第5話 幽 閉
二十四時間が経った。俺は、今、俺たちの部屋にいる。
部屋の改造話に夢中のアトリをよそに、俺は青ざめてつっ立っていた。
「・・・小さい頃、親類の館へ行ったことがあったが、そこの子供部屋が、ちょうどこんな間取りでな。兄弟のいない私は、それがうらやましくて・・・。」
中央の居間をはさんで左右に寝室がある。まあ、ルームシェアには打ってつけの間取りというわけだ。しかし俺が愕然としているのは、間取りのせいではない。俺の部屋の窓には、格子戸がはめ込まれていたのだ。恐らく改造工事の多くは、屋敷牢を作るためのものだったんだ。
俺は、深呼吸をして、感情の爆発をこらえた。
「・・・なぁ、なんで窓に格子が入ってるんだろう? ・・・俺が逃げるかもしれないから? あいにくだが、俺は、此処じゃあ、逃げ帰る場所もないんだよな!」
俺はそんなに強く言ったつもりはなかった。しかし、アトリは固まってしまった。
表情のなくなった白い顔は、なぜだか、一層俺の怒りをあおった。
「なんで窓に格子が入っているんだ?」
俺は食い下がった。
「・・・なんで、窓に、格子が入っているか・・・。」
アトリは、俺の質問をゆっくりと反復した。そして、ぼんやりと目を泳がせていたが、自分の寝室の扉まで来るとじっとそこを見つめた。
それから、よろよろと扉の方へ行こうとした。俺は、思わずアトリの腕をつんだ。
「待てよ!? 」
アトリは、俺に腕をつかまれたまま、表情の消えた顔で俺を見返している。
アトリの腕は、思いのほか細かった。俺はギョッとして腕を放した。すると、アトリは、するりと寝室に駆け込んでしまった。
どうなってるんだ。
俺は、共同居間の椅子に座り込んで頭を抱えた。
アトリが変な奴だとは感じていたが、さっきの挙動不審は、気味が悪いとさえ思った。
格子の話などすっかり頭のどこかに置き忘れて、俺は、アトリのことで頭を悩ませることになってしまった。
きっと、誰かに詰問された経験なんてないんだろう。まして、兄弟げんかとか、学校での諍いとか。それにしてもだ。対人関係の耐性なさすぎだろ・・・。
どれくらい時間が経ったんだろう。居間の扉がトントントンと叩かれ、ややあって若い下女が入ってきた。
この館の下女たちは、皆、チマチョゴリ(平安風?)にも似たこざっぱりとしたお仕着せを着ていた。浅黄色の上着に蓬色のはかまだ。
この若い下女は、そのお仕着せがとてもよく似合っていた。はっきり言おう。美人だった。
彼女は俺の姿を見ると、居間を見渡した。おおかたアトリを探しているんだろう。
俺は、アトリの寝室の方に顔をふりながら言った。
「アトリなら、寝室だけど。」
彼女は、ニッコリと俺の方に向きなおり、深く礼をした。そして、ちょっと気取った口調でこう言った。
「精霊様、下女のアヤメでございます。」
俺は、思わず椅子から立ち上がって、ペコリと礼をしてしまった。
「姪のコハギを、気にかけてくださっていると伺いました。本当にありがとうございます。」
姪のコハギ! てことは、この人が叔母さんなのか?
俺は、叔母さんというのはもっと年上の女性だと勝手に思い込んでいた。たぶん、彼女は、俺やアトリとそう変わらない歳だ。
俺が、黙ってつっ立っていると、アヤメは、テキパキと廊下に置いてあったワゴンを部屋の中に引き入れた。
ワゴンか。木製のワゴンで車輪の部分も木だった。ヨーロッパのアンチックなワゴンに酷似している。この世界にもヨーロッパがあって交易をしている可能性がおおいにありそうだ。
そんなことを考えている間に、アヤメは、居間に置かれたテーブルに食事の皿を並べ、アトリの寝室をノックして入っていった。
しばらく話し声がしていたが、やがて、出てきたアヤメは、俺にこう声をかけた。
「どうぞ、夕餉をお召し上がり下さい。アトリ様は、あとで召し上がるとおっしゃっていますので。」
「・・・アトリ、何してた?」
俺は、ためらいがちに、そう訊いた。
アヤメは、質問の意図をはかりかねたのか、少し考えてこう答えた。
「本を読んでいらっしゃいます。いつも、こんなふうにお食事も召し上がらないでお部屋に籠もられるので、皆、心配しているのです。」
なんだ。案外あっちは気にしてないのか!
「アイツ、いつも、ここで一人で食べているのか。」
「はい、私がこのお屋敷に参ってからずっと、そんなごようすです。」
アヤメは、いくつかの質問に答えてくれたあと、空のワゴンを部屋の隅にピタッとなおし、俺に深く腰を折って礼をすると部屋から出て行った。
俺は、二人分の夕餉と一緒に 居間に取り残された。もちろん、俺はアトリを待つことなく夕餉を平らげた。相変わらずのご馳走だったが、量は少ない気がした。アトリに合わせてあるのだろうか。
俺は部屋を見わたした。言い忘れていたが、アトリの館は中国風というか土足OKだった。したがって床には絨毯が敷いてあり、椅子やテーブルやベッドが置かれている。いずれも高級な家具・調度品のようだ。
しばくしてアヤメが再び訪れ、風呂に入れと言う。俺は、館の一隅にある風呂場に案内された。
背中を流しましょうかと申し出るアヤメを丁重に断り、一人静かに湯船にひたった。
石張りの豪華な風呂場だった。
湯船は木製で良い香りがした。一本の丸太から彫り出したんだろうか。まるで継ぎ目がないように見えた。しかも優美な曲線を描いていてノミ跡が全くない。工芸品のことはよく分からないが、ものすごい技術なんだろう。
難点は、風呂場が暗いということだ。数本の燭台だけでは、せっかくの湯船を鑑賞するにはこころもとない。
あとで知ったことだが、彼らには、夜間に風呂に入る習慣はない。この日は特別だったというわけだ。
アヤメにせかされ、こちらの世界の衣装を着せられて、俺は居間にもどってきた。
居間には数人の男女がいて、俺が入ってくるといっせいにふり返った。寝室から無理に引っぱりだされたであろうアトリは、無関心げな表情でテーブルに肘をついていた。
アトリの母親は、すぐに分かった。顔が似ているとかいうことではなく、いかにも女王様然としたオーラを放っている女性だったから。
鳥毛立女屏風図の中の人のように、長い髪をふっくらとアップにし、翡翠の髪飾りをつけている。ぽっちゃりした首や腕には、同じ意匠のネックレスとブレスレットをしていた。
アトリの母親は、切れ長の大きな目で、俺を見回してぎこちなく笑った。
「あぁ、そなたが?・・・やはり髪が短か過ぎるわねぇ・・・ねぇ、アヤメ。」
母親は、俺の肩のあたりで 白い指をヒラヒラさせながら、アヤメに同意を求めた。いくら有能な下女でも、短い髪を長くすることはできないだろう。
アヤメは、目を伏せたままこう答えた。
「じきに、長くなるかと。」
わかりきった答えだ。しかし、母親は納得したのか別の話題に移った。
「五日後に、お披露目の式を行いましょうね。それまでに、アトリ、お披露目の技を決めておきなさい。とっておきのモノをね。・・・お式には・・・やはり元老院には、全員来てもらわなければ、あなた・・・。」
母親は、アトリや夫と思われる男性の方を次々にふり向きながら、式の準備の仕切りを始めた。まるで、七五三か何かの準備に熱を上げる母親だ。
ひとしきり、夫や下女と打ち合わせをしたあと、 ようやくまた俺の方に向き直り、母親はきげんよくこう言った。
「そなたは、〈精霊〉の一族の起死回生のための持哀・・・あぁ、つまり・・・私たちの希望なのです。ですから、そなたを望と名づけましょう。それから、私のことは、母上と呼んでいいのですよ。」
そう宣言して、俺の肩に両手を伸ばしチョンチョンとたたいた。
俺は固まった。この女にとっては、俺には名前がないことが前提なのか。心の声が、俺の名前はそんなんじゃない!とリフレインしてる。
しかし、声に出すことは出来なかった。言ったところで、この女は、決して耳を貸してくれないと感じたから。
やはりこの女にとって、俺は傀儡なんだろう・・・。
俺がこの世界に引きずり出されたあの瞬間、最初に聞いたのは、間違いなくこの女の声だった。
恐らく、当人は言ったことさえ忘れているかもしれない。しかし、俺の耳の奥では、今も鳴り響いている。
生まれ出でたのですね、傀儡が!
俺は、アトリの方を見やった。
青白い困った顔が俺を見返していた。
*持哀
長い船旅にあたり、神に無事を祈願する役目の者。嵐に遭遇した時は、人身御供として海に投じられる。