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天真爛漫パンダ  作者: 古賀克樹
3/3

野球好きの天ちゃん


 彼女の部屋に入ると、彼女はテレビを見ていた。僕に気が付いた彼女はこちらも見ずに

「時間ぴったりね」とだけ言った。

腕時計を見ると18時過ぎだった。

「ぴったりかな?」19時だったはずだ。

「喉渇いたからお茶とって」と今度はこちらを見て、笑顔で言った。

「かしこまりました」とだけ答える。

「予想とぴったりなのよ」と彼女は答えた。

 お茶を二人分テーブルに置くと、僕もテレビを覗き込んだ。野球中継だった。それもまだプレイ・ボールされる前の球場だった。選手達の練習の光景が映し出される。ファールかホームランか見分けるための長いポールも映し出される。選手の練習に戻る。背番号52がキャッチボールをしていった。

「ねぇ、野球に興味あったっけ?」疑問に思うや否や聞いてみる。

「あっ、見て! 見て!」と彼女は僕の左肩を右手で叩きながら、左手でテレビ画面を指差した。

「何かあるの?」聞きながら画面を見るが、観客席が映し出されているだけだった。身を乗り出してみるが観客の個別の顔がぎりぎり判別できるくらいの映り方だった。ウォーリーでも探すのか。

「右下のほう。あの麦わら帽子」彼女はテレビ画面を指差した。

僕は驚きのあまりに声を失った。何と、あのパンダが麦わら帽子をかぶって座っているのだ。

「天ちゃんいたよ」笑顔で彼女は振り向き、僕の驚いた顔を覗き込んだ。

「いやいやいやいや、ありえないでしょ」精一杯そう言った。それしか言うことがないのだ。お茶を手に取ろうとするが、手が震えていたためやめた。

「それじゃー、さっそくドーム行こう。ヤフードーム」といって彼女は立ち上がった。

「ちょっと待って、何でパンダが麦わら帽子をかぶって野球観戦してるんだ?」視線を彼女からテレビ画面にまた戻すが、練習風景に戻っていた。あれは、一瞬の錯覚ではないか。そう思いたくなる。30cmほどのぬいぐるみが1座席を陣取って座っていた。

「天ちゃんはソフトバンクホークスのファンなのよ。対戦相手の西武ファンじゃないから安心して」彼女は嬉しそうに一人で肯いた。

どこの球団を応援しているのかなんてどうでもいい。

「答えになってない。なぜ、パンダが人並みに行動していて、周りの誰もが気が付かないんだ。タオル売った奴とゲートを通した奴は何をやってるんだ」少し早口に口調が強くなってしまった。

「天ちゃんは頭が良くてアクティブだから何でもできるのよ」笑顔でそう言うと真剣な表情に変わった。

「周りの誰も気付かない? 世の中の人なんて自分に都合がいいことにしか目を向けないの。それか自分を見てる人ね。中にはちゃんと天ちゃんを認識した人がいたかもしれないけど、その人達は世界というものを理解してる」そこまで言うと星沙の表情が和らいだ。

 言っていることに理解はできそうだけど、起こっている現実に納得はできそうにない。

「天ちゃんは可愛いからみんな許してくれたんじゃないかしら」と言って彼女は微笑んだ。

「よりによって何で麦わら帽子のパンダが映るんだ?」状況が飲み込めなくて、どうしようもない自分がいる。質問も本当に聞きたいことからピントがズレてきている。

「そんなに麦わら帽子をかぶってる動物が珍しいの? 私、テレビで麦わら帽子をかぶった白い犬をよく見かけるけど?」彼女は微笑んだ。

「白い犬?」

「そう。凛々しい顔をした白い犬」彼女は肯いた。

それはきっと、お父さんだ。某携帯会社CMのお父さん……。

「さぁ行こうか」僕は立ち上がった。

これ以上の質問を重ねても無駄な気がした。彼女に全て聞こうとしても教えてくれないだろうし、分からないだろう。自分なりに理解して自分で納得するしかないのだ。そのために経験しなければならない。まずは天ちゃんに会う。

「リュック持って行った方がいいわ」と彼女は僕のリュックを差し出した。

「そんな予感がするんだね?」ヤフードームに着いてすぐに、天ちゃん発見にはならないということか。

「そのリュック似合ってるから」と親指を立てた。

「あ、うん。そうか、ありがとう」僕は苦笑した。


  *

 *


 マンションを出ると、すぐにタクシーが捉まった。

「ヤフードームへ。できるだけ早くお願いします」と僕は言う。

「了解しました。お二人で野球観戦ですか? 羨ましいですね」人の良さそうなおじいちゃんドライバーだった。目が細く垂れており、白髪で髭は生やしていなかった。見かけとは裏腹に口調と運転操作は機敏で頼りになりそうな感じだった。

 マンションを出るときにまわりを確認してなかったことを思い出した。すぐにタクシーのルームミラーを見ると、この車が発進すると同時に黒のベンツも同時に動き出した気がした。定かではない。もともと動いていたかもしれない。気にしないようにしたが、僕らの乗るタクシーがヤフードームの近くに移動するまで、そのベンツは全く同じ道を辿っていた。いつの間にかベンツはいなくなっていたが、ヤフードームとホークスタウンしか行き場のない場所までついてきたのだから、もし僕らを追ってきているのなら行き先はバレたはずだ。

 彼女に伝えようかと思ったが、つけられている確証も危険も定かではなかったし、心配をかけるのも嫌だったから何も言わなかった。だいたいパンダ失踪と謎の組織の関連は僕の勝手な妄想でしかないのだから。

 ミラーをちらちら見ながらヤフードームまで人の良さそうな運転手さんのソフトバンクホークス談義に相槌をうっていた。彼女はDSで太鼓の達人をしていた。大音量でだ。車内で井上陽水の『夢の中へ』が流れているのにも関らずだ。

「この辺で降ろしてください」と徒歩5分内くらいの場所で頼んだ。

「了解しました」と鋭く運転手は言い。荒々しく路肩に寄せた。扉が開いた。

「ありがとうございました」と言い、僕は3千円支払った。

「私、白鳥と申します。またお会いできそうな気がします」おつりを渡されながら言われた。扉は閉まり、すぐに白鳥さんが運手するタクシーは発進した。

「ねぇ、あの人ってお客さんみんなに『また会えそう』って言うようにしてるのかな? それとも僕らにだけだと思う?」前者なら白鳥さんの仕事のおまじないなのだろう。お客さんを大切にする気持ちが別のお客さんを引き寄せるといった類の縁かつぎなのだろう。そう言われるとまた会えそうな気もしてくる。後者ならパンダを探す旅のどこかで、ひょっとしたら助けられるのかもしれない。パンダが球場にいることを受け入れない僕がそう考えるのもどこか矛盾しているような気がして笑えた。

「ドン ドドドドドカドン ドドドドドカドン カカカッ カカカッ」と口ずさみながら彼女は完全に僕を無視した。

「ねぇ、みんなに言ってるのかな?」無駄なような気もしたが、もう一度聞いた。

「カカカッ ん? 何か言った?」太鼓のリズムの切れ間に彼女は答えた。

 ビゼーの『カルメン組曲一番終曲』の途中じゃ、彼女は僕と話してくれないなと自分を納得させた。すぐ目の前にあった自動販売機で飲み物を買おうと、財布を出したら、

「早くヤフードーム入りましょう。ぼーっとしない」と彼女に怒られた。


  *


 「大人二枚、場所はレフトスタンドでお願いします」

 お金を支払い僕らはドーム内に入ってゲートを潜った。

 さっそくスタンドに行こうとしたが、彼女がどうしてもチェリオを食べたいというので買ったが、想像していた味と違うと言い、僕の頭をそのチェリオで叩いた。もったいないので僕はそのチェリオを食べた。チェリオももったいないが、彼女に腹を立てる時間ももったいない。こんなことをしている間に天ちゃんは別の場所に移動するかもしれない。

 レフトスタンドに着いた。天ちゃんがいたであろう席を探す。念のため彼女からも目を離さないように気をつけた。連れ去られるかもしれないし、勝手にどこかに行くかもしれない。前者の場合は、松中がチャンスの場面で打つ確率以下だが、後者の場合は、川崎が女性ファンをデートに誘って快く承諾される確率以上だろう。

 一通り、天ちゃんがいたと思われる場所を見たが、いなかった。麦わら帽子にも注意した。誰かが抱きかかえていないかどうかも確認した。スタンドに入ってから15分が経過していた。これだけ探してもいないとなると、天ちゃんはあまりのホークスの弱さにがっかりしてもう球場を出たのじゃないかと思いたくなる。

 そんなことを考えた数十秒の隙に彼女が視界から消えていた。慌てて走り回ると売り子さんにぶつかりそうになった。彼女は麦わら帽子をかぶってホークスのタオルを首にまいた白のタンクトップのおじさんと話していた。人の良さそうなおじさんだ。いや、おじいちゃんか。とにかく見つかったことに胸を撫で下ろし、すぐに向かう。

「やぁ、こんにちは」僕が近くまで寄ると僕よりも先におじさんが挨拶をした。

「こんにちは」反射的に深々と頭を下げてしまった。

「私のことはケンと呼んでくれ。君が聞きたいことは全てこの子に話したよ」と言って彼女を見た。

「あ、ありがとうございます」何と言っていいかわからず、そう答えた。

「君達は珍しいね」

「何がでしょうか」と尋ねる。

「私が小さい頃から最近になっても君達みたいな心を持っている人間は少ないよ。想像もしないような困難に立ち向かい続けている君達は素晴らしいと思う」笑うおじさんの皺が、笑う表情を際立たせた。

「あまり見かけないということですか?」とりあえず質問をする。

「そういうことではない。私は自然とそういう人と出会う。けれど、昔から今もそういう人間は少ない。生きている実感を持っている人はね」

「僕は必死に目の前のことに集中して行動しているだけです。そんな実感はありません」

「それこそが自分に正直に生きているということだよ。君は好きな音楽を聴いている時、聞いていると考えるかい? 音楽と一緒になっているんじゃないかな?」

「確かにそうです」

「つまり好きなことを一生懸命し続ける状態、必死に目の前のことと一体になり続けることが生きているということだよ。たまに振り返って生きている実感を味わえば良い。時には思考する。けれど普段は遮断する。これが自分らしい人生を生きるコツだ。君はまだ考えすぎるところがあるようだ」

「はい」僕には相槌を打つことしかできない。

「こんなことを言わなくても君は充分そういう生き方を選択してきているのだけどね。そこのお嬢さんとの出会いが君を変えたね。人、ひとりの覚悟、生き方が他人の人生を大きく変えるんだよ。君にもその力がある。そこのお嬢さんに感謝しなさい」そう言うとおじさんは皺くちゃになって微笑んだ。

「困難にぶつかったり諦めそうになったら、人のために何が出来るかを考えて何度でも立ち上がりなさい」おじさんは右手を差し出してきた。

 恐れ多く、握手なんかしてもいいのかなと迷いながらも僕も右手を差し出した。

「グッドラック。陰ながら応援させてもらうよ」と力強く僕の右手が握り締められた。その力強さに僕の心も熱くなった。

「さて、行きましょう。どうも、ありがとうございました」珍しく隣で黙って話を聞いていた彼女が口を開いた。

「あ、ありがとうございました」僕も慌ててお礼を言うと、歩き出す彼女の後ろについて行った。



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