一度のやらかし
ある日、医師が受付嬢に昔話をし始めた。
「私は研修医の時、地方の市立病院にいたんですけど、一度、大失態をしましてね。
後々まで、上司にことあるごとにその話を持ち出されて、人生って辛いなあと思いました。」
常々慎重派だと思っていた医師が一体どんな失態をと思い受付嬢が尋ねる。
「えー、そこまでの失態って一体何をしたのですか?」
「その病院は救急病院だったので、私もしばしば夜中に呼び出されていました。住んでいるところが、病院の真隣の官舎でしたので、寝ている時にうっすらと救急車のピーポーピーポーという音が聞こえてくると、『ああ、きっとポケベルが鳴る』と思うと必ず鳴っていましたね。そして、私が救急当番の時は救急患者さんがやってくる時が多かったのです。上司からは『今日は君が当番だから、救急患者さんが来るなあー』と毎回言われていました。元々、体力ない方なので、あの当時は結構ヘロヘロでしたね。夜中に起こされ、救急の患者さんの対応をしていると、帰り着くのが夜明けということも多くかったですね。ある日、救急患者さんの対応をして、家に帰ってちょっと一眠りをしていて、ふと気づくと朝の9時を過ぎていまして、大慌てで職場に向かいました。運悪く、その日は病棟回診というものがあり、入院患者さんを上司が診て回るという日でした。上司は私が回診に現れないのは、緊急入院した患者さんの対応としていると思っていたようですが、私は正直に、『寝坊して、遅れました』と言ったのです。その後からは、事あるごとに、『いやあ、君は寝坊するからなあー、遅れずに来られるかなあー』と言われました。遅刻したのは事実なので、言われるたびに、『ははは・・・』と乾いた笑いで対応していましたが、もしかして上司は私が嫌いだったんでしょうかねえ。」と医師は悲しそうに呟く。
「先生のことを嫌いかどうかはさておき、そこまで何度も言われると嫌になりますよね。私はその元上司を存じ上げないけれど、まあ、若干しつこい性格の方だったのかも知れませんね。」と受付嬢は、そんなしつこい人が自分の周りにいなくてよかったと思いながら医師を慰めるのだった。
「まあ、その病院を去ってからは、その元上司にお目に掛かることもないので、良いのですけど。万が一、お会いすると、またその失態のことを言われそうなので、元上司が現れるようなところにはいきませんけどね。」と医師は話を締めくくるのであった。