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秘密  作者: 湖灯
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ツバメ事件

   ツバメ事件


 梅雨時期の教室は快適とは程遠い環境だ。

勿論七月や補修時期の八月の教室も暑さで授業どころではないが、天気が良いので外の揚々たる景色を眺めながら時間を潰せる。

ところが梅雨時期は教室の窓と言う窓を開放したところで風も入ってこないばかりか蒸し暑く、外の景色もどんよりとした天気同様に何の魅力も持てない。

現在は五時限目、昼食を終えた体は睡眠を求めているというのに授業は英語、なんだかよく分からない言葉が俊介の耳には御経のように聞こえ余計に睡魔が襲う。

雨でも降り始めれば少しは涼しくなり快適な睡眠になるはずだが、雲はどんよりとしたまま蒸し暑さだけを地上に注ぐ。

俊介が睡魔に身を任せようとしている最中にも周囲の生徒たちは授業に打ち込んでいた。

彼ら(彼女ら)は、この蒸し暑さを不快に感じとる正常な神経を持ち合わせてはいないのだろうか?

教室を見渡すと窓際の秋月穂香に目が留まった。どうやら彼女も蒸し暑さを感じる感性を持ち合わせて居ない種族のようだ。

それにしても、眠い。

そして、暑い。

だるい。

「雨よ、降れ!」

そうすれば少しは快適になるだろう。

そう思いながら廊下側の開放された窓から空を眺めていた。

その時、不意に黒い物体が急速に近づいて来るのを認めた。

黒い物体は次の瞬間には俊介の頬をかすめて教室に突入してきた。

「わっ!」

俊介は思わず叫んだ。

黒い物体の端が僅かに頬に当たるのを感じた。

教室中が、どよめいた。

黒い物体の正体は「ツバメ」だった。

ツバメは俊介の頬をかすめた後、何人かの生徒の頭上を通り抜け、ノートをとるため少し前かがみになっている秋月穂香めがけて真っ直ぐに飛んでいた。

『危ない!』

声に出す間もなかった。

次の瞬間、秋月穂香は身を起こし廊下の方に顔を向け、その時俊介と目が合った。

穂香は驚いたような目をしたまま俊介を見ていた。いつもなら女子と目を合わすことを避けていた俊介も何故か目を離せない何かを感じた。

ツバメは穂香の、頬をかすめ窓から外に飛び出して行った。

「きゃーっ!」

女子の何人かが叫んだのをきっかけに教室中が急にざわめきはじめた。

「なに?なに今の!」

「ツバメ!?」

「何で?!」

「信じられない!」

「どこから入って来たん?」

生徒たちが各々感じたことを感じたままに声を出していた。

授業は完全に中断してしまい教室中の生徒たちが前や後ろ右や左のクラスメートと、今起きた出来事について話しはじめだした。

俊介と穂香の二人を除いて…。

「俊介!今の何?」

三木が後ろを振り返って聞いてきた。

「俊介!大丈夫だった?」

「俺のところから見たら、俊介の口からツバメが飛び出した様に見えたけど、口大丈夫か?」後ろの席から、本田と進藤もやってきて話した。

「大丈夫だけど、驚いたなぁ」

俊介は離せないでいた目を集まった友達のほうに向け、いつものように落ち着いた口調で話した。話しながら秋月穂香のほうをチラッとだけ見ると、こちらにも友達が集まっていた。

「穂香、大丈夫だった!」

「危なかったねぇ」 

「後ろで見ていたら完全に穂香に当たってしまうコースだったのに、避けられて良かった~。ひょっとして教室に飛び込んでくる時から気がついていた?」

穂香の周りにも沙希、麻衣子、直美が集まってきて穂香のほうも俊介から目を離し、その対応をした。

ツバメの襲撃で中断してしまった授業も先生の合図で、席を離れていた生徒たちも各々の席に戻り授業も再開された。

沙希と直美が

「えー…!もう?」

と、まだ話し足らない様子で渋々引き返した。穂香は沙希と直美が自分の席に戻るのを目で追うついでにチラっと俊介のほうを見たが、こちらはまだ三木と話をしていて、もうこちらを見る様子は無かった。

穂香は何故かそれが、つまらなく思えた。


 HRが終わると生徒たちは大きく三つの行動パターに別れる。

一つ目は、部活に向かう生徒。

二つ目は、帰宅する生徒。

三つ目は、学校に残り友達とおしゃべりをしたり、勉強の続きをする生徒。

穂香は部活動に入っていなかったので大体二つ目の帰宅する行動パターンだった。

たまには友達と、おしゃべりをして帰ることもあったが、それでも遅くまで学校に残ることは無く早めに切り上げて帰っていた。

その日は『ツバメ事件』の事もあり、少しその話などをした。

話も終わり教室を出る時に、まだ俊介たち棋道部の四人組は部室に行かず屯していた。

俊介に目をやったが、相変わらず三木と話をしていた。

「1対3」

俊介が穂香を見た回数と穂香が俊介を見た回数の得点差が頭に浮かんだ。

少し負けていることが悔しかった。

自分自身何故急に、こんな得点差が頭に浮かんだのか理解できなかったし、そういえば今日は三回も俊介を見てしまったが、特に腹が立たなかったことも不思議に思いながら、一階の下駄箱までの道のりを歩いていた。

靴を履き替えて外に出ると、学生食堂の横を過ぎて

「あっ!」

っと、叫びそうになった。

学校に三箇所ある校門のうち穂香が、いつも利用する北門の前に棋道部の部室がある記念会館があった。

阿久津俊介同様に、この建物の存在を今まで一度も気にしたことが無かった。

少し立ち止まって記念会館を見上げた。

「ここの三階が棋道部…」

と、思った時に学生食堂の脇の通路を賑やかに走ってくる一団が現れた。

進藤、本田、三木、阿久津の棋道部四人組だった。

先頭を走る進藤と本田は教室でも活発なほうなので普段どおり。三木もいつもニコニコしていたので左程驚くこともなかったが、一番後ろから走ってきた阿久津俊介を見た時、何故か彼だけが下を向いていて表情は見えなかった。

一団は穂香が見ていることなど全く気がつかない様子で、あっという間に学食の廊下を走り抜け記念会館に吸い込まれていった。

 記念会館の脇にある北門を出て、いつもは真っ直ぐに駅へと向かうのだが今日は何故か商店街のほうへ寄り道をしてみた。

平日五時の商店街は閑散としていた。

学校から、わりと近いのだけど滅多にここに寄ることは無かったので、店先に置いてある趣向を凝らしたチョーク看板や陶磁器店に吊ってある色とりどりの風鈴などを見るのが新鮮だった。

チョッと気の早い七夕を飾ってある店舗も何店かあり涼しげな印象を与えていて、これも気持ちよかった。

洋菓子店の前の七夕飾りに、小さい子が願い事を書いた短冊が沢山飾られてあり興味深く見入っていた。

立ち寄ったついでに、その洋菓子店でクッキーを買って出た。

そのまま駅に向かって歩いていたが、ふとゲームセンターの前で足が止まった。

「ゲーム好きの阿久津俊介は、こういった所によく出入りするのだろうか…」

入り口の外から少し中を覗き込もうとしたが、後ろから大学生らしい男性が穂香の直ぐ横を通り抜けて入っていったことに驚いて覗くのを辞めて、それから小走りで駅へ向かった。

何故だか頬が火照るのを感じた。

改札を抜け電車に乗ると走り出した電車の窓からS高の校舎の一部が見え、その端に記念会館も見えることに気がついた。

「へえー電車から見えるんだ」

いつもは英語の単語帳に向き合っていたので気がつかなかった。

家のある駅で電車を降り、そこから十五分歩いて、帰宅した時には六時を過ぎていた。

「ただいま!」

「お母さん、ハイこれ上げる」

洋菓子店で買ってきたクッキーの袋を食卓のテーブルに置くと、既に食事の用意がしてあった。

「今日は遅かったのね」

お母さんがスープを温めながら言った

「うん。帰りに商店街のほう寄ってきたから…お父さん今日も遅いの?」

穂香の父親は来月に東京で行われる重要な会議の準備のため、最近毎日のように帰りが遅いので気になった。

「あっそうそう、今日教室にツバメが入って来たよ!」

穂香は急いで食事を食べながら、今日学校で起きた出来事などをお母さんに話した。

食事が終わると、直ぐにシャワーを浴び歯磨きを済ませて二階の自室に上がった。

まだ時間は八時前だが道草をした分いつもより遅い。

そして、いつもならもう寝ている時間だ。

穂香は時間割で午前中に集中する国・数・英の主要三教科の授業を一番良い状態で受けたかったので遅くても九時までには寝て翌朝は三時か四時に起き宿題と予習・復習をしていた。もう中学生の頃からこのスタイルを定着させていて自分では気に入っているのだが、難点は友達の話すテレビの話題についていけないことだった。

部屋の灯りを消してベッドに潜り込んでみたものの、この日はナカナカ寝る気になれなかった。

再びベッドから起き上がり、机から修学旅行の写真を引っ張り出し旭山動物園の写真を眺めた。

妙にツバメがかすめていった頬が熱く感じられたので鏡を見たが腫れてはいなかった。

「大輔のやつ…」

穂香は連絡ノートを広げて呟いた。


「ビックリしたなぁツバメ」

HRが終わった後、三木が後ろを振り返って俊介に言った。

「雨の日の前は地上スレスレに飛ぶんだろ」

「すると、ここは二階だから…明日の天気は曇り!」

「上昇気流が少ないと地上付近を飛ぶらしいって聞いたぞ」

本田がやってきて言った。

「教室に入ってくる直前に気がついたけど、あのツバメ俊介に当たらなかったか?」

進藤もやって来て言った。

「あー…少し前に気がついていたんだけど危なかったぁ~。頬をかすたんだぜ!」

「ツバメとファーストキスって、どう?」

「超、体験してみたい!」

本田と進藤が、ふざけて笑った。

俊介も一緒に笑ったが二人が立っている間から秋月穂香が帰り支度をしているのが見えた。

話はその後、今注目のアニメの話や皆で読みまわしているライトノベルの話に移った。

調子に乗って話をしていたら部活開始時間がとっくに過ぎていた。

特に慌てるわけでもなく階段を降り下駄箱の横を通り過ぎる時、下駄箱の陰で一組の男女が話しをしているのが見えた。

「しっ!」

進藤が一番に見つけ、静かにするように手で合図をした。

下駄箱の配置からすると三年生らしかった。

何やら恋人同士のような雰囲気が漂っていたので四人はドキドキしながら相手に見つからないように覗いていた。

女子は、やがて男子の肩に頭を持たれかけた。

‘これ以上覗き見てはいけない!‘

これは四人の共通認識だったようで、足音を立てないようにゆっくりと、その場から離れた。下駄箱を通り過ぎ職員室のある一棟の階段のところまで、そのようにして歩いた後は誰彼となく「わあ!」と、はしゃぎたてて走った。

丁度一棟の角を曲がった時に俊介はハッとした。

秋月穂香が立ち止まって空を見上げている。

そして‘ゆっくりと‘顔を俊介たちの一団のほうに向け驚いたような表情で見ていた。

おそらく時間にしては一瞬なのだと思うが、その一連の動作のひとつひとつが俊介には、まるでスローモーションのように映った。

そして俊介から見えた穂香は、その大きく澄んだ瞳に何が映っているのか分かるくらい近くに見え、吸い込まれそうなほど清く涼しげ輝きを秘め、ポニーテールに結んだ髪は六月の風にたなびき、白色の制服のブラウスは空から注がれる七色の光を周囲に反射して眩しく見えた。

なんとなく、毎日朝露の最初の一滴を飲んでいないと生きていけない妖精のように感じられた。

そして穂香の大きな瞳が進藤を見て、本田、三木と順番にキラキラと輝きながら動いていくのが分かる。

「次は俺を見る」

そう思った時、俊介はとっさに顔を下げ穂香の瞳から逃げてしまっていた。


 棋道部の部室でパチンと碁石の音が響いた。

三年生の先輩を相手に碁を打っている俊介。

七月に行われる全国大会に向けての地区予選会が迫っていた。

いつもはカードゲームなどを楽しんでいたメンバーも今は個人戦の上位を狙って、団体戦の優勝を狙って、そして最後の大会となる三年生に良い成績を収めてもらう為、皆本気モードで碁に打ち込んでいた。

部室全体が異次元の空間のように二十人の部員の誰一人として言葉を発する者はなく静かに時だけが流れ、ただパチンパチンと碁を打つ音だけが響いていた。

六時半の最終下校時刻のチャイムがその静寂を破り部室のあちこちで、それまでの緊張を解すかのように溜息が聞こえてきて、この部室も普通の高校生が集う部屋へと戻った。

その日の俊介は、やけに集中力があり三年生を相手に二勝二敗の五分の成績だった。

投了前にチャイムが鳴り途中やめになってしまったが、試合は俊介の方が優勢で進んでいたと自分では思っていた。

もっとも優勢だと思っていても、たった一手で立場が逆転してしまうのが碁の怖さだ。

常に集中し続けていなくては勝てない。

部室を出て皆と別れると、俊介は急いで商店街のゲーセンに向かった。

なんとなく…いや、少しでも早く大輔に会い今日の『ツバメ事件』のことを話し、そして秋月穂香という女子が自分のクラスメートであると言うことを伝えたかった。

しかしその日は、いつもの場所で何時まで待っていても大輔は現れず、結局行っていない塾の終了時間が来てしまったので俊介はゲーセンを後にした。

「まあ約束して合っているわけではないから仕方がないか…」

俊介にとっては、何だか肩透かしをくらったような、妙に消化不良な感じがした。

家に帰って食事と風呂を済ませた後、珍しく数学の教科書を開いて溜まっていたプリントの極一部に取り組んだが授業をサボりすぎていたため、その殆どが分からなかくナカナカ空欄を埋めることが出来なかった。イライラしてきて直ぐに諦めてボーっとしていた。

しかたがないので、とりあえず寝ることにしてベッドに潜り込む。暗闇で目を閉じると、今日起きたことを思い出して直ぐには眠れなかった。

ツバメが舞い込んできて自分の頬をかすめて、次に秋月穂香の頬をかすめて飛び去っていったこと。

部室に向かう途中で出くわした秋月穂香の幻想的に近い描写がグルグルと俊介の頭の中を駆け巡っていた。自分自身、異性に相手にされるような人間ではないと諦めていたのに、この気持ちは何だ!

しかし次の瞬間には、この気持ちは幻だ!

夢だ!いかさまだ!俺のような出来損ないが、あの成績優秀で美貌の秋月穂香から相手にされるはずは決してないのだ!

そう思うと急に眠気が襲ってきた。


 『大輔へ』

今日は凄い事件がありました。

教室の中をツバメが通り過ぎて行ったのです。

友人によると教室に入ってきたツバメは真っ直ぐに私めがけて飛んで来たそうです。

私は、そんなことも知らずに黒板を書き写していたノートから目を離し、姿勢を変えたため間一髪ツバメとの衝突は回避できましたが

ツバメは私の、頬をかすめて去りました。

その後、教室はツバメの話題で一時授業が中断するくらいの大騒ぎになりました。

怪我はなかったけれど、気のせいかツバメがかすめて行った頬がまだ少し熱いような気がします。

 

 暗い部屋の片隅に座り大輔は穂香からの連絡ノートを読んでいた。



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