26話 世紀末都市「湖鳴村」 その3
まだ小学五年生の頃。以前思い出したプールでの思い出より少し後の出来事。
ぎゃいぎゃいと騒ぎながら帰る小さい子を班長に任せながら、私たちは「今日の宿題について」というくだらないテーマの雑談に花を咲かせていた。
「湖鳴村…ってどこです?」
「大宮の端っこだな。そこが俺が5歳まで住んでた村だ。今どうなってるかは知らん」
「そこの歴史を調べるわけですか。面倒な課題出してきましたね、あの先生」
「ああ。なんでよく知りもしない場所について調べにゃならんのか…」
当時、小学校の教師より出された課題。それは、「自分が生まれた場所について調べ、作文しなさい」という単純なものだった。
その結果、彼が調べることになったのが「湖鳴村」だった。
「ま、出来ないと居残り確定ですからね。面倒な場所に生まれた自分を呪ってください」
「そういうお前はなんかあるのか?」
「歴史がクソ浅い集合住宅地なので、親に聞きます」
「あ、ズルいぞお前」
「ズルくないでーす」
大した歴史もない場所だが、小学生程度の作文の題材にはなるだろう。そう思い、作文用に買わされたノートを開き、その文字数を確認したっけか。
この作文で楽できる生まれでよかった、と安堵する私を前に、彼は恨めしそうに声を絞り出した。
「じいちゃんばあちゃん関係のとこにできりゃよかったんだがな…。流石に遠いわ」
「どこです?」
「父方は北海道、母方は沖縄」
「何故にわざわざこんなとこに住んだんですかアンタの両親」
他にももっといい立地があっただろうに。呆れる私に、修司は耶麻斑家が大宮で暮らすことになった経緯を語った。
「親父が転勤族だったんだよ。んで、ここを気に入って転職して…って流れで永住」
「大宮のどこを気に入ったんですか」
「のどかな田舎町だと思ったらしい。事件がよく起きるって知ったのは住んでからだいぶ後だって聞いた」
「大宮に住んでて事件に巻き込まれたりしなかったんですか…?」
「いや、両親はそんなことなかったぞ」
「奇跡だ…」
よそから来て15年近く住み続けることができるなんて、奇跡以外の何者でもない。
大宮の魔窟っぷりを知るが故の戦慄に身を震わせていると、ふとある心配が頭をよぎった。
「……一応忠告しますけど、大宮市内で遠出する時は気をつけた方がいいですよ。バスジャックとか起きるんで」
「俺はそれなりに事件に巻き込まれてるぞ。ほら、腹に銃創あるし」
「んなサラッと言うことじゃないでしょうよ」
ぺろ、と服を捲り、すっかり塞がった傷跡を見せつける修司。
彼にとってはもう過ぎたことで、特に気にすることでもないという認識なのだろう。からからと笑い、私の心配を笑った。
「ま、記憶する限り、ブルーギルがよく釣れる湖以外はなんもないとこだ。大丈夫だろ」
「それがフラグにならないことを祈りますよ」
その日から、あいつは付き合いが悪くなった。
♦︎♦︎♦︎♦︎
彼が私と関わらなくなってから、日々が劇的につまらなくなったわけじゃない。
お気に入りのお菓子が販売終了した時のような、耐えられないほどじゃない淋しさ。時が経てば、「そんなものもあったな」と思い出す程度のものがじくじくと胸を締め付ける。
物足りない。そう感じた私は常日頃から、彼との距離を埋める機会を窺っていた。
多分、好きだった。初恋だった。
ドラマやアニメのように劇的なきっかけはない。ただぼんやりと、彼が隣にいる人生を思い描くことができた。
機械油まみれで、容姿に無頓着。お世辞にも女にモテるわけじゃない。
私と同じく面倒くさがりでデリカシーなんてないし、口も悪い。
だけど、同じだから気兼ねしなくていい。彼との距離の心地よさが、いつしか恋に変わっていたんだと思う。
私が彼と二人きりになる機会が訪れたのは、中学一年生の三学期。年が明け、冬休みが終わった直後のことだった。
何人かのグループに分かれ、地元について調べ、新聞を作る。そんなよくあるグループワークの課題で、私と彼は情報収集を担当することになったのだ。
「……最近、話してませんでしたよね」
「ん、ああ。ちょっといろいろあってな」
声変わり期を迎えた彼の声は、ところどころが上擦っている。
こんな声だっけ。記憶の中の声と今の彼の声が一致しないことを不思議に思っていると、彼もまた訝しげな顔で問うた。
「お前、声変わったか?」
「…13歳ですよ?そりゃ変わるでしょうよ」
「まあ、そうか」
声が変わった。体つきが変わった。顔の輪郭も変わった。
だけど、お互いに中身は変わってなかった。
そのことに安堵し、温めていた話題を出そうとするも、声が出なかった。
当時の私は思春期。何故だか、彼と話すことがとてつもない命題のように思えてしまった。
二人で調べ物を続けること、数分。私は勇気を振り絞り、しばらく漂っていた沈黙を破った。
「……2年も前の話ですけど」
「なんだ?」
「湖鳴村、どうでした?」
「湖鳴村…ああ。本当に『湖以外はなんにもなかった』ぞ」
「そうですか」
彼の言う「なんにもない」が「人も家も畑も含めて」と知るのは、もう少し後のことだ。
久しぶりに話すというのに、話題選びを失敗してしまった。そのことがひどく恥ずかしくて、顔を赤くして彼から目を逸らしたのを覚えている。
どんな距離感で話していたっけ。どんな話をしていたっけ。真剣にそう悩んでしまうくらいには、私と彼の距離は離れていて。時間の流れが私に重くのしかかった。
それは彼も同じだったのか、それとも別の理由だったのか。
彼は過去よりはおとなしい声音で問いかけた。
「…気になるなら、来週の土日あたり、来てみるか?案内するぞ」
本来なら乗らない誘い。過去、彼と仲良くしていた私だったら、「いやですよ。なんでなんにもないとわかってるクソ田舎にわざわざ出迎にゃならんのですか」、とでも悪態をついていたことだろう。
しかし、当時の私は久々の会話に舞い上がってしまっていたのだろう。それを聞いて、承諾してしまった。
「まあ、一度くらいなら」
「そうか!」
ぱあっ、と笑顔を見せる彼。私に自分が作った村を見せたいと思っていたのか、それとも別の理由か。
その真意はわからない。私が彼の誘いに乗って、村に行った日。彼は死んでしまったのだから。




