嘆息する。そしてその後で、冷ややかな視線を足下のダンボール箱へと注いだ。
「キャップ。ちょっと、ふざけるのはやめてもらっていいですか? こっちは真剣にやってるんで」
『……Orz』
†
翌朝、僕は腹部を圧迫する息苦しさで目を覚ました。
目の前には拙い字で書かれた『地球防衛隊極東支部』の文字。てっきり昨日のうちに飽きていなくなるだろうと思っていたが、謎のダンボール箱星人は部屋に居座り、僕への付き纏い行動を続けていた。その姿を見て、うんざりと溜め息を漏らす。
『おい、ヤシロ隊員! 腹が減ったぞ、朝食はまだか! 朝食はまだか!』
お腹の上で、キャップが朝食を催促している。重さとしてはたいしたものではないが、とにかく鬱陶しい。
僕は伸びをしながら呻り声を上げた。
「もう、勘弁してくださいよキャップ……いったいいつまで居座るつもりなんですか? いい加減、他に行ってくださいよ」
『何を言っているんだ、ヤシロ隊員(怒) 自分は地球を守りに来たと言ったはずだ(怒) その任務が完遂されていないにも関わらず、別の場所になんていけるはずがないだろう(怒)』
キャップが酷く怒った様子で力説する。
「そんなの知らないですよ。何なんですか、地球を守るって? そんなにこの星を守りたいのなら、環境保全団体(WWF)にでも募金しにいけばいいじゅないですか」
『何をわけのわからないことを言っている? いいから早く朝飯を作るのだ、ヤシロ隊員。上官の食事の世話をするのは部下の務めだぞ』
「いや、部下になった覚えなんてないですし……」
欠伸を噛みながら上体を起こした。キャップは短い眉を尖らせ、催促するような目でじっと僕の顔を見上げている。
――はあ、いったい何なんだろうこの人は。
――地球を守るまで出て行かない?
――そういえば昨日ミノムシス星人を前にしたときも、そんなことを言っていたような。
「………」
思い出して、考える。昨日ミノムシス星人を一本桜から追い出そうとしたとき、キャップは確か『地球を守るために必要なことなのか?』とか何とか言っていた。ということは、ミノムシス星人の問題を解決することが、このダンボール箱星人にとっては地球を守るということなのだろうか? 今回の依頼を解決すればキャップはいなくなってくれるのだろうか?
――だとすれば、もう少しの辛抱だ。
僕は起き上がって適当に朝食の準備をしながらキャップの様子を盗み見る。テレビの特撮ヒーロー番組を視聴しながらお茶を啜る姿は、もはやここが慣れ親しんだ自分の家なのではないかと見紛えるほどのくつろぎっぷりだ。堪ったものではない。しかしそれも例の依頼を解決するまでの辛抱だと思えば、我慢できなくはないだろう。
「キャップ、目玉焼きには醤油ですか? ソースですか?」
『うむ、自分はトマトケチャップ派だ。覚えておけ』
「へー、珍しいですね」
そんな益体のない会話をいつもの愛想笑いで交わしながら、僕は件のミノムシス星人の問題について考える。
言葉ではなく絵を使った意思の疎通、藤山の地主への電話による交渉、食べ物を使った誘き出し作戦……
あれから日が暮れるまで様々な手段を試みたものの、結局、解決の糸口は掴めなかった。
【外星人】や外星関連の知識に通暁している大変さんなら僕なんかより良案が出るのだろうが、あの様子では難しいかもしれない。
僕は昨日交わした、大変さんとのやり取りを思い出す。
夕焼けは明るさを落とし、夜の気配が忍び寄っていた。思いつく限りの手段を講じてミノムシス星人を一本桜から追い出そうと試みた僕だったが、その全てが失敗に終わっていた。大変さんは相変わらずスクーターの上でいじけたように体育座りをしたままで、協力してくれる気配はない。
「ねえ、大変さん。そんなところに座ってないで、いい加減に手伝ってくれないかな? 僕独りじゃ手に負えないよ」
「うー……」
猫の瞳を揺らし、大変さんが唇を窄める。
「大変さんがやる気ないんなら、僕だってもう帰るよ。いいの、このまま依頼が失敗しても」
「うー……」
チョコレート色の髪をした少女が、再び呻った。僕は笑顔こそ浮かべはするものの、心の中で辟易する。そもそも大変さんに巻き込まれて、こんなわけのわからない活動に参加させられているのだ。たとえその依頼内容が自分の主義主張に反するものであったとしても、最後まで責任を持つのが常識ある人間としての最低限の行動だと思う。
「だって、だってさ」
そんな僕の気持ちを読み取ったのか、大変さんは叱られて言い訳する子どもみたいに白い頬を膨らませた。
「私だって山波さんの気持ちはわかるよ。おばあちゃんのためにミノムシス星人さんをどうにかしなきゃいけないんだって気持ちも、わかるんだ。大切な家族のために何かしてあげたいんだなって、凄い伝わってきたよ」
「だったら手伝ってあげようよ。今回は僕も協力するから、二人でこの依頼を解決しようよ」
大変さんは顔を伏せ、ゆるゆると首を振る。
「でも、そのためにミノムシス星人さんを追い出すのは、やっぱり間違ってると思うんだ。確かにミノムシス星人さんは見た目はあまり綺麗じゃないよ。山波さんのおばあちゃんが見たら驚いちゃうかもしれないし、もしかしたら嫌な気持ちになっちゃうかもしれない。でも、追い出しちゃいけないと思うんだ」
「ごめん、大変さん。キミが何を言いたいのかよくわからないよ。確かにこのミノムシス星人の意思も大切にしなきゃいけないとは思うけどさ、別にここじゃなくてもいいでしょ? ちょっとだけ、山波さんのおばあちゃんが最後に桜を見る間だけ、他所に移ってもらおうとしているだけじゃないか」
「ちがう、ちがうの。そういうことじゃなくて……」
OGKブラックスターのゴーグルが、春の夕陽を呑み込んでいく。
大変さんは訴えるような眼差しで、上目遣いに僕を見て、
「ねえ……ヤシロ君はさ、『第9地区』って見たことある?」
「確か、ニール・ブラムカンプ監督のSF映画だよね。映画館までは行ってないけど、DVDは借りて見たよ。エイリアンが難民として地球にやって来る話だったよね」
「うん。地球に難民としてやって来たエイリアンが、第9地区っていう場所に隔離される話。文化や外見の違いから、そこに住む地球人たちは『エビ』なんて呼んでエイリアンたちに酷い差別をするの。ねえ、ヤシロ君……ヤシロ君は、私たちが住むこの町が今ネットで何て呼ばれているか知ってる? 重力制御型軌道エレベータの建造が決まって、大量の外星人さんたちがやって来たこの町が、いったい何て呼ばれているか聞いたことある?」
僕は無言のまま首を振った。
「第9地区だよ」
大変さんは涙に沈みそうな瞳を必死に持ち上げて、僕の顔を見る。
「確かに外星人さんたちに対して、快く思っていない人はまだまだいるよ。今回のミノムシス星人さんの件にしたって、『見た目が汚い』『不気味だ』『景観を損ねる』だなんて思う人は多いだろうし、山波さんのおばあちゃんも、思い出の桜にあんな塊がぶら下がっていたらショックを受けるかもしれない。でもこれが地球なんだよ、ヤシロ君。これが今の地球なんだ。だから、きちんと受け入れなくちゃいけないんだよ」
「―――」
悲壮な決意すら感じさせるその眼差しに、僕は思わず二の句を失った。
――そうか、それが理由だったのか。
――別に自分の主義主張を曲げたくないとか、【外星人】に危害を加えたくないとか。
――そんなわがままじゃなくて、大変さんは“そういう話”を僕にしていたのか……
ようやくそのことに気づき、小さく嘆息する。
大変さんはただ、みんなに受け入れて欲しかったんだ。地球人と【外星人】が共存する今のこの世界を、みんなにきちんと受け入れて欲しかった。だから頑なに僕の手伝いをすることを拒絶した。ミノムシス星人を一本桜から追い出すことを拒絶した。スクーターの上に蹲って何もしないことこそが、彼女なりの精一杯の抗議だったのだろう。
「でもさ、大変さん。みんながみんな、大変さんみたいにはなれないよ」
今にも泣き出しそうな少女に、優しく諭すような声音で告げる。
「確かに大変さんの言うことは正しいんだと思う。でも、正しいことと最善であることは、やっぱり違うと思うんだよ。僕たちは【外星人】のためだけじゃなくて、全ての人々に対して総合的に最大の結果をもたらすためにベストエフォートすべきなんだ」
「……ベストエフォート?」
僕は静かに頷く。
「このミノムシス星人がいったい何の理由で、何の目的があってこんなところに篭城しているのかはわからない。でも、山波さんの願いを最善の形で叶えるためには、やっぱり出て行ってもらわなければならないんだ。大変さんが【外星人】の立場に立って物事を考えるのは決して悪いことじゃないし、地球人が【外星人】を受け入れるべきだって考え方も正しいよ。でもそれは独り善がりだ。逆差別だ。最善の結果を得るためには、地球人だとか【外星人】だとか線引きせずに、きちんとみんなの気持ちを汲み取らないといけないんだよ」
「………」
僕の訴えに、大変さんは膝小僧をすり合わせ、眉を顰めたまま黙り込んでしまった。
桜の花びらが、沈黙を数えるようにひらりひらりと落ちてゆく。
「明日までに、最善の方法を考えてきて欲しい。みんなにとってどうするのが一番なのかを、大変さんにも考えてきて欲しいんだ」
俯いたままの少女に、言葉を残す。
僕はこれ以上の説得は無駄だと悟り、言葉を重なることをやめ、ただ「明日、待ってるから」とだけ告げて藤山を後にした。
†
僕が藤山の一本桜に辿り着いたのは、その日のお昼過ぎだった。昼食はキャップが食べたいと駄々を捏ねるので、ハンバーガーショップで期間限定のセットメニューを頼んだ。テレビのCMを見ているうちに、食べたくて我慢できなくなってしまったようだ。
ハンバーガーの袋をロボットアームで持ち上げて、ご機嫌なキャップと一緒に小高い丘を登る。と、見覚えのある二つの人影が目に入った。
「玖条坂先輩、おはようございますッス」
「お、おはようございます……」
陸上部のジャージ姿をした武井さんと山波さんは、僕に気づくと挨拶してきた。どうやら顔と名前を既に覚えられてしまったようだ。笑顔で挨拶を返し、膝に手をついて息を整える。
呼吸の乱れが収まったところで顔を上げた。
「二人とも、今日は部活が終わってから様子を見に来るって言ってなかったっけ? まだお昼時だけど」
「ちょっと気になって、部活が始まる前に様子を見に来たんッスよ」
「へー、そうなんだ」
「そ、それで、あの……その……どうでしょうか?」
山波さんは僕のやって来た方向に視線を巡らせたのち、不安げな声で尋ねる。
「うーん、正直かなり手こずってるかな」
僕は微苦笑を浮かべ、倦んだような声音で答えた。
「昨日あれから絵で意思疎通を図ってみたり、地主さんに交渉してみたり、食べ物で誘き寄せようとしてみたりしたんだけど、結局どれも上手くいかなかったんだよ」
「そ、そうなんですか。あの、それは玖条坂先輩独りで?」
「うん、そうだけど……ごめんね、なかなか解決できなくて」
「い、いえ……」
みるみる萎れていく少女の表情を見せられて、胸の奥がチクチクと痛む。二人は随分と期待を寄せてくれているようだが、正直なところ僕にはもう打つ手がない。思いつく限りの方法は全て試したつもりだ。
もしかしたら大変さんが何か腹案を出してくれるのではないかと期待してやって来たのだが、約束の時間であるにも関わらずその姿はなかった。昨日の思い詰めた様子を見るに、今回の依頼にはもう関わるつもりすらないのかもしれない。
「あ、あの、大変先輩は……大変先輩は、今日は来てくれないんでしょうか?」
僕の心中を見透かしたかのように、山波さんが上目遣いで訊いてきた。昨日の、依頼内容を聞かされた後の大変さんの非協力的な様子はこの二人も目の当たりにしている。もしかしたら、彼女が依頼を反故にしたことに感づいたのかもしれない。
僕は何も答えられずに、小さく首を振った。
「そ、そうですか」と少女が唇を噛み締める。「わ、私……今日は大変先輩にちゃんと謝りたくて、それで――」
「謝りたい?」
「は、はい。私、TOMODATI団が外星人と仲良くなるために活動してるって知ってたのに、あんな、駆除だとか排除だなんてことお願いしちゃって、大変先輩に不愉快な思いさせちゃったかなって、ずっと、ずっと気になってて……」
少女の声が苦しげに痩せ細っていく。気弱げな瞳が、涙の気配に沈んでいく。その様子を隣で見ていた武井さんからも、いつもの快活な雰囲気が消えていた。
――ああ、そうか。
――それでわざわざ部活前に顔を出したのか……
そこまできて、ようやく僕は理解に至る。
てっきり二人は依頼が上手くいっているのかどうか気になって今日ここにやって来たのだと思っていたが、今までの様子から推察するにそれは勘違いだったようだ。僕の来た方向を気にしたり、僕が独りで依頼をこなしていると聞いて落ち込んだり――どうやら山波さんは大変さんに今回の依頼をお願いしたことをずっと気に病んでいたらしい。
「大変さんのことなら、そんなに思い詰めなくてもいいんじゃないかな。基本的に残念な変わり者だし、今回はちょっと自分の考えと折り合いがつかなくて積極的に協力できないみたいだけど、だからって山波さんに対して不愉快だなんて思うようなことは絶対にないよ」
「そ、そうだよ冬実! 私も大変先輩とはTOMODATI団の部室で世間話とかしたけどさ、全然そんな人じゃなかったよ! 気にし過ぎだって!」
「でも……今日だって来てくれていないみだいだし……やっぱり私の依頼のせいで、嫌な思いさせちゃったんじゃないかな」
山波さんは地面のタンポポに視線を落としたまま、両手を胸の前でわななかせる。
どうやら見た目のとおり、思い詰めやすい性格のようだ。いや、思いやりがあると言うべきか。残念ながら僕には思い悩む少女を元気づける方法なんてわからない。縋るような気持ちで足下のダンボール箱へと視線を送るが、キャップは『メシウマ メシウマ』とハンバーガーの味に耽溺しながら暢気な機会音声を吐き出すだけだ。とても役に立ちそうにはない。
「はあ……」
僕は二人に気づかれないように小さく溜め息をついた。
いつもはこっちが鬱陶しいと感じるぐらい底抜けに元気な大変さんなのだが、依頼の内容を聞いてからはキャラに似合わずアンニュイな雰囲気を醸し出していた。そのせいでこの有り様だ。山波さんは彼女の非協力的な態度を気にして思い悩んでしまっているし、武井さんもそれを元気づけるのに四苦八苦している。
――まったく、何やってるんだよ大変さんは。
――協力する気はないにしても、せめて顔ぐらい出してくれればいいのに。
心の中で少女への不満が澱のように積もっていく。
依頼の解決を懈怠して何も手伝わないだけならまだしも、こうして雰囲気まで悪くされてしまっているのだ。いつも周囲に笑顔を振り撒いている人畜無害な僕だって、さすがに毒づきたい気持ちにもなる。いっそ今からでも大変さんのアパートに乗り込んで、引っ張り出してきてやろうか――そんな物騒なことをやおら本気で考え始めた、そのときだった。
ブゥウウウウウウウウウウン!
背後から聞き覚えのある駆動音が響き渡り、僕は反射的に振り返った。
肩越しに、大きな荷物を乗せた電動スクーターが迫ってくるのが見える。大変さんの愛車であるYAMAHAのビーノDだ。
「た、大変だよ、ヤシロ君! 大変、大変!」
猫の断末魔みたいな少女の叫び声と共に、スクーターが僕たちの方へと突っ込んできた。減速する気配は皆無。定規で線を引いたように一直線に向かってくる。
加速。加速。加速。加速。
「うわぁああああああああああ――!」
僕は叫び声を上げながら、キャップを抱えて飛び退った。武井さんと山波さんも頭を押さえてしゃがみ込む。そのすれすれのところを、少女を乗せたスクーターが猛然と通り過ぎていった。そして――
ドゴーン!
地響きのような轟音と共に、スクーターが一本桜へと突っ込んだ。大変さんはあんぐりと口を開けたまま宙を舞い、頭を思い切り桜の枝へと打ちつける。もんどり打って地面に着地した少女は、ヘルメットを抱えて悶絶した。
「だ、大丈夫かい、大変さん」
「うー、うー、うー」
まるで緊箍児を締め上げられた孫悟空のようだ。散々地べたを転げまわった後で、大変さんは頭を抱えて蹲った。その猫の瞳には大粒の涙が浮かんでいる。とても大丈夫そうには見えないが、とりあえずヘルメットを被っていたおかげで大事には至らなかったようだ。
「た、大変先輩!」
「だ、だ、大丈夫ですか……」
避難していた二人も、その惨事に気づいて走り寄って来た。大変さんは「えへへ」と笑って痩せ我慢を試みるも、やはり痛みには耐えられないようで、再び地面に頭を擦りつけながら奇声を上げる。
それから十分近く、大変さんは痛々しい悶絶を続けた。
「正直、来てくれないのかと思ったよ」
チョコレート色の髪をした少女がようやく痛みから解放されたのち、僕は起き上がらせるために手を貸しながら言った。大変さんは「TOMODATI団の部長ですから」と答え、照れ隠しするように笑って見せる。とりあえず、来てくれてよかった。後ろにいる二人の表情も花が咲いたように明るくなっている。
「あの……その……大変先輩、ごっ、ごめんなさい!」
人心地ついたところで山波さんが畏まって頭を下げた。大変さんは何事かと目を丸くする。
「と、TOMODATI団が外星人と仲良くなるために活動してるって聞いてたのに、こんな依頼をしてしまって、本当にごめんなさい」
「い、いや、そんな……」
再び深く頭を下げられ、大変さんが間違えてダンゴ虫でも呑み込んでしまったような顔をする。困ったような、恐縮しているような、何とも言えない可愛らしい表情だ。
「べっ、べつに私はそんなこと、気にしてないよ! だから頭を上げてよ冬美ちゃん、大変だよ!」
「ほ、本当ですか?」
「う、うん。そりゃあ、まあ、依頼の内容を聞いたときは、ちょっとTOMODATI団の活動とは違うかな~って思ったけどさ。いきなり駆除とか排除とか……。でも、困っている人がいたら地球人でも外星人さんでも助けるのが、やっぱり最善だと思うんだよ」
大変さんが山波さんに向けて元気な笑顔を見せる。
「だから、私にも協力させて欲しいの。ミノムシス星人さんにはちょっと納得のいかない形になっちゃうかもしれないけど、私も山波さんのおばあちゃんのためにがんばりたいの。思い出の一本桜、ちゃんと見せてあげたいの」
「あ、ありがとうございます、大変先輩……ありがとうございます……」
透明な感情が少女の頬を流れていく。その言葉に涙さえ溢れてしまう山波さんを抱き締めて、大変さんはウンウンと独り納得した様子で頷く。
――大変さん。どんな紆余曲折があったのかは知らないけど、
――とりあえず今回の依頼に協力する決意を固めてくれたようでよかった。
――これでようやく突破口が開けるかもしれない。
僕はホッと胸を撫で下ろした。
正直、独りではもう打つ手がないところまで追い詰められていた。今日この一本桜に来たのだって、二人にそのことを伝えるためだった。『依頼を解決できなくてごめんなさい』と謝るつもりだったのだ。
しかしここにきて、頼りになる助っ人が現れた。さすがに現在地球に入星している数十万種類もの【外星人】の生態までは把握しきれていないだろうが、それでも大変さんの【外星人】や外星関連の知識量は一般人とは比べ物にならないほど豊富だ。それが今回のミノムシス星人の件にどれだけ役に立つのかは未知数だが、知識の乏しい縁なき衆生である僕があれやこれやと手を出すよりかは遥かに良い結果になることだろう。
「それで、大変さん。いったいどうするつもりなんだい? どうやらその荷物が関係あるようだけど」
言いながら、僕は引っくり返ったままになっている電動スクーターへと視線を向ける。座席の後ろには風呂敷に包まれた大きな荷物が括りつけられていた。大変さんは「そうだよ」と首肯した後で、風呂敷を解き始める。その中から出てきたのは……
「ストーブッスか?」
武井さんが覗き込んで、意外そうな声を上げた。解いた風呂敷の中から出てきたのは、巨大な電気ストーブだった。てっきりミノムシス星人を移動させるための機材が入っているものだと思い込んでいた僕も、それを見て眉根を寄せる。
「そのストーブで、いったい何をするつもりなの?」
首を傾いで問い掛けると、大変さんはにこりと笑った。
「ねえ、ヤシロ君。ヤシロ君は去年の冬、TOMODATI団の活動でアゲハバタス星人さんを助けたときのこと、覚えてる?」
「ああ、確か寒さのせいで成虫になれないアゲハバタス星人を、ストーブで暖めて羽化させてあげたやつだよね」
「うん。あのときのアゲハバタス星人さんの羽化は環境追従型で、暖化完全変態――つまり気温が暖かくなることで自然と幼虫から蛹、成虫へとステージアップした。本来ガイア星系類似種の変態は地球にいる昆虫なんかと同じで長い期間を有する場合がほとんどなんだけど、外星人さんたちはナノテクノロジーなんかで自らの生態をカスタマイズしていることが多いの。アゲハバタス星人さんとミノムシス星人さんの生態がどこまで近いかはわからないんだけど、その方法を今回も試してみようと思ってるんだよ」
「なるほど、そういうことか」
その話から大体の目星をつけて、独りごちる。
アゲハバタス星人とは名前のとおり地球に生息するアゲハ蝶に良く似た生態を持つ【外星人】で、僕たちは『冬のうちにどうしても成虫になっておかなければ困る』というそのアゲハバタス星人の依頼を受けて、彼の身体をストーブで温めることで羽化するのを手伝ったのだ。どうやら大変さんはそのアゲハバタス星人のときの経験を生かし、ミノムシス星人を羽化させることで、この一本桜から飛び立たせようとしているらしい。
――確かにそれは妙案だ。
――こちらから追い出すのではなく、自分から出て行ってもらうというわけか。
――中身さえいなくなってしまえば、あとはどうとでもできる。
大変さんの発想に、思わず心の中で呻る。無理やり移動させようものなら武井さんが経験したように糸攻撃による妨害を受けるだろうが、身体をストーブで温めるだけならその可能性は低い。ミノムシス星人本人としても、このまま幼虫の状態で地球での観光活動を続けるよりも、羽化して成虫になってしまった方が遥かに便利なはずだ。ただ一本桜から追い出すだけではなく、ミノムシス星人の都合も考慮された実に大変さんらしい作戦である。
「それで、みんなにもお願いしたいんだけど」
大変さんがストーブを立て直しながら僕たちを見回した。
「多分ミノムシス星人さんの暖化完全変態を促すのに、ストーブ一個じゃ足りないと思うんだよ。だからみんなにも家にあるものでいいから、持ってきて欲しいんだ」
「わ、わかったッス!」
「はっ、はい、すぐに持ってきます!」
大変さんの話を聞き終えた武井さんと山波さんが、期待に目を輝かせながら答える。ここからは時間との戦いだ。アゲハバタス星人のときのことを思い出すに、少しでも早く暖め始めた方がいいだろう。
僕は大変さんの顔を見て深く頷くと、ストーブを取りに帰るためアパートへと戻った。
†
青さを思い出すように夜空が白み始めていた。あと数十分もすれば朝日が顔を出すだろう。
あれから武井さんが石油ストーブ一台と電気ストーブ一台、山波さんが石油ストーブ二台、僕が電気ストーブ一台を持ち寄り、大変さんが最初に持ってきた電気ストーブ一台と合わせて計六台のストーブがミノムシス星人の前へと設置された。電気ストーブは外付けバッテリーで増強を済ませた電動スクーターから電気を引っ張って稼動させている。
ストーブを設置して、それで終わりというわけではない。火の番をするために僕と大変さんは一本桜の前にテントを張り、交代で寝泊りしていた。今は大変さんがテントの中で眠っている。そして毛布に包まって座る僕の隣には、シュールなミカン頭のキャラクター……てっきりアパートで待機するつもりなのかと思っていたが、キャップは相変わらず僕から離れようとはしなかった。
――正直、キャップがついて来てくれて助かったかな。
――大変さんと二人きりじゃ、さすがに気まずかっただろうし。
僕はストーブのヤカンでココアを作りながら、キャップへと視線を向ける。大変さんとはもう一年以上の付き合いだが、さすがに男女二人きりでテントに寝泊りするのは色々とまずい。前はもう一人メンバーがいたTOMODATI団だが、今は二人ぼっちなわけで、しかも大変さんは残念な変わり者ではあるものの掛け値なしに美少女なわけで、スタイルなんかも男子生徒の間で頻繁に噂になるほど良好なわけで、リトル・ピープルの僕としては不純な気持ちを抱いてしまうのにやぶさかではない。
「どっ、どうかな、ヤシロ君。羽化……しそうかな?」
毛布に包まったままテントから出てきた大変さんが、強張った声をかけてきた。その服装は猫耳フードのついたピンク色のルームウェアに短パンで、蚊に刺されないかと心配になる。ちゃんとした彼氏がいるとはいえ、大変さんも年頃の女の子だ。不自然に引き攣った笑顔から察するに、一応は僕とほぼ二人きりのこの状況を少なからず意識しているらしい。
「うーん、どうだろう」
僕は大変さんに作りたてのココアを「飲む?」と手渡しながら微苦笑を浮かべた。
「前のアゲハバタス星人のときはサナギの状態になったのがちゃんと見た目でわかったけど、今回は蓑の中に入ってしまっているからね。羽化するにしてもどれぐらいの時間が掛かるのか想像もできないよ」
「そっか……そうだよね。大変だよね」
大変さんは僕のすぐ隣に何気なく腰を降ろした後で、慌てて人一人分ほどスペースを空けて座り直した。
「でも本当に助かったよ。大変さんはこのままもう、今回の件には関わらないつもりなんだと思ってた。僕の方も解決策が思いつかなくて、実を言うと大変さんが来てくれなかったら依頼を断わるつもりでいたんだ」
「……ごめんね。私が巻き込んだくせに、今回はヤシロ君に迷惑ばっかりかけちゃって」
大変さんは唇を湿らせる程度にココアを口に含んだ。普段は表情豊かなので気にならないが、彼女の猫科の容姿は冷ややかに感じられるほど美しく整っていて、今のように生硬い無表情をしているとどこか澄ましているようにさえ見える。冷淡……などという言葉は彼女の性格を知っている者からすれば埒外なのだろうが、ある種の近づき難さを感じた。
おそらく彼氏からのメールを返しているのだろう。大変さんはケータイをいじった後で、震える桜色の唇を短く噛んだ。
「実は私も、ギリギリまでずっと悩んでたんだ。今回の依頼はやっぱりTOMODATI団の活動としてはなんか違うって気がしたし。そりゃあ、これまでだって困った外星人さんをどうにかして欲しいって依頼は何度かあったけど……今回のミノムシス星人さんの場合は、悪気があってやってるわけじゃないと思ったし。何か大変な事情があるような気がしたし」
表情を直視されたくないのか、体育座りをした大変さんが毛布の中に口元を隠してしまう。
「でも……ヤシロ君に言われて思ったんだよ。外星人さんのことだけ考えてちゃダメだって……自分の価値観を他人に押しつけて、冬実ちゃんの気持ちとか、冬実ちゃんのおばあちゃんの気持ちとか、友だちのために一生懸命協力している真ちゃんの気持ちとか、そういうの全部無視しちゃいけないなって、思ったの」
「そうなんだ」
「……うん、そうなんだよ」
大変さんはココアの熱で頬を上気させながら、濡れた猫の瞳を向けてくる。どうやら駄目元で試みた説得が、僅かながら彼女の琴線に触れたようだ。そのことを知って、僕は少しだけ嬉しくなる。
やがて朝日が顔を出して、真新しいキラキラとした光が僕たちに降り注いだ。大変さんはしばし目を細めてそれを見ていたが、突然何を思ったか毛布を脱ぎ捨てて立ち上がると、「よーし、頑張るぞー」と大声を上げて両手を空へと突き出した。いったい何を頑張るのかはよくわからないが、とりあえず元気にはなったようだ。今回の依頼を受けてからの大変さんは、何だからしくないところばかり目立っていた気がする。
ぼとり――
そのとき、何かが落ちた。
何かが、落ちた。
僕と大変さんは示し合わせたように、同時に音のした方へと振り返る。そして蒼白の表情でお互いの顔を見合わせて、再び“それ”へと視線を戻した。
二人の間に、凍りつくような冷たい沈黙が横たわる。
底が抜けた小枝とゴミの塊の下に、カラカラに干からびた紫色の物体が落ちていた。丸みを帯びたフォルムは水分が抜けきったようにしわしわに萎んでいて、無数に生えた足は折り畳まれたままミイラのように固まっている。腹部に動きはない。まるでない。呼吸をしている気配は一ミリもなく、身体の中で動いている器官は一つとして見当たらず、つまり何が言いたいかというと――
“ミノムシス星人が、干からびて死んでいた”
†
『あ……ありのまま今起こったことを話すぜ! 『俺たちはミノムシス星人を暖めて羽化させようとしていたが、いつのまにかミイラ化して殺しちまってた』。な……何を言ってるのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった……。頭がどうにかなりそうだった……。駆除だとか排除だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ』
「………」
そんなキャップのふざけた解説にツッコミを入れる余裕すらなく、僕と大変さんはその場で立ち尽くしていた。すぐにミノムシス星人の身体を持ち上げて揺すったり声をかけたりするものの、微動だにしない。明らかに息絶えている。
「あば、あばば、あばばばばばばばばばばばばばば……」
「ちょ、ちょっと大変さん、しっかりしてよ! 故障している場合じゃないよ!」
僕は白目を剥いて卒倒しそうになる大変さんの頬を、何度も打って正気に戻す。
「ど、どうしよう……これはさすがに笑えない状況だよ」
「や、ヤバイよ、ヤシロ君! ヤバイよ、ヤバイよ!」
もはや口癖である『大変』すら出てこない。完全に我を失っている大変さんを置き去りにして、僕は乱れ狂う心臓を無理やり落ち着ける。
「と、とにかく、何とか隠蔽しないと……観光旅行に来ていた【外星人】を殺したとあっては星際問題は必至だよ。ここは何としても、事件を闇に葬らなくちゃ……」
考えを口に出してまとめつつ、「ヤバイよ」のフレーズを延々とダ・カーポしている大変さんを一瞥する。確かに『ストーブで暖めて羽化させよう』という案は彼女が出したものだが、焚きつけた以上、僕にだって責任の一端はある。何より、ここで大変さんを犯罪者にしてしまうわけにはいかない。
――穴を掘って埋めるか、あるいは燃やしてしまおうか?
――とにかく死体の隠滅が最優先だ。
――あとは関係者全員の口裏を合わせないと……
脳をフル回転させて必死に姦計を巡らせる。今回のミノムシス星人の件を知っているのは僕と大変さんの他に、武井さんと山波さんの二人。――いや、これまでの経緯を思い出してみると、市役所の職員や藤山の地主も僕たちがここにいるミノムシス星人をどうにかしたかったであろうことは知っている。これだけ状況証拠が揃っていては、あまりにも分が悪い。
しかしそれでもやるしかない。ここで事件を隠蔽しきれなければ、大変さんの人生は大変なことになってしまう。僕の平穏無事な生活を守るためにも、同じ部のメンバーである彼女が【外星人】殺しの犯罪者になることは何としても回避したい。
僕はギュッと拳を握り締めて決意を固めると、ミノムシス星人の死体を隠滅すべく行動を開始した。一歩、二歩、三歩、四歩。そして灯油で焼いてしまおうとストーブからタンクを抜き取ったところで、ふいにキャップが呟いた。
『卵だな』
「……卵?」
思わず声の方へと視線を走らせる。キャップは底が抜けた蓑の下からロボットアームで持ち上げたタブレット端末を使い、そのカメラで中の様子を確認していた。どうやら脳に何らかのデバイスを埋め込んで、直接タブレット端末からの映像データを受信しているようだ。
僕は近づいて画面を確認する。
――そうか。だからこの場所から動かなかったのか……
キャップの言うとおり、そこにはびっしりと産み落とされたピンク色の卵が映し出されていた。どうやらこのミノムシス星人はメスであったらしく、卵を守るためにこの一本桜から離れることを拒絶していたようだ。
キャップはグラスグリーンの瞳でじっと僕の顔を見上げる。
『ミノムシス星人は地球に生息する蓑虫と非常に良く似た生態をしている。それはメスの特徴においても言えることだ』
「……め、メスの特徴ですか?」
唐突に説明を始めるダンボール箱に戸惑いながらも、沈黙で続きを促す。気の毒になるほど蒼白な表情で故障していた大変さんも、その機械音声に気づいて四つん這いになりながら恐る恐る近づいてきた。
キャップは小さな指を一本立てる。
『まず第一に、蓑虫のメスは羽化しない。羽化するのはオスの方だけで、しかもそれと同時に口が退化して使い物にならなくなるため、交尾可能な蛾の状態になっても数日間で餓死してしまう。それはこのミノムシス星人も同様だ』
「そ、そうだったんですか……」
話を聞きながら、僕は冷や汗を垂らして息を呑む。もし仮にストーブで暖めて羽化させることに成功していたとしても、それはこのミノムシス星人の寿命を無理やり縮めることと同義だ。オスだったにせよメスだったにせよ、この作戦は最初から失敗であったらしい。
『そして第二に――』
キャップはVサインのように指を二本立てる。
『卵を産み終えた蓑虫のメスは、数日のうちに干からびて死んでしまう。これに関しても、ミノムシス星人と同様だ』
「「え――」」
僕と大変さんは、同時に驚きの声を上げた。
「そ、それってつまり、このミノムシス星人さんはストーブの熱のせいで死んだんじゃなくて……」
『ああ、卵を産み終えたことで力尽きて死んだのだ。おそらく地球に観光旅行にやって来た直後に自分が受精していたことに気づき、慌てて巣を作って産卵を済ませたのだろう』
「そうか! だから地球に入星した直後から、この一本桜に篭城していたのか」
キャップの話を聞いて、ようやく合点がいく。どうしてこのミノムシス星人が観光旅行にやって来たにも関わらず、入星した直後からこんなところに巣作りして留まり続けていたのか――ずっと疑問に思っていた。どうやら彼女は自分が受精していたことにすら気づかぬまま、暢気に地球へとやって来てしまったらしい。
「それにしても、メスと交尾するために羽化したら数日間で餓死してしまい、受精して卵を産み終えたら力尽きて死んでしまうだなんて、いったい何のために生きているんでしょうね」
ミノムシス星人のあまりに儚い人生を慮り、つい厭世的な気持ちに駆られて嘆いてしまう。
『生物の個体は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない』
「リチャード・ドーキンスですか?」
『うむ、外星人はその生態によって生き方も人生観も様々だ。しかし生物である以上、その根本は変わらない。もちろん貴様ら地球人もな』
キャップは静かな瞳で僕を見上げる。
『ミノムシス星人に死者を弔う習慣はないはずだが、卵を産んでしまった以上このまま放っておくわけにもいくまい。せめて母星の地に帰してやれ』
「……はい」
それから僕と大変さんはキャップの進言するとおりミノムシス星人とその卵を母星へと帰すため、市役所に連絡を入れた。外星人課の職員とはいえ【外星人】の個々の種族の生態まではもちろん把握しきれていないので、最初はストーブの設置された現場を見て僕たちがミノムシス星人を熱して殺したのではないかと酷くうろたえていたが、【外星人】であるキャップが人見知りを催しながらも頑張って説明してくれたおかげで何とか納得してもらうことができた。銀河同盟の方でもきちんと裏が取れたようだ。
僕たちはミノムシス星人の遺体と卵の入った蓑が職員の手によって回収された後で、無事に依頼が完了した旨を伝えるべく山波さんに連絡を入れた。事の成り行きを聞き終えた彼女はすぐに病院に許可を取り、おばあちゃんをこの思い出の一本桜へと連れて来たそうだ。おばあちゃんは大変喜んでくれたらしく、電話をしてきた山波さんは涙ながらに何度も何度も感謝を伝えてくれた。
こうして、桜の木に住み着いたミノムシス星人を巡る一連の騒動は幕を閉じた。
†
山波さんが思い出の一本桜へと連れて行った次の日に、おばちゃんは病院のベッドで息を引き取ったそうだ。葬儀に出席した僕と大変さんは、TOMODATI団の部室に戻って何をするでもなく時間を空費していた。依頼を解決したあの日以来、キャップの姿は見ていない。地球を守り終えた彼は、きっと次の場所へと旅立ったのだろう。
「生物の個体は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない――て、言うけどさ」
窓ガラスに打ちつけられる雨粒をじっと見つめていた大変さんが、ポツリと呟く。それはあのときキャップが言った台詞――動物行動学者であり進化生物学者であるリチャード・ドーキンスの著書『利己的な遺伝子』の一節だった。
「私はそれ、違うと思うんだよね」
僕が視線を向けるのを待ってから、大変さんは言葉を続けた。
「違うと思うって……どうして?」頭の上に疑問符を浮かべて僕が尋ねる。
「キャップはあのミノムシス星人さんを、『受精していたことに気がつかないまま地球に観光旅行に来てしまった』みたいに言ってたけど、本当は逆だと思うんだよ。彼女は受精していたことに気づいていたし、自分の命があと少しで終わることも知っていた。だから地球に観光旅行に来たんだよ。だから対外星翻訳機だって持ってこなかったんだよ。それに――」
「それに?」
「今日見た冬実ちゃんのおばあちゃんの顔……笑ってたんだもん。嬉しそうに、幸せそうに。だから、やっぱり違うと思うんだ」
大変さんはそう言うと、僕の顔を見て春の陽だまりみたいに優しく笑った。
論陣を張ることもなく、考察を述べることもなく、僕はただ「そうかもしれないね」とだけ言葉を返してアパートへと戻った。
――何だか、少し寂しいな……
お葬式の帰りだったこともあってか、ついそんな感傷的な気分になってしまう。
僕はそれほど厚情な人間ではないが、それでも誰かが死ぬのは悲しいし、寂しい。取り残された人間は死んでしまった人間のことを、思い出の中でしか蘇らせることができなくて。自分を形成している世界から大切な欠片が剥がれ落ちてしまったかのように痛くて。そして思い出すたびに、強烈な感情に襲われる。それこそ地球が壊れてしまいそうなほど、強烈な感情に――。
「はあ……」
昔のことを思い出し、ドス黒いものを吐き出すように嘆息した。今の僕は平穏な生活と平凡な人生を謳歌するリトル・ピープルだ。今さらそんなものはいらない。そんな感情は必要ない。
ガチャ――
ドアの前で制服にしがみつく雨粒を払い落とし、玄関へと入った。
僕がアパートに戻ると、部屋の中央にダンボール箱が置かれていた。
ダンボール箱が――置かれていた。
カサカサカサ……
「――て、キャップ、何してるんですか!? 別の場所に旅立ったんじゃないんですか!?」
『別の場所に旅立った? 何を言っている……自分はただ、雨が降りそうだったから自慢のマイハウスをメンテしに帰っていただけだ。見よ、この光沢を! これならどんな雨の日に出かけてもフニャフニャになることはないぞ(喜)』
そう言って、キャップはくるりと一回転して自慢げにマイハウスことダンボール箱を見せびらかした。心なしか表面にはビニールを張ったような光沢が見て取れる。どうやら本当に、ただダンボール箱のメンテナンスをするためだけにこの二日間姿を消していたようだ。
何だかとてつもなく嫌な予感が胸の奥に広がっていく。僕は微苦笑を湛えて首を傾いだ。
「え、えーと、それで、どうしてまた戻ってきたんですか? 何かやり残したことでもあるんですか?」
『そんなことは、見ればわかるだろう』
「へ?」
『ちょっと地球を守りに来た』
そう答えると、キャップは凵型の切り目から小さな手を押し出して、ダンボール箱の正面を親指でグイ。そこには拙い字で『地球防衛隊極東支部』と書かれていた。