町に運ぶ仕事
先輩の村瀬修一が、あれこれと教えてくれた。
村瀬は五十近い、日に焼けた大柄な男だった。背が高くて、肩幅がある。若い頃は相当がっしりしていたのだろうという体格で、今でも十分に大きい。口数は多くないが丁寧な人だった。
初日の朝、村瀬は直に配達鞄を渡しながら、「重さに慣れるまで少し時間かかる」と言った。
「はい」
「バイクは乗れるか」
「原付なら」
「それで十分だ。最初はゆっくり走れ。急いで事故るより、遅くて確実のほうがいい。手紙が濡れたり折れたりしたら困る。荷物より手紙が大事だと思え」
それだけ言って、村瀬は先に立って歩いていった。
直が手伝おうとすると「ゆっくりでいい」と言い、直がミスをすると「誰でもそうだ」と言った。怒鳴らない。焦らない。ただ黙々と働く人だった。
初日の昼休み、直は局の前の石段に腰を下ろして、コンビニで買ったおにぎりを食べた。
海が遠くに見えた。空は少し霞んでいて、島の輪郭がぼんやりしていた。四月の海は、夏よりも静かで、色が薄い。
局の木造の壁を背にして、直は「ここで父が働いていたのか」と思った。
同じ石段に、父が座っていたかもしれない。同じ海を見ていたかもしれない。同じ海の匂いを、嗅いでいたかもしれない。
その考えが、少し直を落ち着かせた。
直は半分食べたおにぎりをもう一口かじって、空を見た。
四月の空は、まだ薄い。夏の濃い青ではなく、冬の灰色でもない、中間の色だ。この空の色が、直は昔から好きだった。中途半端なようで、その曖昧さが優しい。
父も、この空を見ていたのかもしれない。
そう思うと、不思議と寂しくならなかった。
局の仕事は、思っていたより好きだった。手紙を仕分けるのが、特に。
いろんな人の名前が書いてある。男の人、女の人、子供の字、老人の字、きっちりした活字体、ふにゃふにゃした走り書き。封筒ひとつひとつに、誰かの気持ちが入っている。それを正しい場所に届ける仕事というのは、地味だけど、確かに意味のあることだと思えた。
直は以前から、物を運ぶことが嫌いではなかった。高校のとき、文化祭の準備で机や椅子を運ぶ係をやっていた。意味があることをやれているな、と単純に感じた。何かを正しい場所に動かすこと。それが合っていた。
最初の一週間で、直は星見町のほとんどの道を走った。
港通り、桜丘、山手、海岸通り、中央通り、緑丘——それぞれの道に個性があって、住んでいる人たちの気配がある。港通りは朝早くから漁師たちが動いている。桜丘は小学校が近くて、朝と夕方に子供の声がする。山手は静かで、庭のある家が多くて、庭師がよく入っている。海岸通りは夏に向けて準備をしている観光業の家が並んでいる。
直はそれぞれの道の匂いを覚えた。
港通りは磯と機械油が混じった匂い。桜丘はどこかの家のご飯の匂いが漂っていることが多い。山手は土と草の匂いが強い。海岸通りは当然、海の匂いが一番強い。
匂いで道を覚える、ということに直は気づいた。地図で覚えようとするより、体で覚えるほうが早かった。
それを村瀬に言ったら、「あんたの父親も同じことを言ってた」と言われた。
それを聞いたとき、直は少し胸が熱くなった。




