四、
「な、何?」
乃愛の真剣な表情にドキリとする。
「泣くほど嬉しいなんて、なんかごめんね」
「えっ、それは……気にしないで」
「わたし、12月24日が嫌いって話していたから、毎年この日に会うの避けてくれていたんだよね?」
本当は、指輪を見知らぬおじさんに奪われ泣いたことを誤魔化したのだけれど、本音でもあった。
12月24日、乃愛は毎年仕事をびっちりと詰め込む。今年、ランチに誘われたのは奇跡なのだ。
誕生日が世間的にもスペシャルな日であるクリスマスイブ。そして、嫌なことが起こってしまう日だと彼女はいう。
「お母さんがケーキを買いに行った帰りに事故にあったり、再々テストになったり、田んぼに落ちたり、片思いの人に大食いゴリラモンスターって言われたり。嫌な思い出が多くて」
今言ったことは前置きみたいなものだった。
お母さんの事故は、自宅で駐車中、油断して犬小屋を破壊したという、よくある話。
田んぼに落ちたのも、大食いゴリラモンスターも、小1の頃のことで、かわいい昔話だ。
再々テストに至っては、彼女が部活の練習をやりすぎて授業中しばしば寝てしまったことが原因らしい。
それらは些細なことで、彼女が心を痛めているのは、12月24日に父親が家を出ていったこと。
「この日、お父さんもいなくなったから」
だから、会いたくない。デートする気持ちになれない。
それが毎年の決り文句。
去年と違うのは、それが晴希とのデートを断るために発した言葉ではないということだ。
「今年はどうして誘ってくれたの?」
カニクリームコロッケをフォークを口に運んだ乃愛は、じっと晴希を見つめていた。
「晴希なら、大丈夫だと思ったから」
晴希はどこにもいかないよね?
その瞳がそう問いかけている。
「乃愛。お父さんならきっと帰ってくるよ」
晴希はできる静かに、でも限り力強く言った。
「ありがとう」
乃愛が優しく微笑んだ、その時。
静かに男が立ち上がった。
「大食いゴリラモンスター?」
指輪をネコババしようとした男だ。
「まさか、乃愛なのか?」
乃愛の背中に向かって名前をよんだのだ。
向かいの席のおじさんは立ち上がっていた。
「乃愛なのか?」
振り返った乃愛も立ち上がる。
「お父さん?!」
晴希は二人の顔を見比べる。
「えっ、父親なの?」
指輪ネコババおじさんが乃愛のお父さん?
二人は戸惑ったまま見つめ合っている。お互いにどうしたらいいかわからず、動き出せない。
「あ、じゃあ、一緒に食べますか?」
気づくと晴希も立ち上がっていた。その場の張り詰めた空気を解きほぐしたい一心だった。
プロポーズのことも忘れて。
しかし、父親は苦笑いで首を振った。
「いえ、私はもうお会計なので」
「でも。久しぶりの親子の再会なのでは?」
「いや。一昨日会っていますよ」
「えっ?」
晴希は目をまん丸にして、再び親子を見比べた。
「お父さん、家出したのでは?」
父親は「まさか」と言って笑う。
「家出というか、家を出て、少し遠くへ稼ぎに行っただけです」
「じゃあ、ただの単身赴任?」
「まあ、そんな感じです。この娘がたくさん食べるから、仕事を増やしたんですよ」
「なるほど」
「昔、学校で大食いゴリラモンスターなんて言われて、泣いて帰ってきていました」
懐かしそうに話していた父親だが、娘の冷たい視線に気づいたらしい。
「それでは、また」
男は愛想笑いを残して、逃げるようにレジへ向かった。
そそくさと立ち去ったのは、余計なことを喋って娘の怒りを買ったせいか、指輪をネコババしようとしたのが気まずいからか。
店員さんにギラギラと睨まれながら、男性客は会計を済ませていた。