口が開きにくい
「先生、かかりつけ医が午後から休診だそうで、紹介状を持ってきている女性がいますけど。」と受付嬢。
「え?かかりつけの先生がいるなら、明日でも良いような気がしますけど、緊急なのでしょうか?とりあえず、お話を聞きましょうか?」
ほっそりした70代の女性が診察室へ入ってくる。「お手紙を拝見してもよろしいですか?」と紹介状を預かり、開封する。開口障害、下顎痛で今日、大学病院の歯科口腔外科に行ったらしく、診察した歯科医師より、上の血圧が80と低く、そっちの治療が必要ではないかと書いてあった。
「えっと、大学病院へ行ったのは、口が開きにくいのと、顎が痛いからでしょうか?」
「はい、昨日から口が開けづらく、右の顎がとても痛くて、食べ物もうまく飲み込めません。水分はなんとか飲めています。」と女性が答える。
「血圧がとても低いようですが、血圧のお薬は飲んでおられるのですか?」
「はい、血圧のお薬はいつも飲んでいますが、昨日からは口が開かないので飲めていません。」
「薬を服用している時の血圧はどれくらいなのですか?」
「お薬を飲んで上が130くらいです。」
「ちょっと血圧を測らせてもらっていいでしょうか?」とりあえず、血圧を測らせてもらうことにしたが、やはり上の血圧は80台と低めである。
目の前の女性は痛みと開口障害を訴えるものの、発熱はなく、元気そうではある。しかし、薬を服用していないのにいつもよりずっと血圧が低く、脈拍も100を超えているため、病巣ははっきりしないが、感染症が疑われる。とりあえず何か嫌な感じがする。低血圧はショック状態かも知れず、このまま家に返すのは危険な気がすると医師は思った。待合室で女性に待っていただき、精密検査をしてくれる受け入れ先の病院を探すことにした。
「ご本人は元気そうですけど、ショック状態かも知れないです。このまま家に返すと取り返しがつかないことになりそうです。とりあえず、受け入れ先の病院を探します。やばい気がします。」と青ざめた顔をした医師は受付嬢に告げた。
待合室で待つ女性は、「ここの病院は紹介しかしないの?いつできたの?」と呑気にこちらに話しかけているため、そんなに状態が悪いようには見えないのだが、隣で明らかに焦っている医師を見ると本当に危ない状態なのだなと思う受付嬢であった。
医師は一番近くの総合病院へ電話を掛け、事情を説明するが、断られる。もしも受け入れ先が見つからなかったらどうしようと焦りながら、二つ目の病院へ電話したところ、担当医師に繋いでくれた。事情を説明したところ、とりあえず診察、検査をしてくれるとのことであった。
女性に「血圧も低く、脈も早いし、口は開きにくいし、顎の痛みもひどいので、細菌が体に入って悪さをしているのかも知れません。お家に帰って、急に症状がひどくなり、動けなくなることも考えられます。今から病院をご紹介しますので、そちらに行って、色々と検査をしてもらったほうがいいと思います。」と説明をする。
少し嫌そうではあったが、ちゃんと検査をしてもらうようにと説得し、タクシーを呼び、
病院に向かわせた、
その後、紹介先の病院から炎症マーカーと白血球が異常に高く、感染症が強く疑われるため緊急入院になったとの連絡が入った。
本当に、頑張って行き先を探して良かったと医師はほっとするのであった。
紹介状の返事が届くと、右下顎周囲炎、頸部蜂窩織炎、顎下腺炎、敗血症によるショック状態と病名が書いてあった。「あの人、あんなに元気そうだったのに・・・。先生が焦っていたはずだ。」と納得する受付嬢だった。
後日、ご本人がやって来て、「あの後、あちらの病院で色々検査して、すぐに入院しなさいって言われました。一回家に帰りたいと言うと、『死にますよ』と脅されたんですよー。」と報告に来てくれた。
本人はほほほ・・・と笑っていたが、医師は「私はこのまま家に帰してはいけないと必死でしたよ。生きた心地がしませんでしたよ。まあ、無事に治って良かったですね。」と女性に返していた。