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秘密  作者: 湖灯
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土砂降り

   土砂降り


 それから一週間が過ぎた。ツバメ事件の翌日から阿久津俊介の授業中の態度は明らかに変わった。真面目にノートをとっているのも続いている。

穂香たちのグループでは

「いつまで続くのか賭けをしましょう」

とか

「体育の時に転んで頭を強打してから、おかしくなってしまったのではないか」

とか

直美たちは口々に勝手なことを言っていて穂香は、それに対して常に聞くだけだった。

ただ直美がまた性懲りもなしに

「で、結局アイツの恋の相手は誰なんだ?」と言った時だけは

「私たちも、もう二年生だから阿久津君を見習って真面目に大学受験の事を考える時期なんじゃないかな」

と、ムキになって言ってしまった。

 家に帰ると久し振りに大輔から連絡ノートが帰ってきていたので読んだ。


 『穂香へ』

僕の友人が最近遊んでくれなくなったのだけど、どう思う?ちなみに僕はいつも夜に商店街のゲーセンで彼と遊んでいました。


 読み終わって穂香は

「まあ!」

と、わざと呆れた声を出してみて直ぐに返信を書いた。


『大輔へ』

あら、そのご友人にとっては良い事じゃなくて?深夜にゲームセンターに通っていらっしゃるとロクな人間になれませんことよ。

貴方も少しの間ご友人に会えなくなって寂しい思いをする事でしょうけど、そのかたが全うな人生をお選びになった事を、むしろ喜んでおあげなさいませ。

そして貴方自身も、もっと御自分を大切になさいませ。


自分が書いた阿久津君の事件に対する返答もしないで不良仲間の心配を相談してくる大輔を少し憎らしく思い、チョッとお姉さま言葉で皮肉めいた文章にして返した。


 六月も、もう直ぐ終わろうとしていたその日は、朝から凄い勢いで雨が降っていた。

「ちぇっ」

天気予報は大雨注意報。これが大雨警報なら休校なのにと恨めしい思いで俊介はテレビを見ながらトーストをかじった。

「早く準備をしなさい!」

お母さんから促されリンゴジュースごと口の中の食べ物を胃に押し込んだ。

豪雨なので、お母さんが仕事に出るついでに駅まで車で送っていってくれると言うので、いつもより少し早い時間に家を出ることになった。

駅までの道のりを自転車に合羽を着て出ないで済むのは有り難いが、学校に早く着くことに少なからず抵抗があった。

お母さんの車に乗り、駅に着く。

ホームで電車を待っている学生たちを見ると、いつもの連中と人種が違うことに驚いた。

俊介はいつも授業が始まるギリギリの電車に乗っていて、その時間には学生もまばらで俊介がいつもそうしているように大体のものはゲームや音楽を楽しんでいる。

ところが今朝のホームにいる学生は友達同士で話をしていたり、単語帳や電子辞書を片手に時間を惜しむように勉強をしていたりと、俊介と同じように片手にゲーム機、耳にはヘッドフォンといった学生の比率は極端に少なかった。車内の込み具合も激しい。

ドアに寄りかかって立っていると目の前の女子が同じ高校の制服だった。しかも電子辞書で勉強している。その隣の男子生徒も同じS高の生徒で、こいつは参考書を赤色のセルロイドで押さえていやがる。

俊介はクルリと向きを変えて外の景色を見ることにした。雨は相変わらず凄い勢いで降っていた。

S高のある駅で電車を降り、改札を抜けたあとで傘を車に忘れてきたことに気がついた。

同じ電車から吐き出された学生たちが傘の花を開いて遠のいていく。このまま傘もささずに学校に行けばズブ濡れの最上級の状態になってしまう…こんな時に傘を貸してくれそうな友達を考えたが、三木はバス通学、進藤と本田は自転車通学なので当てにならない。

傘を借りれそうな友達は、それ以上思いつかなかった。

アーケード街の出口にコンビニがあったことを思い出したので、そこで傘を買ってから登校しよう!時間には充分余裕がある。

そう思ってズボンのポケットに手をやると、

「ない!」

なんと財布も忘れてきた!

何と言う日だ!

誰だ、早起きは三文の徳だと言ったやつは!

大体三文って何円くらいだ?

傘が買えるのか?

俊介は家まで引き返したくなったが、今朝はお母さんに駅まで送ってもらったので、合羽はおろか自転車すら無い。

途方に暮れ容赦なく降り続ける雨を睨みつけていた。俊介に残された手段は雨が止むように念じることだけだった。


 駅の改札を出た時、穂香は駅舎の隅で立っている俊介に気がつき立ち止まった。

手に傘を持っていないので、人を待っていると言うより単純に傘を忘れて来たのだろうと思った。…でも、この雨の中どうやって電車に乗ったのだろう?

ひょっとしたら電車の中に傘を忘れてきたのかも知れない。そうすると傘は遺失物だから駅員さんに聞けば見つかるだろう…だけど屹度俊介の手に届く頃には、もうとっくに授業は始まっている。

『私の傘に入れてあげれば…』

え?

それって相合傘?

変な噂をされてしまうかも…

でも、困っている人を見過ごすわけにはいかない。

こんな豪雨ですもの誰も相合傘だなんて思わないわ。

『穂香!勇気を出しなさい!』

穂香は自問自答を繰り返していたが勇気を出して俊介に声をかけた。

「おはよう!」

声を掛けたものの、喉がカサカサで変な感じの声になったのではないかと思った。

「あっ」

俊介は思いがけず声を掛けられ驚いて変な返事をした。

「傘、忘れたの?」

「今朝、母ちゃんに車で駅まで送ってもらったときに、車に忘れてきた」

「よかったら入る?」

そう言い終わった時、穂香は自分の口から発せられた大胆な言葉に驚いた。

あれほど声を掛けること躊躇(ためら)っていたのに、こんな台詞が何も考えないでスラリと出てくるなんて。

まるで自分が自分でなくなった気がした。

言われた俊介の方は、その言葉に精神と体が緊張しすぎて、このまま走り出したい衝動に駆られたが

「もう直ぐ止むだろう」

と、(うそぶ)いた。

「止むといいけど、この雨はお昼まで続くらしいわ。」

穂香も俊介の言うとおりに直ぐ止めば良いと思ったが、今朝の天気予報では、どの局の予報でも昼近くまで強く降ると言っていたので、少し残酷だと思ったが、そのことを伝えた。

「そうか…」

暫く俊介は雨を睨んだまま黙っていたが、急に穂香のほうに振り向くと

「君、お金貸してくれる?俺、コンビニで傘買ってくる」

と言った。

家族以外の異性から、お金を無心されるのは始めてだったが、穂香は何の抵抗も無く鞄から財布を取り出した。

「傘って幾ら位するの?」

実際コンビニで傘を売っていることなど知らなかったので当然値段も分からなかった。

「三百円あったら足りると思うんだけど、いいかな?」

俊介も傘の値段をはっきりとは知らなかった。

百円のような気もしたし、二百円だったような気もしたので、とりあえず三百円借りようと思った。

「だったら千円貸してあげるわ」

「せっ、千円も借りていいの?」

傘を買うときに不安が無いほうが安心だったが、それにしても傘代で千円も借りるのは多いと思ったので断ると

「だって、お昼のパンとコーヒー牛乳のお金もいるでしょ」

穂香は財布から千円札を抜き出すと押し付けるように俊介に渡し、そのまま傘を開いて歩き出した。

俊介は暫く、その可憐な後姿が雨の中に消えるまで眼で追っていた。

穂香の歩いて行った道だけが、香りの良い石鹸で洗われていく様な気がした。


 学校までの道のり、穂香は考えていた。

俊介に千円貸してあげたのは良いとしても、お昼のパンとコーヒー牛乳のことを言ってしまったのはマズかったなと思った。

実際に俊介は毎日昼食に、購買でメロンパンとコーヒー牛乳を買ってきて食べているのだけど、そのことを知っている自分を俊介が変に思うのではないかと後悔した。(ただし、メロンパンと言わずに、ただパンと言ったところは少し救いようがあったと思った)

あの日(ツバメ事件)以降、穂香は俊介と話をすることこそなかったが同じクラスメートとして、ごく普通に意識することができるようになったと思っていた。

…そう、ごく普通に。

下駄箱で靴を履き替え二階にある教室に入ると直ぐに直美たちに囲まれ今朝の豪雨の話になった。実は直美たちが近寄ってきた時、駅で阿久津君と話していたのを誰かに見られたのかと思って慌てていた。

暫くすると俊介が入ってくるのが人越しに見えた。

傘を買い無事に学校に辿り着いたことにホッとしたとき、翔太もチラッと穂香を見たので目と目が合った。穂香は慌てて目をそらし友達と会話の続きに戻った。

ツバメ事件以降普通にクラスメートとして感じていたつもりだったが、こうして目が合ってしまうと何故かドキドキしてしまう。おそらく穂香と同じ年頃の女の子なら誰でもそうなのだろうと思った。


 俊介はアーケードになっている商店街を跳ねるように走った。コンビニでビニール傘

を買うと今度は、その傘をクルクルと回しながら学校までの道のりをいつもより大きな歩幅で歩いて行った。

満員の傘立てに傘を割り込ませたとき

「さっきは有難う!」

なんていう言葉をごく自然に、かつ爽やかに教室に入った時に言えたなら今とは違う道を歩いて行けるのだろうと考えた。

教室に入った時に秋月穂香がポツンと一人でいたとしたなら、お金を貸してもらった礼だけは言っておこうと思った。

さっき、駅でお金を貸してもらった時、初めて穂香の手に触れ俊介は暫くの間、記憶を抜き取られたようになり、その場にただ呆然と立ち尽くしてしまった。

本来は、お金を受け取った時直ぐに礼を言うべきで、そうすることが最も今の俊介に超えることができそうなハードルだったと言うのに、そのチャンスを逃して雨の中に消えていく妖精を見送ってしまったことを後悔した。

しかし実際に教室に入って見ると秋月穂香は友達に囲まれていて「ありがとう」と声を掛ける勇気が出てこなかった。

「ああ!なんで俺は阿久津俊介なんだ!」

お金を要求して礼も言えないなんて、まるで不良ではないか!

そういえば、さっき教室に入った時に一瞬目が合ったけれど直ぐにソッポを向かれたのは何故だ?

ひょっとして彼女にしてみれば

『不良から金を巻き上げられてしまった』

と、思われても何の不思議もない。

要求したのはクラスの落第生、阿久津俊介で要求されたのはクラスの秀才秋月穂香なのだから。

こんなことなら雨の中をずぶ濡れになりながら走って行けば良かった。そうしたら誰か一人でも自分を哀れに思ってもくれるだろうし、もし誰にも哀れんでもらえなくても不良に思われることは無かっただろう。

俊介は、その日一日お金を借りたことを後悔しながら過ごすことになった。当然勉強をする気分にもなれないで、ただ、ただ後悔の念が俊介を重く包んでいた。



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