三、
店員さんは、ちゃんとトマトケチャップのオムライスと、カニクリームコロッケの乗ったハヤシソースのオムライスを、晴希たちの席まで持ってきた。
注文どおりだった。
しかし、指輪は向かいの男性客のもとにある。
男性客と晴希は目と目を合わせ、その衝撃を分かち合っている。晴希はそう信じた。
きっと心は通じている。こちらの状況は伝わっている。
晴希の頭の中は、以下の通りだ。
男性客:指輪、あなたのですよね。
晴希 :そうです! 手違いなんです!
男性客:それはお気の毒に。今、お返しします。店員さんに渡しますね。
晴希 :ありがとうございます!
男性客:プロポーズ、頑張って
これが脳内での男性客との会話だった。
晴希と男性客はうなずき合う。
(早く店員さんを呼んでください!)
男性客は改めて指輪を見つめる。見るからにいい指輪だった。これは、売ったらいい値段になる。
男性客の脳内は以下の通りだ。
晴希 :オムライスに指輪? ひどい店だね。
男性客:異物混入にしても、こんな指輪をつけて料理するなんて、おかしいよね。
晴希 :おかしいです!
男性客:もらっていいよね。高そうだし。
晴希 :絶対にいいです!
男性客:わかった。これはクリスマスプレゼントだ。
晴希 :サンタさんの粋なはからいです!
男性客:今月キツイから、売っていいよね?
晴希 :売っちゃえ売っちゃえ!
男性客はニッコリ笑うと、指輪を丁寧に拭いて、丁寧に紙ナプキンに包み、胸のポケットに入れた。
「あっ!」
晴希は立ち上がる。
「えっ?」
男性客はしばらく晴希と顔を合わせていたが、ゆっくりと目をそらした。
その時、晴希は察したのだ。
あの男はネコババする気だ。
もう指輪は返ってこない。
「それは俺の婚約指輪なんです」って説明したところで、この男性客が「自分のだ」と主張したら終わりだ。証拠はない。だってオムライスの中に入っていたんだもの。それを客に出してしまった。村木の雇われ店長としての立場も危うい。
「どうしたの?」
彼女に訊ねられ、晴希は椅子に座った。
「なんでもないよ」
「でも、泣いてるよ」
気づいたら頬に涙が伝っていた。
「俺さ、嬉しくて。今日は乃愛の誕生日でクリスマスイブでしょ?」
違う違う。入社以来こつこつ積み重ねた貯金を使って購入した婚約指輪が、知らないおじさんの手に渡ったのが悲しすぎるのだ。
それを取り返す手立てが浮かばずに涙が出ただけなのだ。
「晴希、大丈夫?」
乃愛が心配そうに覗き込む。
「大丈夫。一緒のランチの、嬉しいなぁ」
その時、どす黒いオーラを感じて振り返る。店員さんが仁王立ちしていた。
ーーなぜ取り返さない! このへっぴり腰!
店員さんは怒りを晴希の脳内に浴びせかけた後、ツカツカと男性客に近づいた。動線を迷い一つなく突き進むと、テーブルに何かを差し出した。その途端、サッと男性客が青ざめる。そして、お冷を一口飲み、おずおずと胸ポケットの中のものを出した。
先程指輪を包んだ紙ナプキンだ。
「すみませんでした」
男性客は頭を下げている。
(何を見せたの?)
何故あっさり降参したのだ?
店員さんに、「料理にこんなものが入っていたぞ! どういうことなんだ! 責任者出せ!」と、怒ってもいいはずなのに。
(ま、いっか)
晴希は細かいことは気にしないことにした。
プロポーズ計画の決行中であり、指輪は救出されたのだから。
店員さんがちらりとこちらを見て、ニヒルに笑う。指輪を取り返したから安心しろ、と笑っている。
(かっこいい)
指輪が男の手に渡ってしまった時、すぐに諦めた自分が恥ずかしい。
「晴希」
ふと乃愛がテーブルをトントンと叩く。メニューを手に持ちながら。
「追加注文してもいいかな?」
晴希が店員さんをぼんやり眺めていた間に、乃愛はすでにカニクリームコロッケも食べ終えていた。
「いいよ。俺まだ食べ終わっていないから、ちょうど一緒に食べ終わるかも」
乃愛は嬉しそうに笑って、店員さんを呼ぶ。
「すみませーん」
店員さんはすぐにやってきた。
「カレーオムライスをお願いします」
「中のライスの種類は」
「バターライス、大盛りで」
「かしこまりました」
店員さんはチラリと晴希を見た。
(次こそは)
そう目配せをして、キビキビと去っていく。
なんと頼りがいがあるのだろう。
再び作られるオムライスには、今度こそ婚約指輪が入った状態でやってくる。
「あのさ、晴希」
乃愛が突然、改まって背筋を伸ばした。