二、
時は12月24日、土曜日のランチタイム。
村木の店ではランチの予約をやっておらず、晴希は彼女の乃愛と30分ほど並んで店に入った。
「人気のお店なのに30分で入れてよかった」
テーブル席に座った乃愛は満面の笑みだった。
「ごめんね、せっかくの」
乃愛は晴希の言葉を遮るように首を大きく振る。
「謝らないで。オムライスすごく好きだから」
そして、意気揚々とメニューを開いた。待っている間に注文するメニューは決めてある。
「私、カニクリームコロッケ付きのハヤシライスのオムライス。大盛りバターライスでお願いします」
「僕はトマトケチャップのオムライス、チキンライスで。イカリングタルタルなしで」
店員はギラリと晴希を睨んだ。
「かしこまりました」
イカリングもタルタルもメニューには存在しない。
これは村木への暗号だった。この注文が晴希のオムライスであることを伝えるために用意した言葉だ。
店員は、足取りに怒りを込めつつ、さも忙しそうに厨房へと戻っていく。
「大盛況だね」
彼女は小さな声で言った。
店内はもちろん満席。
外にはまだ行列が続いている。
ホールを任されている店員さんは一人しかいないらしく、案内や注文、会計からテーブルセットから何から何まですべて一人で回していた。
さっきの睨みの意味を察ししまった。
ーーこの忙しいときに面倒臭いサプライズなんてやりに来やがってコノヤロー!
そういうことなのかもしれない。
でも、婚約指輪はすでに村木の手の中にある。勝手に計画の中断はできない。
(ごめんなさい)
心のなかで謝りつつ、晴希の緊張は否応なしに高まっていった。
待っている間の他愛のない会話も上の空だ。
そうしているうちに、オムライスが運ばれてきた。
「美味しそう!」
食べることが大好きな彼女は、思わず顔を綻ばせる。
「いただきまーす」
晴希は幸せそうに食べるその姿が好きだった。しかし、今日はほのぼの眺めている場合ではない。
(いよいよ始まった)
このオムライスの中に婚約指輪が入っているのだ。
彼女は黄色い卵にスプーンを入れると、彼女は更に上機嫌になる。卵は程よく柔らかくご飯を包み込んでいた。トロトロ過ぎないのが彼女の好みなのだ。スプーンですくい上げ、ご飯と卵とハヤシソースを同時に口の中に迎え入れた。美味しくて彼女の頬が上がる。
急いで食べているようには見えないのに、どんどんオムライスはどんどん減っていった。
「すごくおいしい。行列のワケがわかったよ」
彼女は力強く言った。
晴希は「そうだね」と答えたものの、トマトケチャップの味もわからず、ただスプーンを運んでいた。
(指輪が出たらプロポーズだ……)
胸のドキドキと胃のキリキリが同時に襲ってくる。
ところが、彼女のオムライスが半分になっても、3分の1になっても、指輪は出てこない。
「わたし、ケチャップで食べる普通のオムライスも好きだけど、ハヤシソースとバターライスのも思い入れがあるんだよね」
何も知らない彼女はペロリと完食してしまった。
「あれ? 晴希、食欲ないの? 半分も食べてないよ」
なかなか減らない晴希の皿を指差す。指輪に気を取られたせいでいつも以上に遅くなってしまった。
「乃愛が先に食べ終わるのなんて、いつものことじゃないか」
「まあ、そうだけど……」
ヘラヘラと誤魔化す晴希を、乃愛は心配そうに晴希を見つめている。
「大丈夫だから食べよう」
晴希は意気揚々とスプーンを動かしてみせるものの、やっぱり頭の中には指輪の所在のことでいっぱいだ。
もしかしたら、カニクリームコロッケの中?
いや、それはない。
オムライスに入れると言っていたし、仕込みの段階から彼女がカニクリームコロッケを注文すると読んで、指輪をいれるなんてあり得ない。しかもどのカニクリームコロッケかわからなくなるし、何より誤飲が心配だ。
(じゃあ、どこなんだ?)
その時、彼女の背後の席で、一人の中年男性がじっと、自分の目の前にあるオムライスを見つめていた。ハヤシソースがかかっており、それは彼女の頼んだものと同じに見える。
男はカトラリー入れから箸を取り出し、何かをつまみ上げる。黒い箸が挟んでいるのは指輪だった。
その様子が彼女の肩越しに晴希の視界にばっちり映り込んでいた。
(まさか、村木のやつ)
全身の血液が引いていくのを感じた。
(指輪を仕込むオムライスを間違えたのか?!)
男と目があった。
それは痺れるような運命の瞬間だった。