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奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第1章
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第7話 アトリの気持ち

 オオルリが人垣の中に消えてしまうと、アトリは、叔父とは反対の方向へヨロヨロと歩き始めた。

 取り残された俺は、あわててその後を追った。アトリの気まずい気持ちは、痛いほどわかかる。

 アトリは回廊を渡り別館へと、憮然ぶぜんとしたようすで帰っていく。俺のことなどすっかり忘れているようだ。

 自分の館にもどると、アトリは居間の扉を乱暴に開け放った。奴にしては珍しく荒れてる。

 そして、寝室に駆け寄り扉に手を掛けた。

 が、その手をストンと下ろして、こちらを振り返った。

 居間の扉の所に立っている俺と目が合うと、アトリは、照れ隠しのように肩をすぼめて、近くにあった長椅子にどさっと腰を下ろした。

 「また寝室に逃げ込むのかと心配したぞ。」

 と俺。

 「いつもあんな感じなのだ、叔父は。」

 そう言いながら、長椅子から立ち上がり、テーブルの上の銀製の菓子盆から、何やら摘まみ出して口に放り込んだ。考えてみたら晩餐を食べそこねた。

 「いいのか、勝手に帰って来ちゃって。」

 「かまうものか。十二の頃から、人の集まりになど加わったことがない。」

 それはまた、年季の入った引き籠もりだ。

 「叔父にはわからないのだ。そなたの技が、あれほど、皆を感動させていたというのに。」

 「でも、俺たち、人を感動させるだけでよかったのか? なんかさ、戦うとか、何かをべるとか、そんなことを求められてるんだもんな? まあ、戦えと言われてもなんの術もないんだけどさ。」

 「そんなもの、どこが面白いのか分からない! 私には母上や叔父が理解できない。天や地や人を統治して何が楽しいんだ?」

 言ってしまったって感じだな。

 アトリの心の中に吹きだまっていたものが、堰を切ったようにあふれ出す。


 「母上たちは、あせっているんだ。〈火〉は刀によって他者を圧倒する。それと同じように、〈精霊〉は霊を操っておのれの武器としてきた。ところが、いつしか我が一族は、その力を失ってしまったのだよ。叔父は、政治的特権と他国との貿易から得た金で一族の体面を保ってきた。表面上はな。ところが、今度の災厄で、どこの国も大饑饉だ。五年前に比べて、貿易からの実入りは四分の一に減ったと、母上たちが話しているのを聞いたことがある。元々、商いなんて〈精霊〉には向いてないのだ。」

 たしかに、商売上手なシャーマンなんて聞いたことがないな。いたとしたら詐欺師だ。


 「前から訊きたかったんだが、お前のご先祖は、霊を操っていったいどんなことをしたんだ?」

 「鳥獣と話をし、それらを操って使い魔としたのだ。また、風雨や雪、雷を自在に往来させることも出来たらしい。中には、石や草木と話をしたり、地震を起こしたり、火山を噴火させた先祖もいたようだ。そして、究極の技の一つが守護霊の召還なのだ。」

 なんとクールなご先祖たちだ。


 「どうやったら、そんなことが出来るようになるんだ? 修行とかするのかな。」

 「修行や知識の習得は私もやっている。しかし、それだけでは無理なんだ。私は、血筋が絶対的な条件だと思っていた。しかし、ユリの件からすれば・・・。」

 アトリは暗い目をした。無理もない。一族の存在理由が根底からくつがえる話だ。


 「ユリは、導師ってやつなんだろ? 〈精霊〉の一族でもないのに、どうやって導師になったんだ?」

 「田舎の町や村に住む巫女たちが、霊力のある娘を見つけて、我が一門に推挙してくるのだ。十~十二歳くらいで都の巫女に預けられて修練を積むが、導師になれるのは一握りだよ。多くは、また故郷に帰って巫女になる。」

 つまり、全国にいる巫女というスカウトマンが、霊力の持ち主を国中から探してくるわけだ。しかも少女限定と思われる。


 「つまり、〈精霊〉の一族の女子は、昔は特別に強い霊力を宿したが、今はそうじゃないと。」

 俺がそう訊くと、アトリはムッとした声で、こう答えた。

 「我が一族の特異なところは、男子が霊力を持つ点なのだ。しかも並はずれたな。」

 俺は、ちょっとがっかりして思った。男の霊能力者なんて、血生臭いだけだろ。


 俺は気を取り直してアトリに尋ねた。

 「で、お前の一族で、技が使える人ってまだいるのか。」

 「あぁ、伯母と、それから大叔父が。伯母は死者の霊と話をすることができる。しかし、ここだけの話だが、それくらいのことは町の巫女たちにでもできる。大叔父の方はというと、鳥獣と話ができるのだ。噂では、それらを操ることもできるのではないかということだが、一族の中でそれを見た者はいない。偏屈な人でな。大叔父なら大導師になれたと思うが、俗職を嫌い、隠遁いんとんして久しい。私も、幼い頃に一度会っているらしいが、顔も覚えていないよ。」

 彼ら一族に残存する霊力は、思いのほか、ささやかなモノだと知れた。

 想像はしていたが、アトリも、いろんなプレッシャーを背負い込んで生きてきたんだな。

 大叔父といえば、お祖父さんの兄弟だ。とすれば〈精霊〉は数年を経ずに、その最後の霊力さえ失う事になりそうだ。


 「俺が有能な守護霊だったら、オオルリさんにも喜んでもらえたんだろうにな・・・。」

 と、俺は力なく言った。正直、アトリたちを気の毒に思った。俺にはどうすることも出来ないんだけど。

 アトリが笑った。

 「人に頼ろうとした母上や叔父が悪いのだ。それに・・・これはユリの失策なんだろうよ。そなたの技を叔父が気に入らないというのならな。実は、そなたが技を持っていないと言った夜、私は、守護霊召還について、調べ直してみたのだ。するとある書物に【 守護霊は、召還した術者が、心に思い描いていた特性を帯びる 】というくだりがあったのだよ。この説が正しければ、ユリはそなたを思い描いたことになる。〈奏でる者〉をな。母上たちはもちろん、もしかするとユリ本人も、これを知らなかった可能性が高い。あの書物は、もう百年近く誰も手にしなかった木箱の中にあった古書だから。」


 アトリは、熱のこもった口調でこう続けた。

 「私は、【 守護霊は、術者から使命を与えられ、それを全うするために生まれ出る 】のだと思っていた。〈精霊〉の導師なら誰もが知っている教本には、そう書いてあるからな。しかし、そなたは、何の使命も受けていないと言う。ユリは、叔父から、天と地の混乱を治める使命を与えるように言われていたのにな。これはどう言うことだと思う?」

 「・・・え? あぁ、ユリが術をかけそこねたのかもって、さっき言ってたじゃないか。」

 「そうかとも思った。いや、そうとも言えるが、恐らくユリは、教本通りに正しく命じたのだろう。だが三百五十年前の術者と、どこかが違っていたはずなんだ。恐らく、私の予想では、かの術者は天と地の混乱を治めるよう命じたし、具体的な特性、つまり技を思い描いた。でも、ユリは違った。命じたが、なにも技を思い描いてなかった。」


 アトリには申しわけないが、俺は、アトリのややこしい解説をほとんど聞いていなかった。ユリが、俺を思い描いたという言葉だけが、俺の頭の中をグルグルと回っている。

 しかし、アトリはアトリで何か考え続けているようで、俺が返事をしなくても気にするようすもない。俺たちは、それぞれの理由で、しばし物思いにふけった。


 アヤメが、夕餉をワゴンに乗せて居間に入って来た。そして、燭台に火を入れた。

 いつの間にか暗くなった部屋で、俺とアトリは、それぞれの思索やら妄想やらにひたっていたのだ。

 

 アヤメは、普段と寸分たがわずに皿を並べていく。

 「母屋からお料理を頂いて参りました。・・・ところで、あと一ヶ月もすれば、ウルボンナの儀がございますね。」

 アヤメが珍しく、自分から話を振ってきた。アトリは、相変わらず思索に没頭している。

 俺は〈儀〉と聞いて、ドキッとしながら返事をした。

 「まだ、何かあるのか?」

 「ウルボンナの儀は、先祖供養の儀式でございます。それはそれはみやびな巫女の舞や、荘厳な送り火が観られますよ。都中に色とりどりの流し飾りがはためいて。」

 アヤメは、これまた珍しく自分の感情をあらわにして、うっとりと語った。

 俺は、アトリの方を振り返りながら、つい、こんな事を言ってしまった。

 「なあ、皆でそれを観にいこうか。コハギも誘って。」

 アトリが驚いたように俺を見たが、やがて、アヤメに向かって鷹揚おうようにうなずいた。

 俺はアトリの反応に、むしろびっくりした。え、いいのか? 冗談のつもりだったのに。

 でもどうやって?

  俺は、いちおう自宅軟禁の身だ。

 「方法は、後で考えてみるさ。」

 アトリが、食事中だというのに本をパラパラめくりながら、気のない返事をした。

 アヤメはアヤメで、いつもの取り澄ましたようすで頭を下げた。

 「かしこまりました。」


  こうして、とうとつに決まった盆踊りデートが、とんだ結末となってしまうことなど、この時、俺は想像すらしなかったんだった。



 林に囲まれたアトリの館には、夏とは思えない涼風が吹き抜ける。

 とはいえ、土用に入ると、さすがにじっとしていても汗ばむ。川にでも行って泳ぎたいものだが、軟禁状態の俺に、そんな贅沢は許されそうもない。

 

 そこで、俺は風呂場で水遊びをすることにした。

 まず、国宝級の木彫りの湯船に水を張る。断っておくが、水道の蛇口をひねれば水が出てくるという状況を想像してはいけない。風呂場のすぐ外にある風呂焚き小屋に置かれた水溜め桶から、汲んで運ぶのだ。

 

 それにしても、十八の男が一人で水遊びという光景は、寒すぎる。

 俺はコハギを呼んだ。このことは、水遊びをしようと思い立った時から決めていた。いや、コハギを呼ぶ口実として水遊びを始めたのかもしれない。ともかく俺とコハギは、せっせと、小さな手桶で水を汲んでは湯船に溜めた。

 二人共、じきに汗でずぶ濡れになった。他人が見れば、水遊びがすでに終わったのかと思われるくらいだ。

 ようやくいい具合に水が溜まった。

 「よーし、始め!」

 俺は、湯船に飛び込んだ。気持ちいいー。

 コハギは、湯船の横につっ立って モジモジと首をかしげている。可愛いー。

 俺は、掌で水鉄砲を作って飛ばした。コハギは、黄色い声を上げて騒いだ。しまいには、手桶にくんで ガンガンかけてやった。

 コハギは、大騒ぎして風呂場の中を逃げ惑うが、水が掛からないほど遠くへは行かない。時々は、バスタブの水を小さな手で弾いて応戦した。

 どこの世界の子供も、本能的に遊ぶすべを心得ているもんだ。俺たちは、バスタブの水があらかた無くなるまでこうして遊んだ。


 俺とコハギは、ゆだるように暑い数日を、水遊びをして過ごした。

 一度アトリを誘ってみたが、聞こえなかったふりをして、長椅子に寝そべって本を読み続けた。そういえば、寝そべって本を読むというズボラな習慣を教えてしまったのは、俺のような気がする。


 異世界に飛ばされて一ヶ月。

 夜の闇こそ、まだ慣れないが、三食昼寝付きの精霊様としての生活に、あきれるほどに順応している俺がいた。 




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