第二話「密着授業と禁断の接触」
「……わかった?二次関数のグラフは、この公式を使って頂点を求めれば簡単でしょう?」
白石さんの指が俺のプリントに触れた瞬間、微かな香水の匂いが鼻孔を刺激する。シャンプーと……ミルクみたいな甘い匂いだ。
「え?あ、うん……多分?」
「多分じゃ困ります」
彼女は細い眉をひそめる。
「ここは試験に出るので絶対に覚えないと」
そう言って彼女がさらに体を乗り出した時――。
「……ん?」
何かが左腕に押しつけられている。柔らかい。とても温かくて、規則正しく上下に動いていた。心臓が急加速する音が耳の中で爆発しそうになる。
(これってまさか……)
恐る恐る横目で見ると、白石さんの青みがかったブレザーの胸部ラインが――明らかに俺の肘に触れかけていた。わずか数センチの隙間に閉ざされかけている。
「集中してください山田君」
彼女の声が耳朶に甘く響く。ほとんど囁きかけるような距離だった。息遣いまで感じ取れるほどの近さだ。
「は、はい!もちろん!」
慌ててペンを握り直す。だがその動作が逆効果だった。白石さんがさらに身を寄せてしまい、今度は完全に右腕が――。
「……っ!」
生々しい感触。制服の固い素材の奥に確かに存在する弾力と熱量。思わず呼吸が止まる。
「どうしました?顔が赤いですよ」
白石さんの首筋があまりに近くにある。絹のように滑らかな髪が微風に乗って頬を撫でていった。
(まずいまずいまずい……!)
脳内で警報が乱れ打ち鳴る。このままでは限界突破してしまう。
「あ、あのさ!この問題なんだけど……!」
必死に別のプリントを掲げる。少しでも距離を取ろうと背伸びする。
「どれどれ……ああ、これはね」
だが白石さんはさらに腰を屈めてきて、結果的に顔と顔が10㎝以内まで接近した。長いまつ毛が一本一本見えるほど鮮明だ。
(神よ……なぜこういう試練を与えるんだ)
しかもその間――白石さんの胸はなおも俺の腕に安定して接触している。まるで確信犯のように微動だにせず鎮座していた。
「ここは……こう計算すればいいんですよ」
「う、うん!すごくわかりやすい!」
必死で返答しながらも意識の9割が触覚情報に支配されている。柔らかい。温かい。そしてときおり微かに上下に揺れる――つまり彼女が呼吸をするたびに俺の腕をそっと揉むような動きになるのだ。
「ねぇ山田君」
「はい!?」
「本当に大丈夫?」
突然の問いに狼狽える。
「やっぱり教えるの下手なのかな……」
白石さんが少し寂しそうに眉根を寄せた。
「ち、違うよ!むしろすごくわかりやすくて……ただあまりにも突然だったから驚いただけで……」
「驚いた?」
「い、いや!何でもない!」
取り繕うように猛然と計算式を書き殴る。汗が額に滲んでいた。
彼女は不思議そうに首を傾げたが、それ以上詮索せず続きを教えてくれた。
やがて学園のチャイムが鳴り響いた。
「あら、もうこんな時間」
白石さんがスッと立ち上がる。当然のように触れていた感触が消え去り、俺はほっと安堵の息を吐いた。同時に一抹の喪失感もある。これ以上は耐えられなかったけれど、終わりが来るのも惜しいという矛盾した感情。
「ありがとう白石さん。すごく助かったよ」
「こちらこそ」
彼女は照れくさそうに微笑んだ。
「少しでも山田君の役に立てたなら嬉しいです」
その純粋な笑顔を見て、罪悪感が胸を刺す。俺は何を考えていたんだ?彼女は親切心で時間を割いてくれたのに……。
「そうだ山田君」
白石さんがふと思い出したように言った。
「明日の放課後も……続き、教えましょうか?」
「え!?」
「迷惑でした?」
「い、いや!全然!むしろ……その……ぜひお願いしたいです!」
反射的に答えてから、俺は自分のセリフに唖然とした。明日もこれか?この拷問のような幸福は……!
「良かった!ではまた明日」
白石さんは満面の笑みを残して教室を出て行った。夕闇に包まれていく廊下に消えていくその後ろ姿は、どこか軽やかだった。
一人残された俺は呆然と机に突っ伏す。
「……マジかよ」
明日も?俺は生き延びられるのだろうか?
窓から差し込む残り陽が、机上に散らばったプリントを照らしていた。彼女が一生懸命書いてくれた解説の朱色の字が、まるで誓約書のように輝いている。
白石さんの教え方は本当に素晴らしかった。頭の中に曇っていた霧が晴れていく感覚があった。だけど――それ以上の非現実的な出来事が全てを塗り替えてしまった。
明日もこの距離で?
あの柔らかい感触を味わうことになるのか?
「俺は……もう陰キャなんかじゃないのかもな」
そうつぶやきながら、俺は解答用紙をそっと撫でた。この課題が終わるころには、俺の人生も何かが変わってしまいそうだ。
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