海の見える町
海の匂いがする町だった。
どこにいても、風が少し塩辛い。洗濯物に、教室の窓枠に、コンビニのビニール袋にまで、潮の気配がしみついている。星見町というのはそういう場所で、朝倉直はそこで生まれ、十八年間ずっとそこで育った。
生まれたときからある匂いというのは、匂いと思わなくなる。
直がそれを「海の匂い」だと意識したのは、中学二年の修学旅行で内陸の町に行ったときだった。バスを降りた瞬間に、何かが足りない気がした。なんだろうと思って深呼吸して、それでわかった。塩気がない。空気に、潮の味がしない。たったそれだけのことで、自分がどれほど海の近くで生きていたかがわかった。
帰りのバスの中で、窓の外を流れていく景色を見ながら、直はぼんやり考えた。俺は海の近くでしか生きられないんじゃないか、と。根拠なんてない。でも、そう思った。思って、それきり忘れていたが、十八歳の春になってまたその感覚を思い出した。
この町を出ていく気に、なれなかった。
星見町は人口が三千人を切っている。
昔は漁業で栄えていたらしいが、直が生まれた頃にはもう縮小していて、今は細々と続いているだけだ。若い人間が出ていって、残るのは年配の人たちばかり。商店街はシャッターが増えて、小学校は直の代が卒業したあとに統廃合された。隣町の学校に吸収されたのだと、後から聞いた。
それでも、町がある。
港があって、灯台があって、山があって、海がある。
直はこの町を嫌いではない。べつに好きだと叫ぶほどでもないけれど、出ていく理由がないというのも本当で、どこかに行こうとすると足が重くなるというのも本当だ。
足が重くなる理由は、ひとつある。
父のことだ。
父——朝倉誠は、直が十三歳のとき、突然いなくなった。
朝、ふつうに朝食を食べて、ふつうに出かけて、そのまま帰ってこなかった。職場にも来なかった。携帯電話は部屋に残っていた。財布も、鍵も、着替えも、全部置いたままだった。
失踪、と警察は言った。
行方不明者届を出したが、手がかりは何もなかった。一年経っても、二年経っても、何もなかった。
直が高校を卒業する頃には、もう五年が経っていた。
五年。
五年も経ってしまった。何の連絡も、何の手がかりもない。そんな人間がいつか帰ってくる保証なんて、どこにもない。それでも、直はこの町を離れることができなかった。
帰ってきたとき、ここにいないと、ということだと思う。
言葉にすると滑稽だが、それが正直なところだった。
そしてもうひとつ。




