第8話 月が輝く夜に3
セオの腕の中で崩れ落ちた私を、セオは優しく支えてくれた。
そして、そっと告げられる。
「俺は、お前が好きだ。お前を護りたい」
「……まもる?」
「叔父上の事は知っているか?」
セオの口から出た人物を、私は思い浮かべて頷いた。
皇帝陛下の末の弟で、歳はセオと10しか違わない、35歳の叔父様。
「……ルーカス公爵様?」
「ああ。彼は、皇帝の座を狙っている」
「え……っ?!」
サラっと流された言葉に、私は耳を疑う。
今の帝国には、皇位継承権を持っているのは三人。
皇位継承権第1位のイアン皇子。セオの異母兄弟、の兄。現、皇太子殿下。
皇位継承権第2位は、セオ。
そして、皇位継承権第3位が、そのルーカス公爵。
彼は皇帝陛下と良好な関係を築いていて、政権を補助するかなりの重要人物。
驚いた私を見て、セオは苦笑した。
「意外か?」
「……はい。ルーカス公爵様には何度かお会いしたことがあるので。そのようなことを考えておられるとは、驚きです」
でも。
彼が微笑むたびに感じていた嫌悪感。
その正体が分かった気がする。
そして。
セオが私の部屋に来て語った言葉の違和感も。
「皇位に興味がないのを示すために私と婚約するのに、どうして皇位継承権を放棄されないのかと思っていましたが。皇太子殿下の為ですね」
私がぼそっと呟いた言葉に、セオは頷く。
「ああ。……兄上の為だ」
「……」
「今の状況で俺が皇位を放棄すれば、残されるのは兄上だけ。……俺が間にいることで、叔父は兄上にはまだ手出しができないだろうしな」
一人で立てるようになった私の体から、セオは手を離した。
そして、ゆっくりと私の左手を手に取る。
「これから、お前の存在も狙われるだろう。特に、皇宮に入る前は何かと都合がいい。皇太子妃だけでなく、俺の皇妃まで子どもができてしまったら、叔父の継承権はさらに遠ざかるからな」
「……」
「だから、これが必要なんだ」
と、スッと私の左薬指に指輪をはめた。
「ああ、ぴったりだな」
安心したように、セオははにかむ。
「指輪?」
はめられた指輪を、私は見つめた。
シンプルなデザインで、青い宝石がちりばめられた上品なもの。
指輪を眺める私を見ながら、セオは小さく息をつく。
「思入れが強いせいか、その指輪を身に着けている人の波動を、感じ取ることができるんだ」
「波動?」
「お前に何かあれば、その指輪が教えてくれる。今日みたいな能力が使えない時も、同じだ」
「……へー、そんな事が?」
キラキラした指輪をいろんな角度で見ながら、とても不思議な気持ちになった。
ただの、指輪なのに。
「母の形見だから、大事にしてくれよ」
「……えっ!」
フッと笑うセオが何気に言った言葉に、私は怖くなる。
「そんな大事なもの……」
慌てる私の視界に、セオが、言うと思った、と、言わんばかりに破顔する笑顔が映った。
その、私の言葉を奪った笑顔が、私を抱きしめる。
「お前は、その指輪以上に大事な人だから、持っていてくれ」
と。
「たった数日で、お前にこんなに魅かれるとは、思ってもいなかった」
満足したセオにお姫様だっこされ、私たちはお屋敷に戻った。
なんでそんな状態なのかと言えば。
歩き疲れていた。
その一言に尽きる。
冗談でも。
(セオのキスで……立っていられなくなるなんてっ)
とは、言えなくて。
恥ずかしすぎるし。
でも。
(キス、初めてじゃなかったのかな?)
と、セオの顔を盗み見る。
整った顔が、すぐ近くにあって。
「くぅ……」
胸を打ち抜かれる思いだ。
(ああ、まさか、
転生して、
超能力者と遭遇して、
それが皇子で、
しかも婚約することになるなんて……)
「……誰が思うのよっ」
思わず力んでしまう。
「?」
セオは腕の中で小さく叫んだ私に気が付いたけど、特に気にしていないようで。
「おろすぞ?」
と、部屋のソファーに座らされた。
「……、部屋が綺麗になってる?」
「ああ。麓に降りたのを見たんだろう。管理してくれる者が掃除してくれたようだな」
「……至れり尽くせりね」
「皇子だしな」
「……」
そう言って、呆れる私の隣に座ったセオは、よく見る余裕たっぷりの笑みが浮かんでいた。
その顔を眺めながら。
(この顔に、安心しちゃうのはなぜかな)
「その人は、セオが超能力者だって知らないんでしょ?」
「ああ、多分な」
「たぶん?!」
「頻繁に来ているからな。おかしいとは思っているかもしれないな」
「……ここって、帝都からだいぶ遠いの?」
「馬車で三日だ」
「三日……。伯爵領よりはまだ近いわね」
お父様の伯爵領は、帝都から五日はかかるし。
「……」
スコット様のお父様、グリーン伯爵領はそのさらに二日。
今日の婚約破棄の手紙が届くのも、一週間後か。
「何を考えてる?」
ずいっと、セオの顔が私の目の前に近づいた。
「……っ!」
思わず身を引くと、ごくりと生唾がのどに流れた。
動揺する私に、セオは笑う。
「何か期待しているなら、お答えしようか?」
「……っ」
ぶるぶる頭を振る私に、セオは声を出して笑った。
「お前、男に免疫ありそうだったのに、意外にかわいいところもあるんだな」
「なっ! 私のどこに免疫があるって判断したのよ!」
「キスが、慣れてた」
「は?」
「俺は、お前が初めての相手だったが、お前は違ったな?」
「……」
真っ直ぐな瞳に射抜かれて、開いた口が塞がらない。
「そんなこと、わかるの?」
「……」
動揺する私の問いに、セオの顔が不機嫌になる。
「本当に、経験済みか?」
「……」
(あ、カマかけられただけ?)
「確信はなかったがな。いや、意外にショックだな」
大きなため息をこぼし、セオは私の長い髪で遊び出した。
「……」
(前世の時だかなら。どっちになるんだろ?)
イジイジしたセオが、なんか可愛くて笑える。
「セオは、皇子様だから近づいてくるご令嬢も多いだろうに。案外ピュアですね。いい年なのに」
「……」
「?」
「そういうお前は、箱入り娘のご令嬢のわりに慣れてるな。行き遅れの理由か?」
「……はぁ?」
ムッとする私に、セオはニヤッと笑って私に再び近づいた。
「俺に寄ってくるヤツは、権力目当てか、恐怖に怯える女ばかり。そんなの相手に、その気にはならんな」
「……ちょっ」
覆いかぶさろうとするセオから逃げるように身をよじる。
「近くに居たいと思ったのも、触れていたいと思ったのも、お前が初めてだ」
「……」
セオは逃げる私の手をとると、手の甲にキスをする。
「触れてほしいと思うのも、お前だけだ」
と、キスしたまま、目線だけが私を見上げる。
とても、楽しそうな瞳が……っ。
「……こうゆう事も、初めてなんですか? ずいぶん手慣れているようですがっ」
動揺する自分を隠そうと、必死になってしまう自分が情けないと思う。
でも。
「ああ、もちろん、教育は受けている」
と、動じることなく答えるセオに、ドキドキしてしまう。
「教育?」
「……試してみるか?」
「っ!」
私は近づくセオの顎をグイっと押し退けた。
「私っ! まだそんなことするつもりはありませんからっ!」
騒ぐ私を見下ろして、セオは笑う。
「ああ。分かってる。ちゃんと待つよ。お前が俺を受け入れるまで」
「―――」
面白そうに笑うセオが、憎らしい。
「隣の部屋に行きますっ」
すくっと立ち上がる私を見て、セオは面食らった顔をする。
「……え、あ」
セオから抜け出した私は、スタスタと部屋を出る。
「待て。他の部屋は埃っぽい……」
慌てて追ってきたセオを気にすることなく、私は隣の部屋の扉を開けた。
内心、埃まみれだったら困るな、とは思っていた。
「はずだぞ……」
「……」
しかし、無駄な心配だった。
キラキラした部屋を見て、私も、セオもぽかんと部屋の入り口で立ち止まる。
「掃除」
明らかにゲストルームのこの部屋が掃除されているのを見て、私の顔が緩む。
「この部屋もしてくれたみたいですよ」
フフっと笑う私を見て、セオは諦めたように息をつく。
「そのようだな。分かったよ」
「ベッド、独り占めしなくて良かったです」
笑顔の私を見て、セオは目を細めて優しく微笑んだ。
「ああ、そうだな。……おやすみ」
と、あっさり引き下がるセオの背中を見送って、私は部屋に入る。
大きな窓から、ピンクの月が見えた。
セオの超能力は、明日のお昼まで使えない。らしい。
なら、今日は何を考えても、何を思っても、彼に伝わることはない。
「……」
私のこの、くだらない考えも、
ドキドキする鼓動も、
一人になって、急に寂しく思う感情も、
「……」
今日の彼には届かない。
(私、もう、完全に……)
しばらく私は、ふたつの月を眺めていた。