第一章 学校での生活――いじめに遭う
「ただいまー」晴彦が学校から帰った。晴彦の両親は共働きなので、家には誰もいない。
「こんにちはー。宅配便です」
「はい」
「えーと、原山晴彦様ですね」
「はいそうです」
「ではこちらに印鑑をください」
何だろう。縦横二十センチくらいの、小包だ。
差出人は「異世界の案内人」とある。
「なんだこれ。あれ、手紙が同封されているぞ」
手紙を読み進めるうちに、晴彦の顔が青ざめていく。
「まさか、悪い冗談だよな」と思いつつも、「もしこれが本当だとしたら」と晴彦は真剣な顔になる。
とにかく家族に見つからないようにしなきゃ、と、箱と封筒を机の引き出しにしまう。
原山晴彦は、東京都生まれ。現在都立高校の二年生だ。
二年生になった四月、クラス替えがあった。晴彦は二年B組。一年生のときに同じクラスだった生徒もいて、晴彦の学校生活はいい滑り出しをきった。
晴彦の通う学校の制服は、薄茶色のブレザー。男子はネクタイ、女子はリボン。
ゴールデンウィーク明けの五月。始業前に、クラスのボス滝雅志が教壇に立ち、「今日は放課後大事な話があるから全員残るように」と宣言する。
雅志は身長百八十センチ、がっしりした体格をしている。クラスが新しくなってひと月のうちに、いつのまにかクラスのボスになっていた。
一方の原山晴彦は百六十五センチ。クラスで一番小さく、きゃしゃな体をしている。
そしてその日の放課後。
みんな何が起きるのだろう、とひそひそ話をしている。
滝雅志が教壇に立って言う。
「今日からこいつをシカトする――」指先は、原山晴彦に向けられた。
教室が一斉に騒がしくなる。だれかが「なんでそんなことをするんだ」と訊く。
雅志は「その弱っちい体が気にくわんのだ。いじめがいがあるってもんだ。おれの言うことに文句あるやつはいるか」と説明する。
だれも雅志に反論しようとしない。
しばらく沈黙があって、「おれの言いたいのはこれだけだ」と雅志は言い、晴彦のことをもう一度にらみつけた。「全員、帰ってよし」と雅志が話を終わらせる。
翌日、いつものように晴彦は友だちに「おはよう」と声をかける。しかし返事はない。
ああそうか、ぼくはいじめられているんだ、と晴彦は気づく。
しかしシカトなんて、中学生じゃあるまいし、高校二年になってすることか、と晴彦は思う。一年生の時に同じクラスだった仲間にも「おはよう」とあいさつするが、何も返ってこない。
「みんな滝雅志のことがこわいんだな」と晴彦は心の中で考える。
しかし無視されるのがこんなにつらいとは思ってもみなかった。五月半ば、晴彦は教室へ行けなくなった。学校へいくことはできるのだが、教室に入ろうとすると、吐き気を感じ、頭が痛くなってくる。
「とりあえず保健室に行こう」と言って、晴彦は一人で保健室に向かった。
授業の合間、担任の先生が晴彦の様子を見に来る。
「おい、原山、どうしたんだ」
「先生、ぼく、授業に出られません」
「なんでだ」
「理由は言えません」晴彦は唇をかんだ。いじめのことを先生に知られたくなかった。
晴彦の保健室登校が三日間つづいた。
担任の先生と、養護の先生が、土曜日に晴彦の家を訪ねた。
「お宅の息子さんですが、学校に来ることはできるんですが、教室に入ることができないんです」担任の先生が晴彦の両親に言う。
晴彦の父親が言う。「晴彦、どうしたんだ。理由を言ってみなさい」
晴彦は「教室に入ろうとすると、吐き気がして、頭が痛くなるんです」と応える。
「なにか理由があるんだろう、言ってみろ」
「まあまあ、お父さん、そんなに詰問したら、晴彦だって応えられませんよ」と母親がとりなす。
「とりあえず学校には登校できるので、しばらくは保健室ですごすということにしてはどうでしょうか」と養護の先生が言ってくれる。
晴彦の父親は「申し訳ございません」と言い、「よろしくお願いします」と先生方に頼んだ。
先生たちが帰った後、父親が晴彦に尋ねた。「どうして教室に入れないんだ」
晴彦は悔し涙を流し、「だって……」と言ったきり、なにも話さなかった。
「よしよし、無理にしゃべらそうとしてすまなかった。おまえもいろいろと大変なんだろうな。せっかく先生が『保健室登校』を勧めてくれたんだから、その方向でいってみるか」と父親が言った。
晴彦は泣きじゃくるばかりだった。
翌々日の月曜日。晴彦は学校に行き、そのまま保健室へ行った。「よろしくお願いします」
養護の先生が「勉強道具は持ってきた? しばらく一人で勉強しなさい」とやさしく声をかけてくれる。
翌火曜日の放課後、帰る準備をしていると、同じクラスの花田美奈子が保健室にやってきた。
「あなたは?」と養護の先生が訊いた。
「原山くんと同じクラスの保健委員、花田美奈子です」
「なんの用かしら?」と養護の先生がやさしく訊く。
「原山くんに、授業のノートのコピーを持ってきたんです」と美奈子が応える。
「原山くん、これ、月曜日の分のノート。昨日コンビニでコピーしたの。あなたにあげるね」と美奈子が笑顔で言った。
晴彦は顔が真っ赤になった。
四月にクラス替えがあったとき、女子の中に可愛い子がいるのを見つけたのだ。花田美奈子だ。
美奈子のいる空間だけ、光り輝いてみえる。まわりの女子がかすんでしまう。妖精のような可愛いらしさに、晴彦は一目ぼれしてしまったのだ。
その美奈子がぼくにノートのコピーをくれるなんて。もちろん向こうは意識してないだろうけど、ぼくにとってはこの上ない幸せだ、と晴彦は思った。
それから毎日、晴彦は保健室登校をつづけ、美奈子も毎日保健室にやってきた。
美奈子が「だいじょうぶ?」と晴彦に顔を近づける。黒い瞳に吸い込まれそうだ。
「これ後で見て」とメモ用紙を、先生に見つからないようにすばやく美奈子が晴彦に渡す。
晴彦はメモをポケットにしまう。
「じゃあ先生、今日はこれで失礼します」と晴彦は養護の先生に言う。
「はい、ご苦労さま」と先生が応える。
晴彦はダッシュで家に帰り、美奈子から渡されたメモを広げる。
そこには、「私は原山くんの味方だよ。なにか私にできることがあれば、なんでも言って。私のメールアドレス書いておくね」と書かれていた。
晴彦は一人で顔を赤らめた。
保健室登校が一か月つづいた六月の半ば、ついに晴彦は意を決した。
放課後、教室に行き、「滝くん、ぼくと勝負してくれ」と滝雅志をつかまえて言った。
「なんだとー。面白いじゃないか」と雅志が応える。
「柔道場に来い」と雅志が言う。晴彦の学校では、体育の授業で、柔道が週一回必須となっていた。
どう見たって晴彦に勝ち目はない。
しかし晴彦は震える声で「わかった」と応える。
柔道場で二人は向かい合う。
「どっからでもかかってこい」と雅志が言う。
「おりゃー」裏返った声をあげて、晴彦が雅志に突進していく。
あっさり投げ飛ばされ、受け身をとる。
もう一度――投げ飛ばされる。
もう一度――投げ飛ばされる。
もう一度――投げ飛ばされる。
もう一度――投げ飛ばされる。
「わかったわかった」と息をきらしながら雅志が言う。「お前が根性あるやつだというのはよくわかったよ」
「はあ、はあ」と晴彦も荒い息をつく。
「もうシカトはしないって、約束してくれる?」と晴彦が訊く。
「おう、わかった」と雅志が応える。
「じゃあ友情のあかしに握手して」と晴彦が言う。
「おうとも」雅志が手を握る。「いててて」と晴彦が顔をしかめるほどの強さだった。
翌日、始業前の時間。
晴彦が教室にいる。みんなざわざわとしている。「おい、原山が帰ってきたぞ」と小声で言っているやつもいる。
滝雅志が教壇に立っていう。
「みんな、原山へのシカトは終わりだ。こいつは根性がある。おれたちの仲間だ」
教室のざわめきがいっそう大きくなる。
どこからともなく拍手がわき上がる。晴彦は立ち上がり、照れた様子でみなに頭を下げた。
「ごめんな、おれたち滝のことがこわくて、おまえに話しかけることができなかった」と
晴彦は、一年生のときに同じクラスだった生徒に言われる。
「もういいんだ。解決したんだから。これからよろしく」晴彦はにっこり笑う。
晴彦はその日の休み時間、保健室に行って「先生、これから教室に戻ることにします」と養護の先生に報告した。
「そう、よかったわね」と先生はぱんぱん、と晴彦の肩をたたいた。「がんばるのよ」
「はい、先生」
七月の初め。花田美奈子が学校を欠席している。
どうしたのだろう、と晴彦は心配になる。
朝のホームルームの時間、担任の先生が「花田さんは交通事故に遭い、入院しました。
全治一か月だそうです」と言った。
みな一様に驚き、「ええっ」「うそでしょ」と騒ぎになる。
その日の放課後。晴彦は授業のノートをコンビニでコピーしていた。
先生から美奈子が入った病院を訊きだし、ノートをもってお見舞いにいくことにしたのだ。
晴彦は病院の受付で訊く。「あのー、入院している花田美奈子さんに面会に来たのですが」
「はい、ちょっと待ってくださいね。ええーと、花田美奈子さん、二〇三号室ですね。ここにお名前を書いて、面会用のバッジを胸につけてください」と受付のひとが言う。
「はい、わかりました」と晴彦が応える。
そして二〇三号室に向かう。四人部屋だ。
美奈子の寝ているベッドへ行く。
「あら、原山くんじゃないの、どうしたの」
「うん、お見舞いに来たんだ。これ、授業のノートのコピー。ぼくが保健室にいたとき、コピーを持ってきてくれたでしょ。そのお返し」
「まあ、ありがとう」ピンクのバラの花が咲いたように美奈子が微笑む。
ピンクのバラの花言葉は、「美しい少女、上品、しとやか」などだ。
「これから毎日来るね」と晴彦は美奈子に言った。赤くなった顔を気づかれないといいんだけど、と晴彦は心の中で思った。
翌日の面会は、クラスの女子と鉢合わせしてしまった。「あれ、原山くんもお見舞い?」と女子に訊かれる。
「う、うん」と晴彦は口ごもる。
美奈子に「これ、今日のノートのコピー」と手短に言うと、さっさと帰ってしまった。
美奈子が他の女子に、「ほら、わたし保健委員だったでしょ。原山くんが保健室登校していたときに、ノートのコピーを持っていってあげてたの。そのお返しだった」と説明する。
「ふうーん、そうなの」女子たちは特に気に留める様子もなく、学校でのできごとのおしゃべりを始めた。
七月十五日。晴彦が入院中の美奈子にメールを送る。
「お誕生日おめでとう」それだけのメールを打つのに、晴彦はどれだけためらったか。
七月二十日。授業が終わり、帰り支度をしている晴彦に、雅志が声をかけた。
「原山、ちょっといいか。『異世界の案内人』からの手紙について相談したいんだ」
晴彦はどきっとした。晴彦の元にも、「異世界の案内人」からの手紙が届いていたからだ。
第二章につづく
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