とある愛のない仮面夫婦の娘マリアベルによる切実なる告白
「婚約する前に、レナルドに言っておきたいことがあります」
少女は手に持っていた「東の国の漫才史」という本をぱたりと閉じ、テーブルを挟んだ向かい側にいる少年に向けて、真剣な表情で、そう告げた。
「なに、マリアベル。そんなに改まって」
少年は書き物をしていた手を止め、少女の言葉を待った。
マリアベルとレナルドは幼馴染だ。二人は幼い頃からお互いを憎からず想っており、家柄も年頃も釣り合っている二人が、やがて婚約に至る流れは、とても自然なものだった。
しかし、少女の表情は晴れない。
彼女はやがて意を決したように顔を上げると、
「お父様とお母様は、愛のない政略結婚でした」
とおもむろに切り出した。
⭐︎
お父様とお母様が政略結婚だったということは、当然、知っているでしょう?
お父様の家にお母様が嫁いできた形よね。
当時、お父様は綺麗なお顔だけど、凍えるように冷たい人で、とても近寄りがたかったと聞いているわ。そしてお母様もまた、お美しいけれど気位が高く、扱いが難しい方だったらしいとも。
お二人とも、結婚適齢期を過ぎても相手がおらず、痺れを切らした当時のお父様のお父様……つまりお祖父様が、無理やり二人の結婚を決めてしまったの。
そんな愛のない結婚をした二人を、当時、人々は陰でこっそり「仮面夫婦」なんて呼んでいたわ。
お父様は政務に忙殺され、お母様は社交界でご婦人方をまとめ上げるのに忙しく、お二人はすれ違うばかり。
そんな折、私はお父様に呼ばれたわ。
「よく来た、マリアベル」
その眼光、流氷の如し。そう謳われる怜悧な眼差しに射抜かれると、子供の私でも身が引き締まる。
「マリアベル。一ヶ月後は私の誕生日だ」
「……」
内容は……意外と世俗的ね。
「はい、存じております」
私が頷くと、お父様もまた「うむ」と重々しく頷いて、言葉を継いだの。
「誕生日の夜は一人で静かに過ごしたい。私は東塔のシオウの間で9時から休む予定だ」
「さようでございますか。ゆっくりお休みください」
「シオウの間だぞ」
「はい、シオウの間に九時から、ですね」
私はメモを取りつつ復唱した。間違いがあっては大変だからだ。
「きょうだい全てで共有するように」
「かしこまりました」
お父様の念押しに頷き、そして私はお父様の部屋を辞したのだった。
同日、私はお母様に呼ばれたの。
その存在、氷原に咲く青薔薇の如し。気高く、孤高の存在であるお母様を前にすると、背筋がしゃんと伸びる心地になる。
「マリアベル。一ヶ月後は貴方のお父様のお誕生日です」
「……」
内容は……やっぱり意外と世俗的ね。
「はい、存じております」
私が頷くと、お母様はじっと私を見つめた。
「…………」
「…………」
お母様は、じっっっっっっっっと、私を見つめた。物言わぬ圧力が、私の全身にのしかかる。私は懐からメモを取り出した。
「お父様はその日、東塔のシオウの間で一人ゆっくりとお休みになる予定です。お兄様たちと共に、誰一人として近づけないよう、手配しております」
「そう、誕生日にも一人だなんて、可哀想な方」
お母様はほほ、と笑い、そしてぱたりと扇子を閉じた。
「……シオウの間で間違いないのね?」
「はい、シオウの間に九時からで間違いありません」
「そう。ではその日は、そちらに近づかないようにしないといけませんね」
一月後。九時。
目一杯着飾ったお母様が、東棟へと向かう姿を私は目撃しました。
⭐︎
「…………」
少年は目を泳がせた。その光景がありありと眼裏に浮かぶようだった。
一方で少女はくわっと吠える。
「待ち合わせぐらい、直接、自分たちで聞き合えって言うの! どうして一々私たちを通すの?? めんどくさいわ!」
「いやいや、ほら、お二人は仮面夫婦なんて言われていただろう? 今更、意思疎通している姿を外部に見せるのは恥ずかしいんじゃないのかな」
少年は、できる限り好意的な解釈を無理矢理絞り出した。
しかし少女はふるふると首を横に振る。
「確かにお二人は仮面夫婦なんて呼ばれていたわ。でもね、五人も子供いるのよ? 少子化が進んだこの領内での出生率は2以下。つまり五人は平均の倍以上ね、倍以上。……そう、私はいつも言われ続けていたわ。生ぬるい目で『マリアベル様のご両親は仲がよろしいのね、うふふふっ』って。そうしたら私、こう返すしかないじゃない。『六人目ももう直ぐかもしれませんね、おほほほほ』って」
「……………」
誰だよ、そんな下品なことを言う奴は。そして何だ、その切り返しは。上品な淑女同士の会話じゃないだろ? と少年は心の中で突っ込む。
そんな少年の葛藤をよそに、少女は更に続けた。
⭐︎
ある日、私はお母様に呼び出されました。
「マリアベル。一ヶ月後は、私たちが結婚して十二年目です」
「はあ、そうですか」
例によって例による、いつもの呼び出しに、私の返事が少し適当になってきた。だってもう、次の展開が読めてしまうし。
「ささやかな晩餐会が開かれる予定なのだけれど、どんなドレスを着たら良いかしら?」
お母様はチラチラと私を見る。いや、私というより、私のメモを握りしめる手元だ。
私は小さく溜め息をつき、メモに視線を落としつつ口を開く。
「お母様は何を着てもお似合いですが、特に澄み切った湖のような美しい瞳の色に合わせた青いドレスがお似合いです。ドレスを身にまとったお母様は、この世に並ぶことなき至高の宝玉。神々に見そめられやしないかと心配になるほどです。どうか美しい人、天上に帰ったりせず、この地に留まりください。貴女がいない世界は色を失い、ただただ枯れ果てるばかり。飢えた大地を潤す一滴の至上の雫の如きドレスを準備いたします」
手元のメモの字は、いかつくて、角ばっている。当然、私の文字ではない。でも私は、メモに書かれた言葉を、無感情にそのまま棒読みしている。心を無にしなければ、精神が崩壊しそうだ。なお書き手は……もう分かるでしょう?
一体どんな顔をして、この文章を書いたのかしら。ちょっと気持ち悪いですね。
一ヶ月後、お母様の元に、それはそれは美しい青いドレスが届きました。……もちろん、私や他のきょうだいが準備したものじゃないのよ?
⭐︎
「…………」
少年は目を泳がせた。
「ねえねえ、直接聞くのが恥ずかしいなら、糸電話でもしてろっていうの! どうして私が、薄ら寒いポエムを読まされて背筋が凍る思いをしなきゃいけないの?? そう思わない!?」
「思います……」
話を聞いているだけで総毛立つ。特にポエムの部分。あれを自分の娘に読ませる父親の神経を疑う。普通、恥ずかしいだろう? と。
少年が、寒気に思わず両腕で己の体を抱いているところに、少女は更に続けた。
⭐︎
ある日、私はお父様に呼び出されたの。
怜悧な眼差しに射抜かれると(以下略)。
「マリアベル。一ヶ月後は、私たちが初めてき、キスをしてから十三年と五ヶ月だ。ちなみに、私が初めてき、キスをしたのもその日だ」
お父様はもじもじしていた。
「……」
三十代のおっさんがキスという言葉を恥ずかしがるな! いちいち詰まるな! 顔赤らめるな! 子供五人もいるんだ。もっと、すっごいことしてるだろーが!
というか、キスしたとかそういうことを子供に告げるな! 聞きたくなかったよ!
というより、キスしたの、結婚記念日の十二年より前なの!? 政略結婚だったのよね? おかしくない???
そう突っ込みたいのを、ぐっと堪えて、私はにっこりと微笑んでみせました。
「それならばメロウのお花を贈るのがよろしいかと。メロウの花言葉は『私の全てを貴方に捧ぐ』です。初めての口付けを捧げた相手に相応しい贈り物ではないかと」
一月後。
お母様の部屋はメロウの花で埋め尽くされていました。
⭐︎
「……………」
目の前の少年は目を泳がせている。
「ねえ、キス記念日って何? 何なの?? しかも五ヶ月って何? せめて記念日は一年ごとでお願いします! っていうか、毎日、何かの記念日なんですけど?? 何にもない日は何事もなかった平和な日記念日とか言って呼び出されるんですけど? 意味が分からないですね!?」
確かに何もない日は、平和な良い日だ。しかし、記念日にする必要は全くない。どうか静かな日をください、お願いします、と少女は切に願う。
「……そのうち、初めて結ばれた記念日とか言い出しかねないわ! いい加減にして!」
両親が初めて結ばれた日を知るなんて、生々しすぎる。
少女がそんなことを考えていると、
「あー、その記念日、僕、聞いたことあるな」
と少年は更に目を逸らしつつ、言いづらそうにこう続けた。
「十四年前って言ってたよ」
「何でやねん!」
即突っ込み、少女は持っていた「東の国の漫才史」を机に叩きつけた。
⭐︎
目の前の少女は、興奮しすぎたらしく、はーはーと肩で息をしている。
「十四年前ってキスより前よね!? 何してるんだ、あの人たちは!? 時系列がおかしすぎる!」
「だよねー」
あの二人の時系列など、あまり真剣に考えたくないな、と少年は心からそう思う。考えたら、負けだ。
少女も同じことを考えたらしく、はぁ、と諦めの溜め息を漏らす。
「お父様とお母様は、きょうだい全員にそんな感じでしょう? それで、まだ恋人がいたことがないルークお兄様が、すっかり当てられて地味にダメージを受けてるの。かわいそう……」
不意に恋人がいない年数=年齢であることを暴露されるという理不尽に晒されたルークを、少年は少し不憫に思った。
「私は! そんな面倒臭いことをして子供の手を煩わせたくない!」
少女は決意を込めるかのように、ぐっと拳を握りしめている。
「うん、そうだね……」
確かに、常時この調子だと周囲は大迷惑だ。深く同意する。そう……心の奥底から、同意する。
すると目の前の少女はうるうると目を潤ませて、身を乗り出してきた。
「私は政略結婚でレナルドと婚約するんじゃないの。ちゃんとレナルドのことが好きなの。結婚してもすれ違いたくないの」
「うん。分かってる」
悪いとは思うが、ついつい棒読みになってしまう。みるみる間に少女は口を尖らせる。
本当に分かっているのだろうか。私の心にたぎる、この熱い想いを。
多分そんなことを考えているだろう少女が、じっと自分を見つめてくる。少年はふうと諦めの息を吐いて、口を開いた。
「で、それを僕はレナルドに伝えればいいんだよね」
「はい、お兄様」
マリアベルが恥じらいを込めて頷くと、ずっと彼女の話を聞いていた少年……彼女の兄が、やはりため息混じりに言葉を重ねた。
「マリアベルが直接伝えた方が、レナルドは喜ぶと思うよ?」
「そんな……面と向かって言うなんて、恥ずかしいじゃない……。お兄様はレナルドとも仲が良いし、お願い!」
「…………そう、それなら仕方ないね」
少年の声が、つい疲れたものになってしまったのは……まあ、致し方ないことだろう。
⭐︎
もじもじするマリアベルに、心から突っ込みたい。
(糸電話でもしとけよ!)
END