第9話 婚約の行方
翌朝。
「!」
目覚めの瞬間に、セオの寝顔が飛び込んできた。
(なっ!)
私の横で、セオがスヤスヤと眠っている。
(な、なんで、ここで寝てるの……っ!)
寝間着もない状態で、ドレスだけ脱ぎ捨てた下着姿の自分をシーツで覆い隠す。
(いつの間に来たんだろ。気が付かないほど熟睡してたのね)
「……」
(セオも、熟睡してる)
あどけない寝顔を眺めて、私はくすっと微笑んだ。
窓から差し込む日差しから、お昼に近い時間かもしれない。
まだ起きていないセオを確認してから、ベッドを抜け出し着替えた。
ここに来たのは、事故みたいな感じだったけど。
(来てよかったな)
と、心から思える。
「そうか、それは良かった」
「え?!」
セオの声がして、私は驚き振り返る。
びっくりしている私を見て、セオは顔を上げ、二ッと笑った。
「……戻ったんですか?」
「ああ、聞える」
ため息をつくように言葉を吐き、セオは起き上がった。
前髪をかき上げる姿が、なまめかしい。
(えー、着替えてるの見られた?)
怪訝そうな瞳を向ける私に、セオはくッと笑いを押し殺す。
そして。
「帰るか」
と、ベッドから立ち上がると、私に手を差し伸べた。
「……」
胸を張った立ち振る舞いは、さすが皇子。
私は素直に手を伸ばした。
「今回は街に行ってしまって、回れませんでしたが。次の機会があれば、このお屋敷のお庭を見て回りたいです」
「庭を?」
「はい。チラッと見た限りですが。綺麗に手入れされているようでしたよ。お花の季節に来たいです」
「そうか」
私の手を取って引き寄せると、セオは私の腰に手を回す。
ピタッと寄り添うと、
(あ……っ)
瞬く間に、周りの様子が変わっていた。
「! 皇子っ!」
セオが瞬間移動した先は、執事服に身を包んだ初老の男性と、騎士のセドリック。
そして、怖い顔した侍女長が待つ部屋だった。
(セオの能力を知ってる三人ね。……ここ、セオの自室かな?)
三人の視線を受けて、セオは私を離すと、諦めたように頭を下げた。
「迷惑をかけた。すまん」
しばらく閉ざしていた口を先に開いたのは、大きなため息をこぼした執事。
「殿下、例え、婚約者になられるお方だとしても、まだ正式ではございません。未婚のお嬢様と一夜を共にされるのは、まだ早いかと」
「わ、……分かっている。それに、浅紅の月の日だと忘れていたんだ」
と、言い訳するセオに声を荒上げたのは、騎士のセドリックだ。
「ただでさえルーカス公爵から命を狙われてるんですっ! お一人で行動されるのもそうですけど、リリア様を連れて行かれるなんて、論外ですっ!」
目の前で消えられる僕の身にもなってくださいっ! と、彼は懇願する。
「いきなり消えて、しかも一晩帰れない理由を伯爵にどう説明するか! 殿下は考えたことがあるんですかっ!」
泣きわめきそうな勢いのセドリックの傍で静かに聞いていた侍女長が、セオを鋭く睨んでいた。
「我々が日々、あなたに振り回される動力をお考え下さい。この、言い訳に辻褄があるよう、しばらくご協力願います」
見開かれた瞳で力強く圧力がかけられて、セオは彼女に何も言い返せなかった。
「分かったよ。……で、護衛騎士の選定は済んだのか?」
困ったように頭をかきながら、セオは三人に問う。
「……」
問われた三人は、お互いに顔を見合わせると。
「外に控えております。それより、私たちの紹介はしていただけないのですか?」
と、侍女長の彼女が静かに答えた。
「……。ああ、そうだな」
彼女に気圧されて、セオはため息ながらに私を見た。
「えっと……。彼女はクロフォード伯爵のご令嬢、リリア・クロフォード」
と、三人に紹介してくれた。
「あ、こんな身なりですみません。リリア・クロフォードです。お見知りおきを」
私は出来る限り丁寧に、三人に挨拶をする。
「私は、執事のエドワードと申します。お嬢様、災難でしたね」
最初に名乗ってくれたのは、執事の彼。
エドワードは同情した顔で私を見ている。
セオに振り回されたのを、お見通しのようだ。
「ええ、まあ……」
引き攣った笑顔で答えると、今度は侍女長の彼女が頭を下げた。
「皇子宮の侍女長。ハンナと申します。リリア様が皇子宮で過ごされる時間は、主にわたくしがお供させていただきます」
「えっ! 侍女長直々? そんな、お忙しいでしょうに、私なんかに」
「いえ。これは皇子宮では仕方がない事でございます」
「へ?」
「昨日の様子からもお判りでしょうが、殿下は所かまわず能力を使われます。いつ何時、殿下がリリア様の元に来られることになろうか……。わたくし以外の者に見られたら困りますので」
「……」
言いたいことがわかって、私も言葉がない。
(瞬間移動を見られたら困るっと……)
「最後は僕ですね。殿下の護衛騎士のセドリックです。リリア様の護衛を担当する騎士の上司になります。何かありましたら、僕に言って下さい」
と、騎士のセドリックが満面の笑みを浮かべた。
「あ、はい。……お世話になります」
「殿下から、お話は聞いておられますか? ルーカス公爵閣下の件です」
「ええ。私も、危険でしょうか?」
「そうですね。昨日の今日で、まだですが。皇室の馬車が伯爵邸を訪れたことは噂になっています。婚約話が広まれば、動き出すことも念頭に置いていてください」
「……はい」
横にいるセオを見上げると、セオは私に微笑みかけた。
『心配ない。俺が居る』
と、私の脳裏に話かける。
「……」
まだ現実味がないけど、私が出来ることはセオを信じること。
そう思っていると、部屋に青ざめた顔の一人の騎士が現れた。
「皇室第3護衛騎士団員、エース・ウォーカーが、皇子殿下にご挨拶いたします」
彼はセオの前に跪くと、名を名乗る。
青ざめてはいるものの、所作に余分なものはなく、物腰もきびきびしている。
けど。
(この雰囲気からして、彼もセオが能力者であることを知っているのね)
「ああ、……男か」
セオは彼を見下ろすと、不機嫌になった。
「リリア様の護衛はいろいろ大変なんです。殿下のことを知ってなお、平常心が保てて腕がいい護衛なると、エースぐらいですよ」
男であることぐらい、目をつぶれと、セドリックは訴える。
「この前、たまたま俺の能力を盗み見た騎士だな」
「……」
不機嫌に威圧するセオの声にも動じず、エースはただ、諦めたようにそこに居る。
そして。
「リリア様の護衛に選んでいただき、光栄です。この身を呈してリリア様をお守りいたします」
と、丁寧に答えた。
「……」
セオはしばらく彼を見下ろしていたが。
「ああ、頼む」
と、頼もしい笑みを浮かべ、彼を立たせた。
エースは驚きつつも、立ち上がってからまた頭を下げる。
「お前に任せるが」
セオは立ち上がったエースの耳元に近づくと、
「こいつを護るのは俺だ」
と、囁いた。
「……仰せのままに」
エースが無表情で返事をするのを見て、セオは小さく笑う。
「ああ、あと、お前を含めた他の男がこいつに言い寄らないよう、しっかり護衛しろ」
「はい……」
頷く彼を見てから、セオは私の手を持ち上げる。
「お前、今日は伯爵邸に戻って休め」
と、手の甲にキスをした。
「伯爵の目があるから送ってはやれないが、明日も皇子宮に来い」
それから、数日の間、外泊した言い訳の辻褄を合わせるように、忙しい日々が続いた。
お妃教育も始まって、伯爵邸や皇子宮で講義を受ける時間も増えていくなかの。
アッとゆう間の一週間。
その頃の辺境地。
グリーン伯爵の領地に、一通の通達が届いた。
「婚約破棄、ねえ」
手紙を受け取った彼は、困ったように微笑んだ。
「皇帝陛下直々の通達だ。リリア嬢との縁はなかったと思うんだな」
苦虫をかみつぶしたような顔をして、グリーン伯爵が息子、スコットに手紙を手渡す。
「ふーん。こんな紙切れひとつで、終わらせるつもりなのかなぁ」
スコットは、手紙をひらひらと揺らす。
「……お前、そんなに彼女に想いを寄せていたのか? 皇子に目を付けられる前に動けたものを」
呆れたため息をもらすグリーン伯爵を横目に、スコットは小さく呟いた。
「僕の姫に、会いに行かなきゃあなぁ……。せっかく、君のこと思い出したのに」
と、細く微笑んだ。
「……ねえ、櫻木さん」
「?」
スコットの様子がおかしく見え、グリーン伯爵は心配そうに覗き込む。
「お前、何を考えている?」
「帝都に行ってくるよ」
息子の発言に驚いて、伯爵は頭を横に振る。
「スコット、これは皇帝命令で、もう決まったことだ」
困った顔をする父親に、スコットは微笑んで見せる。
「うん、分かってるよ。でも、約束したからね」
と、父親を見た。
「櫻木さんに……、リリアに会って、ちゃんと話してくるよ」