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奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第1章
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第4話 童 女   

 開けられたままだった蔀戸しとみどから、紫色の未明みめいの空が見えた。


 リュックを枕にして床に横たわったまま、俺は、今日一日の始まりのために変容してゆく空をぼんやりと眺めた。

 やがて、薄墨色の雲にくれないの光が射し始め、いまだ見えない朝日が、その温もりを大気に伝播していくのを感じた。

 闇が霧散してゆく。

 ようやく、強ばっていたまぶたがゆるみ、俺は眠りに落ちていった。



 ―――とても良い香りの寝具に抱かれていた。ユリという娘の顔が浮かんだ。ユリ・・・

 ふと昨日のことを思い出した・・・俺は異界に飛ばされ、そして―――


 ガバッと上体を起こした。

 昨日のお堂の床に俺はいた。手に、柔らかな布をつかんでいた。

 打ち掛けのような衣が、俺の上に掛けられていた。ほのかに良い香りがする。


「精霊さまは、ずいぶん寝坊なのだな。」

 文机の前に座っているアトリが、顔だけこちらに向けて言った。

「下男たちが、声をかけても精霊様が、ピクリともしないと血相変えて申してきてな。朝早くから騒がしいことだったよ。」

「・・・今、何時だろう・・・」

 俺は、ひとり言のようにそう呟いた。

 アトリが、文机に目を落としたまま返事をした。

「少し前に、の刻の鐘がなっていたから、じきにうまの刻だろう。」

 午といえば、正午だ。午の前だから午前、午の後だから午後。古典の時間に習った気がする。


 アトリは、熱心に何かを読んでいる。

「・・・何、読んでるんだ?」

「いろいろ調べたいことが出てきて、昨夜はすっかり夜ふかししてしまった。しかし、読み物はここじゃないと、やはり落ち着かない。」

 アトリは、相変わらず何かを読み続けている。姿勢がすごくいいのに感心しながら、そのうしろ姿をぼんやり眺めた。


 アトリが読み物を続けながら、こう言った。

「あぁ、そうそう、そなたはどうして寝るときに布団を掛けないのだ? 異界に布団はないのか?」

はあぁっ!!、そんなものどこにあったんだよ!

 という心の叫びを押し殺し、俺は努めて何気なく訊いた。

「だって、見当たらなかったし・・・。」

「扉の外にひかえている者に、言いつけなかったのか。・・・やれやれ、それくらいは出来ると思っていたが。」

 アトリは首をまわして俺を一瞥いちべつし、またすぐに文机のほうに向いてしまった。

 思わず、俺はアトリの背中に向かって尋ねた。

「扉の外に夜中よるじゅういたのか? 誰かが。」

 アトリが、今度は上体全体を俺のほうに向けた。そして、キョトンとした口調で言った。

「当たり前だ。こちらが必要な時にいない下男なんて、何の役に立つんだ?」

おいおい、どんだけ人権蹂躙されてるんだよ!ここの下男。


 俺が、一晩中、闇と闘っていたそのすぐかたわらに、誰かがいたのか。役目とはいえ、俺のために何かをしてくれようとしてた人間が・・・。

 それを知っていたら、俺の一晩はずいぶん違ったものになっていたような気がした。


 俺は何だかこそばゆい気分になり、床を踏みならして扉の方へ歩いた。

アトリがそれを目で追いながら、のんきそうな声で訊いた。

「どこへ行くのだ?」

「用足しだ!」

 そういえば最後に行ったのは、十五時間以上前だった。これは、かなりやばい。


 俺は、お堂の扉をガシリと押し開いた。屋外の暑気が、顔をあおる。

 扉の左右に二人の衛兵と、一人の童女が控えていた。童女は、渡り廊下にちんまりと座っていた。

 通りすがりに、まさかとは思ったが念のため訊いた。

夜中よるじゅう、ここにいたのか?」

 そう言いながら、俺は童女の前を大股で通り過ぎた。童女はキョトンと俺を見上げたが、あわててパタパタと追いかけてくる。

「いいえ、わたしは、未の刻から――。」

 さすがにそうだよな。六歳くらいだろうか。人形みたいに可愛い子だ。あんな歳から働かされているのか。

 厠の位置ぐらい覚えている。俺は童女を置き去りにしてダッシュした。


 用を終えた俺は、人ごこちついて厠の戸を開けた。

 すると、先ほどの童女が、戸のすぐ脇で桶を両手で抱えて俺を見上げていた。童女が歩みよると、チャポン、チャポンと桶の中で水が跳ねる。

「うぁ! お、おぅ、ありがとう。」

 童女は、桶をささげ持ったままじっとしている。

 かなり、いろいろと動揺しながら、俺は考えた。

えっと、これは要するに手洗い水だよな。そのまま手を入れるのか? いやいや・・・.

俺は、桶に片手を添えて少し傾けた。すると、童女はあわてて桶を水平にもどそうとする。

「こうやってさ」

 そう言いながら、俺は、桶の水を地面に垂らして手をすすいだ。

「こうやると、桶が汚れないだろ。」

 童女は、地面に垂れた水が、足に跳ね返るのを気にしてピョンピョンと跳ねた。

か、可愛い。

 俺は、子供の頃に飼っていた犬のタロウを思い出した。もらってきたばかりの子犬の頃、あいつもこんな感じだったな。どこにでもついてきて、俺の足にじゃれついては嬉しそうにピョンピョンしていた。

 この童女の場合は、別段うれしくてつき従ってるわけではあるまい。それが勤めなのだ。

「なんて名前なの?」

「コハギ。」

「コハギか、可愛い名前だね。」

 コハギは、厠の近くの水場に駆けて行き、桶をきっちりと直した。

なんだ。こんな近くに水場があるのに、わざわざ下女に水をくませて来るんだな! この家のあるじときたら・・・。

 俺は、コハギを従えてお堂へもどっていった。お堂近くの渡り廊下まできた時、俺はコハギにこう頼んでみた。

「そろそろ昼ご飯を頂けるかなぁ。朝もまだだし、腹減った!」

 コハギは、用を言いつけられてうれしかったようで、初めて笑い顔を見せて立ち去った。

 あんな堅い板の廊下にじっと座っているより、つかいを頼まれる方が楽しいに決まっている。


 お堂の中では、相変わらず、アトリが読み物にふけっていた。

 しばらく、そんなアトリの背中を眺めていたが、ふと好奇心が頭をもたげてきた。

「何、読んでるんだ?」

 俺は、文机ににじり寄って、アトリの肩越しに書物を見やった。・・・やっぱり。読める。漢字とひらがな表記だ。

アトリは、恋愛小説を読んでいた。貴族の御曹司とその家に仕える下女の恋物語のようだ。俺は、かなりガッカリしてこう言った。

「何、こっ恥ずかしいもの読んでんだよ。俺は、修復呪文のことでも調べてくれてるのかと期待してたんだぜ。」

 アトリは、おやっという顔をした。

「字が読めるのか?」

 俺がいくらダメ男でも、十二年間も学校(いちおう在籍)に行ったんだ。字ぐらい読めるよ。このようすじゃ、此処らの識字率はかなり低そうだ。

「さすがは私の分身。教育は受けているようだ。・・・あぁ、これか?、これはちょっとした気晴らしだよ。さっきも言ったが、昨夜は、ずいぶん夜ふかしして、マジメな調べ物をしてたのだよ。」

 アトリは、読めるんだったらと、文机の横に積まれた書物を ひと山こちらに押しやった。

 山の中には、巻物と冊子さっしが混在していた。巻物は古い時代の物のようだ。かなり紙が傷んでいる。アトリやそのご先祖によって酷使されてきたものなんだろう。版刷はんずりらしき冊子もあって、それは最近の物と見受けられた。が、おおかたは毛筆による写本だった。背の部分が糸で閉じられている。

 俺はすることもないので、ぱらぱらとそれらをめくった。


 その時、扉がホトホトと小さな音で叩かれて、一人の下女とコハギが入ってきた。

 両手に膳を捧げ持っていた。二人は顔を伏したまま膳を運び入れ、俺たちの前に置くと、昨日の男たちと同じように後ろずさりに下がっていく。

「なぜ、二人分なのだ?」

 アトリが二つ並べられた膳を見下ろして、いぶかしげに言った。

「俺とお前の分だろう。」

 俺がそう答えるのを聞いて、コハギが必死な声で、こう言った。

「それは、精霊様の朝餉と昼餉でございます! 精霊様がご希望されましたゆえ。」

 えぇっと、 俺はそんなことご希望したっけ? さっき廊下で昼ご飯を頼んだ時、たしか俺は・・・朝はまだだし、腹減ったと言った・・・。

 コハギは、アトリの方をチラチラと見て顔を伏せた。今にも泣き出しそうだ。怒られることを恐れているんだろう。

「あはっ、そうだった。・・・そういうことだったな。」

 俺は頭をかきながら、アトリに言った。

「しかし、考えてみたらこんなに食べられないなぁ。アトリ、お前も食べろ。」

「・・・・・・。」


 コハギがホッとした顔で、下女と一緒に引き下がって行くのを見て、俺は、ふとコハギを呼び止めた。

「コハギ、ちょっと待って。もう少しここにいてくれないかなあ。」

「コハギ?・・・コハギというのか。」

 アトリが意外そうな顔をして、俺とコハギを見比べた。コハギはソロソロとお堂の中にもどり、扉に張りつくようにしてチンマリと座った。

俺は、胡麻団子の乗っている皿をつかんで、コハギの前まで歩いて行った。そして、膝の上でギュッと握り締めている小さな手に持たせた。


 俺が自分の膳の前まで戻ってくると、アトリがあきれたようすでこう言った。

「何を、手なずけているのだ。・・・アレが気に入ったのか?」

 アトリの奴、今、さり気に物すごいことを言わなかったか? それとも俺の勘違い?

 俺は、赤くなりながら言いわけをした。

「だって、あんな小さいのに働いて、大変だなぁと思ってさ。」

 アトリは顎を撫でながら、俺を眺めている。

「大変? 歳相応の使い走りをしておるだけではないか。それに依怙えこひいきはよくない。」


 おいおい? どうしてアトリの方が正しいみたいな雰囲気になってるんだ!

俺は咳ばらいをして、コハギに言った。

「コ、コハギ。食べ終わったら、い、行きなさい。」

 コハギは、じっと手のひらの中の皿を見つめていたが、やがて、指が汚れるのを気にするようすで、胡麻団子をかじり始めた。居ごこち悪そうに、身体をモソモソ揺すりながら。

 俺は、コハギの方を見ないふりをしながら、膳のものを食べた。

 胡麻団子を食べ終わったコハギは、少しの間、俺たちの方を見ていたが、何の言葉もかからないのが分かると、頭をちょこんと下げて立ち去った。


 文机に肘をついて、そんなようすを眺めていたアトリがしゃべり始めた。

「アレの母親は、一年ほど前に、何かの流行はやり病で死んだそうだ。祖母や親戚の者も次々に同じ病で死んでしまって・・・元々、父親のいない子だったので、アレの世話を見る者がいなくなってしまった。たまたまアレの叔母がうちの下女をしていて、ここへ引き取ることになったのだ。」


「へえ、名前も知らなかったようなのに、ここへ来るまでの経緯いきさつなんて良く知ってたな。」

 俺は何気に訊いたのだったが、アトリは明らかに動揺した。さっきのコハギのように身体を左右に揺すり始めた。

「ア、アレの叔母に頼み込まれて・・・。母上は、流行り病で死人が出た家の子などと知ったら館に上げはしない。だから、私に頼むしかなかったのだろう。アレの叔母は、十五の時にここへ来たが、気の毒な実家のようすなどをいつも聞かされて・・・。」

「聞かされて? で、叔母さんとコハギに同情したんだな?・・・でも、それって依怙えこひいきだよなぁ。まあ、俺はそういうの好きだけど。」

 俺は、さっきの趣向しゅこう返しをさせてもらった。


 アトリは腕組みをして、俺を上目遣いに睨みつけた。心なしか涙目だ。

 俺たちは、しばらくにらめっこを続けたが、先に視線をはずしたのはアトリの方だった。


 アトリは、自分のかたわらの膳から、胡麻団子を一つつまんで口に放りこんだ。

 そしてお行儀良く、ちゃんと飲み込んでから言った。


「あぁ、そうそう、明日の夜からは、私の寝室のそばの部屋を使えるようにしたのでな。今、改造中なのだよ。いつまでもここを使わせるわけにもいかないのでね。ここは私の安らぎの場所だから。」


 そう言い残すと、アトリは、山積みの本を抱えてお堂から去っていった。


 相変わらず、自分の言いたいことがなくなるとさっさと行ってしまう奴だ。しかし、普通なら自分勝手と受け取られる物言いも、嫌みに聞こえないのがアトリの不思議なところだな。天然というか、まあ、チヤホヤと育てられたんだろう。


 それにしても、望んだわけでもないのに此処へ連れてこられた上に、どうして俺は、こんな肩身の狭い思いをしてるんだ?

 俺は意地悪な神様をうらんだ。


                 


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