水族館
七月十九日、朝から空は晴れ渡り夏の日差しがまぶしかった。
水族館のある駅には風鈴がたくさん吊り下げられ、潮風に揺られると心地よい音色で駅に佇む人たちに涼をささげていた。
穂香が電車から降りたとき、ホームには直美と沙希、それと麻衣子と三木が既に待っていた。
同じ電車から進藤と本田そして俊介が降りた。
女子の中では穂香だけが遅い電車だったのでちょっと恥ずかしかった。
前の晩に、クローゼットの中を引っ掻き回して色々迷っていたのだが、あまり目立たない柄のサマーセーターとギャザーのスカートに決めていたのを、出る前になって急にまた迷ってしまい結局スカート部分がマリンボーダー柄になっているシャツブラウスに変更し、それにサマーカーディガンをはおり、ポニーテールも水色のリボンで結び直し、全体の服装が替わったのに合わせて靴もスニーカーから水色のサンダルに変えた。
この変更のために時間がかかってしまい、一つ前の電車に乗り遅れてしまった。
久しぶりのおしゃれにウキウキしたがちょっと不安もあった。
一応直美からは『せっかくだから皆おしゃれして来ようね』と言われていたのだが、自分だけ浮いていないかも心配だった。
駅に着くと女子たちはお互いの服装をほめあった。
直美は、ブルーのブラウスにベージュのチノパンにスニーカーと、活動的な雰囲気の彼女らしい選択。
麻衣子は、ノースリーブの淡い黄色のブラウスに薄いグレーのフレアスカートで靴は白のサンダルでかわいらしい。
沙希は、マリンボーダーのパーカーにネービーブルーのスリムジーンズと靴はジーンズ生地のスニーカーで、背の高いスポーツ少女らしい、さりげなさがよく似合っていた。
そうやって女子たちが洋服の話をしていたときに直美が「それに比べて我が男共は」と、自販機の所で集まって話をしている男子を見てあきれていた。
三木くんは白色のシャツにベージュの綿パン。
本田くんは紺色のTシャツの上に白のシャツをはおりズボンはブルージーンズ。
進藤くんはベージュのシャツに紺色のジーンズ。
阿久津くんは白のTシャツの上に黒っぽいシャツをはおり、白のジーンズ。
四人とも、おしゃれとはほど遠い格好だった。
直美はダサいと言っていたが穂香は男子のファッションに関してよく分からないので特別おかしいとは思わなかったし、いつも学校で見慣れた制服以外の服装に新鮮さを感じていた。
男子の中で、俊介と三木の二人が肩から小型のバッグをぶら下げていたので直美がゲーム機を持ってきていないか中身のチェックをしていた。
これは、せっかく楽しい水族館なのに修学旅行のように男子が背後霊にならないための対策で、今回の計画の際に予め決めておいた注意事項のひとつだった。
注意事項は他にもあって大体は八人そろって行動すること、バラバラになる時は必ず男女のペアで行動することだった。
穂香は、この男女ペア行動には反対だったがナンパ目的で来ている他の学校の生徒や大学生にせっかくの楽しい時間を邪魔されたくないとのことで、直美たちに押し切られた。
一応、その際に基本ペアが決められた。
一組、直美と三木くん。
二組、麻衣子と本田くん。
三組、沙希と進藤くん。
そして四組、わたしと阿久津くんだった。
一組と二組は、それぞれ同じ中学出身でスンナリ決まって、三組は、自由奔放に動き回る進藤を穂香では持て余すだろうという事で気の強い沙希が見ることになり、余った阿久津くんとわたしが四組でペアを組むかたちになった。
阿久津俊介とのペアを組むことになって穂香は、この水族館での出来事が自分にとってきっと特別なものになるような予感がした。
迷子になった場合のことも考えて、それぞれの携帯電話の番号とメールアドレスを交換し合って水族館に向かった。
入り口で、それぞれチケットを買って中に入ると、外の日差しや暑さから解放された冷んやりとした薄暗い空間は、まるで深海に迷い込んだような錯覚を感じさせた。
館内に入ってすぐ、正面に大きな水槽があり巨大なエイやサメが出迎えてくれた。
暗闇の中でエメラルドグリーンに輝く水槽の中で悠々と泳ぐ魚たちに皆感動し夢中になった。
ただし女子の、喜びを外向きに発散させる感動と、男子の物静かな「関心」の対比は、まるで水槽の外から見える景色と中から見える景色の違いほどあり可笑しかった。
しばらく大水槽の幻想的な世界を楽しんだ後は順路にそって移動し熱帯魚やカニ、エビ、クラゲ、イソギンチャクなど色とりどりの水中生物に女子たちは感動し、男子たちは関心し、盛り上がり的には男女別々のグループが一緒に周っている感じだった。
男子たちが関心する理由は、物知りな三木くんによる魚の生態に関する説明が大きな原因だった。
途中、直美が三木を呼び出して男子たちの、やる気のなさを注意したが三木は充分楽しんでいて盛り上げているつもりだと反論した。
その雰囲気が一変したのはイルカのショーだった。
ショーの開始時間よりも早く入場したので中はまだガラガラだった。
女子たちは、とりあえず日陰の空いている席に座って開始までの時間をおしゃべりして過ごしていたが、男子たちは小さな子供のように落ち着きなく会場内を歩き回っていた。
しばらくすると男子四人は二つのグループに分かれた。
やたらと会場内を動き回っているグループは進藤と本田、プールの中を真剣にのぞいているグループは三木と俊介だった。
穂香は直美たちとおしゃべりをしながら時折俊介に目をやっていた。
開始時間が近づいてくると、次第に観客も集まってきて進藤が席を移動して良い所で見ようと言い出した。
進藤は正面左側のイルカがターンする所が良いと言ったが、俊介が珍しく違う意見を言った。
俊介が選んだのは正面から六段下がった席で、全体に見やすそうだし水しぶきも来ないだろうという意見だった。
水しぶきが来る、来ないは座席下のコンクリートの汚れで判断し六段目より前だと、かなり水しぶきが来るらしいと付け加えた。
穂香はプールの中ばかりのぞいていた俊介が、いつの間に観客席の汚れ具合をチェックしたのか分からなかったが、よく気が付くと感心した。
二人の意見を尊重してグループは二つに分かれることにした。
進藤の提案した正面左側最前列には、進藤、本田、沙紀、麻衣子。
そして中央六段目に、俊介、三木、直美、穂香。
穂香たちは直美の指示で左から俊介、穂香、直美、三木の順に座った。
ショーの開始十分前には満員となり、ワクワクしながら時間を待つ間、直美とおしゃべりをしながらあまりにも近い俊介との距離に気が遠くなるくらい緊張していた。
ショーが始まるとイルカたちは元気よくプールの中を泳ぎまわりインストラクターの指示通りに色々な芸を披露していた。
プールの中央でイルカがジャンプしたときに、前の席までは結構大粒の水しぶきが飛んできていたが、俊介が選んだ六段目の席には水しぶきは舞うものの、それは涼を感じさせる心地よい程度のものだった。
そしてショー全体がよく見渡せイルカも近くてなかなか良い席を選定したものだと改めて感心していた。
ショーの終盤に入りイルカの動きも絶好調になったとき、左前の席からキャーという大きな声が聞こえた。
驚いてそちらをみるとイルカたちが高速でターンした時に進藤たちの席周辺にたくさんの水しぶきというよりも、まるで波が襲ってきた感じで、そのエリアにいた観客たちが「ずぶぬれ」になった。すぐに係の人が飛んできてタオルを渡していた。
イルカのショーが終わって外に出ると「スマン!スマン!」と笑いながら、それでいて申し訳なさそうに進藤が小さくなって皆に謝っていた。
「もう!ずぶ濡れじゃない!」と麻衣子が進藤に強い口調で言った。
沙紀は少しだけ進藤を擁護するように「でも、わたしは未体験ゾーンを経験した快感は味わえたと思うよ。濡れたのは正直やばいけどね」と、言い終わるとすぐ進藤を睨みつける仕草をして笑った。
進藤はさらに小さくなった。
「まあ!間近でイルカを見られた代償かな」と、麻衣子も今度は笑っていた。
四人の中でも一番濡れ方が酷かった本田は靴を脱いで靴下を絞っていた。
本田は水しぶきというより波が襲ってきたときに、とっさに立ち上がり皆の盾となっていたので頭のてっぺんから足の先まで濡れていないところがないほどの濡れ方だった。
進藤たち四人は借りたタオルで一通り頭や衣服を拭いた後、洗面所に行き濡れた衣服を絞りに行き、穂香たち濡れていないメンバーは日陰のベンチで荷物番として待つことになった。
皆の荷物を置き終わるとすぐに直美が沙紀たちの世話をするため洗面所に行ってくるというので穂香も手伝うというと、女子洗面所は混み合うから二人は駄目だと断られた。
その代わり「あんたは男子の世話をするのよ!」とのんびりくつろいでいた三木の手を引っ張り連れて行った。
三木は不承不承ながら「なんで~!」と叫びながら連れ去られてしまった。
日陰のベンチには穂香と俊介の二人。
急に静かになった空間に微かな風が海の香りと波音を涼しさと共に運んできた。
「なんか飲む?買ってこようか?」
不意に阿久津君が、そう言ってくれた。
わたしはうれしかったけれど、ほかのみんなが大変だったので断ってしまった。
見上げると眩しすぎるくらい青く輝く空の下、波の音に混じって遠くで鳴く海鳥の声が聞こえた。
「イルカショー楽しかったわね」
「うん・・・」
返事をしたあと、俊介は少し咳払いをした。
緊張で喉がカラカラだったから。
チリンチリンと、どこかに吊り下げられてある風鈴の音が響いた。
「イルカショー見るのって何回目?」と、俊介がほのかに聞いた。
「わたし中学まで長野に住んでいたから初めてよ」
「長野かあ、じゃあ水族館自体ないか」
海がないイコール水族館もないという発想が、何となく子供っぽくて可笑しかった。
「一応あるのよ、イルカはいないけど」
「へえ……あるんだ」
わあーっと子供たちの一団が歓声を上げながら通って行った。
「阿久津くんは、何回も見に行ったことあるの?」
「小学生のときに行ったきりで今回が二回目」
「良い席だったね。近くで見られたし、水もかからなくて」
「俺、小学生のときに進藤たちの座った席で見たことがあるんだ、そのとき今日と同じようにイルカが尾びれで水を掻いたからバケツをひっくり返したような水がかかって頭から水浸しになったんだ。だから進藤があの席を選んだときに止せって言ったんだけど、アイツ面白がって……」
「まあ!」
穂香は経緯を知って大きな目をさらに大きく開けて驚いた。
「あっ…これ内緒にしてくれないかな、アイツだってわざとみんなをずぶ濡れにしようと思っていたわけじゃないんだから」
俊介から「内緒」と言われてドキッとした。
『内緒』ってつまり…二人の間の秘密事項で『共有』する秘密ってことだと思った。
「はい」
穂香はドキドキして少し返事をする声が、かすれなかったか気になった。
チリンチリン!
チリンチリン!
チリンチリン!
少し大きな風がやって来て風鈴がにぎやかに鳴った。
水平線がきれいだった。
「みんな遅いなあ」
「わたし見てきましょうか?」
穂香はすぐに腰を上げた。
「ちょっと待って、三木に連絡してみる」
かばんから携帯電話を取り出し三木へ電話した。
三木はすぐに電話に出て、すぐ戻ると返事をした。
同じように穂香も直美に連絡していて、こちらもすぐ戻るということで、連絡して本当にすぐに皆戻ってきた。
「うぉ~っ!のどが渇いた~!」
そう大声を上げながら一番にやって来たのは進藤だった。
全員集まって、とりあえず何か飲もうということになった。
「じゃあ、わたしメニュー借りられるか聞いてくるね!」
穂香は言い終わるとすぐに売店のほうにかけて行った。
どちらかと言うと、おとなしい印象のある穂香にしては珍しい行動であり、その積極的な行動こそ彼女の中で唯一欠けていた魅力だった。
夏の日ざしのせいか、あたりはやけに白っぽく、かけて行く穂香のうしろすがただけが色合いを帯びていて皆その姿を目で追っていた。
メニューを見ながら各々が好きなものを注文し、それを聞いてまた穂香はお店に向かったが、このときは俊介も手伝うためにいっしょに行った。
「なんか、いい感じじゃない?」
直美が皆に言うと
「俺、穂香さんにほれなおしちゃったよぉ~」と進藤と本田が言った。
「お前らがほれて、どうすんだよ!」と、沙希が二人をにらみつけた。
「なんか俊介たち、ぼくらが心配するよりうまくいきそうだね」
三木がぼそりとした口調で言うと直美が三木をのぞき込むようにして「うらやましいんでしょう!」と、からかった。
三木は、そんなことはない!とけっこうムキになって反論していた。
「なんかアンバランスだけど、けっこういい感じじゃない」と麻衣子が言った。
実は麻衣子は穂香には、もっとかっこうが良くて頭の良い男子があっていると思っていて、最初に阿久津俊介との関係に気がついたときは乗り気ではなかった。
それに対して本田が「クラスでは目立たなくふるまっているけれどアイツ野球もサッカーもけっこう上手いんだぜ!剣道なんか、小学のときに県の強化選手に選ばれて、うちの剣道部でも一年生にすごいやつが入ってくるって期待していたって聞いたぜ」と俊介をかばった。
「実際、剣道部の連中は何回も勧誘に来ていたし」と、進藤も補足した。
女子たちは意外な事実を知ったという感じで聞いていたが沙希が、なぜ剣道部に入らなかったのか不思議に思って聞いた。
県下でもそう強くないS高の剣道部ならすぐにレギュラーとして活やくして人気が出そうなのに。
「さあ、俊介は剣道のことは話したがらないからよく知らないけど、いろいろ人間関係が嫌だったんじゃないか?だって俊介の地元には県大会ベストエイト常連のT高だってあるんだから」
「剣道続けるんだったら普通はT高に行くよな、あっちだって一応は進学校なんだから」
今度は本田がほそくした。
話しているうちに、俊介と穂香は注文したものを持ってきたので二人に関する話はここでやめた。
本田がおいしそうにメロンのフラッペのアイスをのこして下のほうからほじくるように食べていると隣に座っていた麻衣子が「えいっ」と言って一口アイスをさらっていった。
本田はおどろいて「おぉっ!」と叫び、アイスが食べたいのならフラッペを頼めばいいのにと文句を言っていた。
言われた麻衣子のほうは笑いながらかき氷派だけどちょっと浮気したと言い、話題は『フラッペ派』か『かき氷派』か、ということになった。フラッペを頼んでいたのは俊介、進藤、本田、沙希の四人でかき氷のほうは穂香、麻衣子、直美そして三木だった。
おおむね頼んだ品物の派閥だったが、進藤が三木のかき氷に着目した。みんなの食べているのがブルーハワイだのメロンだのイチゴだのフルーツ系だったのに対して三木の食べているのは『宇治金時』だった。『渋い』とか『日本男児』とかちゃかされていたら三木が反撃に出た。
「そもそもかき氷のシロップは全部同じ味なんだよ。それに香料や酸味料・着色料を入れて雰囲気を出しているに過ぎない」
みんながうそだぁ~と言うと三木は続けて「目を閉じて鼻をつまんで食べてみなよきっと何の味だかわかんないから」
半信半疑だったが、とりあえず試してみることにした。
まず男子が目をつむり、その間に目の前のものを入れ替えて食べた。
そして次に女子が同じことをした。
すごく楽しかったが、俊介は穂香が目を閉じてかき氷を食べるとき、その大きなひとみが閉じられてクローズアップされてしまう長いまつげや、つややかな唇に一瞬衝撃を受け目のやり場に困ってしまった。
休憩を終えて、ラッコやペンギンのショーを見て楽しい時は駆け足で進み、閉館近くになり皆でお土産物売り場に入った。
八人でここへ来た思い出にイルカのキーホルダーをひとり一個ずつ買ってお揃いにした。
穂香はそれを二個買っていた。俊介も大輔に渡そうと思い二個買った。
お土産物売り場を出ると少しだけだったが偶然、穂香と俊介の二人きりになる時間があった。
二人はお土産物売り場の前のベンチに座っていた。
俊介は少しだけ穂香がイルカのキーホルダーを二個買った理由も知りたくて聞いてみた。
ひょっとしたら転校していく大輔に渡すのだと思っていた。自分はそのつもりだった。
だけど、そんなことストレート過ぎて今の俊介には聞ける度胸はなかった。
替わりに大輔から教えてもらえなかった彼の転居先住所を、もしかしたら知っているかもしれないと思い聞いてみた。
「あの、俺の友達で一学期の夏休みで転校してしまう人がいるんだけど」
穂香は何のことかわからないまま聞いていた。
「そいつ、苗字は知らないんだけどゲーセンでよく会うんだ。大輔って言って君のことも少し知っているみたいなんだけど」
「大輔」と聞いて穂香はギョッとした。
名前は「大輔」ゲーセンで遊んでいる……。
「阿久津君!大輔のこと知っているの!?」
穂香の少し強い口調に驚きながらも、知っていると返事をすると「会ったの!?」と矢継ぎ早に聞かれた。
「た・たまに会うだけだけど……」
穂香の態度に俊介は聞いてはいけないことを聞いてしまったと思った。
「たまに会う……」
その言葉は俊介に投げかけられた言葉ではないことがすぐ分かるくらい小さな言葉だった。
「たまに会う」
穂香は同じ言葉を二度繰り返して言った。
大輔と穂香の関係がどんなものかさっぱり分からなかったが、聞いてはいけないこと、出してはいけない名前を出してしまったと思った。
このことで穂香が酷く動揺しているのが分かった。
「どうしたの?秋月さん!俺何かまずいこと言った?」
俊介も動揺して焦った。
俊介の言葉が耳に入らなかったのか、しばらく穂香からの返事はなかったが急に
「阿久津君、その大輔ってどんな子だった?」
やけに真剣で凍るような瞳が俊介の目の奥のほうまで覗き込んできた。
「背は…俺より少し高くて、顔立ちも良くて頭の良さそうな…ゲーセンには似合わない感じだけど」
「なにか他に言っていなかった? たとえば昔何かのスポーツをしていたとか」
穂香は執拗に大輔のことを聞いてきた。
俊介は少し考えてから、大輔に関して思い出したことを伝えた。
「たしか小学生のときまでサッカーをやっていたって言っていたかな、ポジションはフォワードだって」
小学生・サッカー・フォワード……大輔に間違いないと穂香は思った。
でも、何故……。
それから穂香は考え込むように、一言も話さなくなった。
やがて、皆が戻ってくるころには閉演時間を告げる音楽が鳴りはじめ名残惜しそうに揃って水族館を出た。
西の空が赤紫色に染まり辺りは全く違う世界に感じられた。
細く長い影が皆に着いて来る。
穂香の表情には暗い影が差していたが赤紫色の世界が、その表情を隠していた。
駅のホームで電車を待つ間、男子たちは楽しそうにイルカの泳ぎ方とか今日見たことを各々体で表現して遊んでいた。
女子たちはベンチに座ってそれを見ながら『元気だよね~』と話していた。
電車は結構空いていて皆座ることができた。
男子は、さっきまでの元気が嘘のように皆寝てしまったが、女子もその点では全く同じ状況だった。
俊介と穂香の二人を除いては。
二人は別々の席で同じ星の輝きをただ眺めていた。ガタゴトと暗い銀河を電車が駆け抜けて行った。
秋月穂香が電車から降り駅の改札を出ると、お母さんが手を振って出迎えてくれ、すぐ近くに駐車してあるお父さんの車に乗った。
何か食べて帰るか聞かれたが友達とたくさん食べてきたからと断った。
両親とともに長野から越してきてから、ただ学校と家を往復するだけの娘が初めて友達と遊びに行ったことを喜び、そして心配してくれているのだ。
穂香は話しかけられる内容すべてに努めて明るく答えた。
本当は心も体も疲れ果てていた。
家に帰ってお風呂に入ったあと、食卓でアイスを食べながらしばらく水族館での出来事を話した。
すぐに二階に上がらなかったのは両親にいらぬ心配をさせたくなかったから。
歯を磨いて二階の自分の部屋のドアを閉めると身を投げるようにベッドに、うつ伏せになった。
なぜだか急に涙がこぼれだした。
いつの間に眠ってしまったのだろう。目が覚めたときにはすでに十時を過ぎていた。
昨夜は、うつ伏せに倒れこむようにベッドに入ったはずだったのに、起きたときはちゃんと夏蒲団をかぶっていた。
きっとお母さんが夜中に来て掛けてくれたんだ。
涙の跡は見られなかっただろうか……。
階下に降りると、もうお母さんはパートに出ていた。
お父さんは明日から東京で会議があるらしく休めないと言っていたので、休日なのに家には穂香ひとりだった。
誰か訪ねて来られて困るので、パジャマを着替え洗面所で顔を洗い、髪を整えておいた。
鏡に映った自分の顔をしばらく観察していたが特に今までと違うところがなかったので安心した。
食卓にメモがあり、冷蔵庫の中にサラダとサンドイッチがあるから食べなさいと書かれていた。
冷蔵庫から取り出したサラダは、モッツァレラチーズとトマトのサラダで穂香の一番お気に入りのサラダだった。
そしてサンドイッチは、あっさり味のフルーツサンドで、これも穂香の好きなものだった。
朝食を食べながら昨夜忙しい中、駅までお母さんとともに迎えに来てくれたお父さん。
そして、パートに出る前の少しの時間を割いて娘の朝食を華やかに演出してくれたお母さん。
二人の愛情を受けながら育てられている幸せと、両親の愛情を独り占めしている申し訳なさで涙がこぼれそうになった。
食べ終わった食器を洗い、二階に昨日買ったイルカのキーホルダーを取りに行った。




