五
父親を見送り、二人は再び席に着いて向かい合う。
気まずくなったまま、晴希は冷めかけたオムライスを食べた。
今日はクリスマスイブで、彼女の誕生日で、その父親がいなくなった日のはずだった。父親が出ていった日だから好きではないと言っていたはずなのに、そこにいた。
(嘘だったのか)
12月24日に会わないために作られた嘘。でも、なんでそんな嘘をつくのだろう。
(ダメなのかな)
二人で過ごした3年間まで嘘だったのだろうか。ずっと一緒にいたいと思った晴希の思いまで不正解にしてしまうのだろうか。
その時、ふと、スパイシーな香りが鼻をかすめ、沈んでいく心を呼び止めた。
「お待たせしました」
それは、カレーオムライスのカレーの匂いだった。
追加注文していたことをすっかり忘れていた。
(オムライスの中に指輪は入っているだろうか)
晴希はサプライズをやると決めた。あのときの気持ちは変わってしまったのか。自分に問いかけていた。
「バターライスのカレーオムライス、大盛りです」
店員さんは乃愛の前に大盛りオムライスを置いた。
乃愛はそれを見ると、一瞬口を開いた。そして、店員さんを見上げる。
白いお皿の縁に、ダイヤの指輪が乗っていたのだ。
「指輪落ちてますよ」
そう言うと、店員さんは少しかしこまって乃愛を見つめた。
「落ちているのではありません。これは大森晴希様から、お客様へのプレゼントになります」
店員さんの表情はどこかにこやかだった。満足げに微笑み、くるりと背を向けて去っていく。
乃愛はしばらく固まっていた。何が起きたかわからず、黙っている。その姿を見て、迷っていた晴希もようやく切り出した。
「俺からなんだ」
「わたしに?」
「乃愛以外いないよ」
晴希はじっと彼女を見つめた。今年、初めて誕生日を一緒に過ごすことが出来た乃愛。クリスマスイブもいいけれど、晴希は乃愛の誕生日を祝いたかった。
「12月24日に嫌な思い出がたくさんあるなら、それ以上にいい思い出を一緒に作ろうよ。12月24日に仕事をいれたとしても、嫌なことがあったとしても、結婚していれば家で会える。ちゃんと誕生日を祝える」
晴希が心から望んだことだ。
お皿の上の指輪から目をそらし、乃愛はうつむいていた。
「わたし、大食いだよ?」
「体力を使う仕事をしているんだから、いいじゃないか」
「ーーでも、嘘つきだし」
「お父さんのこと?」
晴希は、さっきの男性客を思い出す。
12月24日に会ったりしたら、晴希もその夜に、きっといなくなってしまう。だから会いたくない。乃愛は毎年言っていた。
それは嘘だった。
「晴希」
乃愛は、顔を上げた。
「本当はね。12月24日が嫌いになったのは、元カレにふられた日だから。晴希と付き合う前の年、約束したのに来なかった。一人で待っていたら2時間後にもう別れようってメッセージが来て、それきりで」
カレーを纏った、スパイスの香り漂うオムライスを見つめる。お皿の縁に乗った指輪も乃愛の話をきいている。
「晴希と付き合ってからも、12月24日だけどうしても思い出してしまっていたの。相手も私も、もう違う人と付き合っているのに。12月24日だけはだめだった。そんなこと考えている日に晴希とは会えなかったーーごめん」
晴希は小さく笑う。
「でも、今年は誘ってくれた」
何となく気づいていた。晴希と付き合いながらも心は他の男に残っていること。なかなか告白に頷いてくれなかったのは、きっとそのせいだったのだ。
それでも、晴希は乃愛が好きだった。特に、一緒にご飯を食べるのが好きだった。
二人はそうやって3年間、一緒に過ごした。少しだけ距離があって、少しだけ未練を隠した彼女を大切にしながら、ゆっくり、ゆっくり、二人は近づいた。
何となくの彼氏から、忘れるための彼氏から、いつも一緒にいる大切な人になりたかった。
「乃愛から会おうって。すごく嬉しかった」
「だって今年はーー」
今年は思い出さなかったのだ。今年、乃愛は晴希といたかった。
「どうしても晴希とランチをしたかった」
乃愛の言葉は真っ直ぐだった。晴希の胸がじんわりと温かい。
「それで、充分」
「許してくれるの?」
「いいよ」
「心、広すぎない?」
「乃愛の元カレにやっと勝てたと思って、正直浮かれている」
浮かれて、プロポーズするって決めたのだ。
「ちょっと、前のめりだったかも」
乃愛のほうは、ようやく元カレの影が自分から離れたところなのだ。慎重で真面目な乃愛の性格からして、すぐに晴希と結婚という気持ちにはなれないのかもしれない。それなのに、晴希はサプライズでプロポーズなんて、ちょっと攻めすぎてしまった。
「じゃあ、改めて」
「竹内乃愛さん。僕と結婚を前提にお付き合いしてくれますか?」
「ーーはい」
晴希はオムライスのお皿から指輪を取ると、乃愛の薬指にはめた。
父親が娘に贈られるこの指輪をネコババしようしたことは、とりあえず忘れることにして。
「他のお客さんが踊りだしたりしないよね?」
「乃愛はそういうの苦手でしょ?」
「うん。ちょっと恥ずかしい」
二人は微笑み合い、オムライスを再び食べ始めた。
きっとー年後のクリスマスイブも、特別な一日になる。そんな幸せな予感に包まれながら。