正午の鐘
時計の針は午前十一時過ぎ。
太陽はだいぶ高く登り憎たらしいほどの青空に唾を吐きたい気持ちを抑え、裕二は駅へ走っていた。
前から約束していたデートの待ち合わせは午前十一時。裕二の家から待ち合わせ場所まで一時間とちょっと。完全に遅刻である。いや、こんなに急いだ所で元から美里は来ていないかもしれないが。
裕二の彼女である美里は少々勝気な性格をしているせいか喧嘩になることが多々ある。つい先週も些細な喧嘩をしてしまったばかりだ。
しかし、その喧嘩はいつもの喧嘩より長引いた。喧嘩の原因は本当に些細なことだったのだ。それが拗れてしまい、美里は飛び出て着信拒否。何回かけても通話中だ。
「……っ! 美里……っ!」
それでも裕二は今日、この日のデートには行くつもりだった。……行くつもりだったのだが、緊張のあまり眠れず結果はご覧の通り寝坊。今までの最高時速で走っている。
駅に着きギリギリで滑りこんだ電車の中でひたすら時計を見ながら携帯を握りしめる。早く行きたいがこればかりは仕方がない。それにしても今日の電車は遅い気がしてならない。
心臓が痛い。雪女に心臓を鷲掴みされ、そのまま握りつぶされそうに痛い。電光掲示板を見ればあと三駅。時計の針は午前十一時四十分。冷や汗が止まらない。指先はこんなに冷たいものだったろうか。
駅に着いたのが五十分。待ち合わせの時間を1時間近くオーバーしている。普段は楽しみすぎて待ち合わせの十分前には着いているのにこんなに遅刻したのは初めてだ。全くもって嬉しくない。
待ち合わせの公園に着いたが、そこに美里はいなかった。裕二は時計台の下に崩れ落ちるように座り込んだ。携帯は相変わらず沈黙を貫いている。
この時計台は裕二と美里にとっての始まりの場所だ。出会いもこの時計台の下で告白もこの時計台の下だった。
そして今日、もう一つをここから始めたかった。裕二はポケットに入っている小さな箱を握り締めながら涙をこらえた。
pppp、pppp。
沈黙を貫いていた携帯が産声を上げるようにその場で鳴いた。裕二は相手を確認するやいなや慌てて電話に出る。
「美里っ!」
「裕二……」
電話の向こうからいつもよりか細く泣き出しそうな美里の声が聞こえた。泣いているのかと問えば小さく否定をされる。
「裕二、あのね。」
美里は声を震わしながら話し始めた。
「今までわがままばかり言ってごめん。 私、ずっと裕二に甘えてたくさん迷惑かけちゃったね。この前の喧嘩のことも、ごめんなさい。裕二は私のこと考えてくれたのに、わ、私は……。 今日、時間になっても裕二がいなかったからもう来ないかと思ってた。喧嘩もして着信拒否もしちゃって呆れられて終わりなのかなって、思って。でも、もしかしたらって思ってずっと待ってた」
裕二は小さく相槌を打ちながら美里の話しを静かに聞いていた。心がほんわかとあったかくなった気がする。彼女はこんなにも泣きそうなのに。不謹慎なのだろうか。ずっとつっけんどんだった彼女がこうやって心を寄せてくれている事実に裕二はたまらない気持ちになる。
これが幸せなのだろうか。
「裕二」
声がダブって聞こえた。
「まだ、私と一緒にいてくれる?」
珍しく今にも泣きそうな美里が裕二の目の前にいた。
「俺は……俺は今日、今までの関係を終わらせに来たんだ」
美里の顔が絶望の色に染まるが見え、罪悪感が生まれたと同時に少しのイタズラ心が芽生える。
「美里……俺はお前を愛してる。結婚しよう」
裕二はポケットに入っていた小さな箱を取り出しながら美里を見れば信じられないような、驚きに染まった顔の美里が見えた。
「わ、私で、良いの?」
「俺は美里が良い」
「私、めんどくさい性格だよ?」
「そこも愛おしく感じるよ」
「幸せにしてくれる?」
「一生かけて幸せにするって誓うよ」
もう言葉が見つからないのか目をキョロキョロさせる美里を見ながら裕二は確信した。
美里も覚悟を決めたように裕二を見つめる。
「これから一生お世話になります!」
満面の笑みを浮かべる美里とこの世の幸せを全身に感じる裕二たちを祝福するように正午の鐘が鳴った。