第3話 皇子からの提案
「っ!」
握っていたドアノブが回されて、開けられた扉と共に私の手が引かれる。
私はそのまま、部屋の中に導かれた。
強く引っ張られた体が、扉を開けた人物の胸のぶつかる。
「う……っ」
鼻をつぶされた私の両肩を掴み、セオ皇子は自分の胸から私を引き離した。
「逃げるな」
セオ皇子の冷めた視線が静かに私に落とされる。
「……」
それを見た私は、小さなため息をこぼした。
(ランが怖がるのはこの顔ね)
確かに、無表情で感情を悟らせない。
「逃げたんではなく、驚いただけです。自分の部屋に招待もしない男の人がいたら、驚くでしょ?」
私は鼻を擦りながらセオ皇子を見上げた。
「正式にいらっしゃったのではないようですし?」
皇子が来たとなれば、今頃大騒ぎのはず。
例の能力で、私の部屋に来たのだとすぐに理解した。
キッと睨み上げながらも呆れたように呟いた私を、皇子は興味深そうに見下ろしている。
「お前は、本当に変わっているな」
「……」
(何が変わっているっていうの?)
ムッと感情をあらわにしながら、私は語気を強める。
「とにかく」
廊下を見渡して誰にも見られていないことを確認すると、私は扉を閉めて部屋に戻った。
「あなたの能力が夢ではなかったのはわかりました」
「ゆめ……?」
「ああ、昨日はちょっと、その、お酒を飲みすぎたので」
バツが悪く目を逸らす私を見て、彼は驚いた顔をする。
「ああ、その手があったか」
と、残念そうに含み笑いを浮かべた。
「……その手?」
不思議そうに見上げる私の前で、セオ皇子殿下はさらに不敵な笑みを浮かべる。
「まあ、いい。で? リリア・クロフォード。俺の情報収集の結果はどうだった?」
と。
「……」
すべてお見通しであると言わんばかりの瞳が、私を見下ろしている。
(無表情どころか、見下した笑みばっかりっ!)
「昨日は仮面のせいでお顔がよく見えませんでしたが、本当に整った顔立ちですね」
「……は?」
私の見当違いの返答に、セオ皇子はその顔と不釣り合いな声を上げた。
目を細めて、不機嫌に私はセオ皇子を見上げる。
「情報収集も何も、私の耳に入るのは所詮、噂です」
「……」
私はジッと、彼を見上げた。
その瞳で、人を殺すと噂されるその目を見つめる。
「そのご様子では、一日私の行動を監視されていたのでは?」
私の見上げる視線から、彼は目を逸らさない。
「念聴ですか? それとも透視?」
「ねん……? 何のことだ?」
「……他人の心の声を聞いたり、遠い場所も見えたりする能力のことです」
「そんな名称が存在するのか?」
私の言葉に驚き、頭を悩ませている様子の皇子を見て、思わず緊張が解けた。
私の言葉一つで驚き、戸惑う皇子。
「……」
今、目の前に居る彼が、理不尽に人を殺すような人物には見えないから。
「とりあえず、座ってください。お茶でも入れます」
「……」
部屋の奥に進んだ私を見て、セオ皇子は呆れたように笑みをこぼす。
「本当に……、お前は変わってる」
私に促されるまま、セオ皇子は部屋のソファーに座る。
とは言っても、さっきまで勝手に座って待ってたみたいだけど。
私はお茶を入れながら、セオ皇子の様子をうかがった。
(何しに来たんだろう……、別に言いふらす気はないんだけどな)
セオ皇子の表情は読み取れない。
向こうは考えがよめるのに、不公平だな話だ。
お茶を差し出したセオ皇子の前に、私は腰を下した。
「それで……、何の御用でしたか?」
「……」
落ち着いている私を見て気に入らなさそうに、セオ皇子は怪訝な顔をしていたが。
しばらくして、諦めたようにフッとその表情を緩めた。
「興味があってな」
「……きょうみ?」
思ってもいない言葉に、私は目をパチクリさせる。
「単なる好奇心だな。まさか、目の前でイケメンって言われるなんて思ってもいなくてな」
「っ! 聞えて……っ!」
いたのかなんて、今更だと、私は口を噤む。
真っ赤になった私を見て、セオ皇子はようやく満足したようだ。
「それに、こんな真っ直ぐな視線を向けられたのは本当に久しぶりだ。なんせ皆、俺から目を逸らす」
自嘲気味に笑うセオ皇子を、私は何気に眺めていた。
「……みんな、心を覗かれるのは嫌ですから」
ふと視線を落とした私に、セオ皇子のため息が聞える。
「好きで聞いてるわけではないがな」
「……」
その一言に、皇子の気持ちが込められている気がした。
再び視線を上げた私を見て、セオ皇子はにやっと笑う。
(嫌な、予感がする……)
「見極めてからとは思ったが……。気に入った」
セオ皇子はもう一度、不敵な笑みを浮かべた。
横柄な態度が良く似合う、権力者の微笑み。
「お前に、提案がある」
「提案?」
皇子のその笑みが、私の背中をさらに寒くする。
「お前が拒めば選択肢は二つ。俺に関しての記憶を消されるか、お前の存在そのものを消すか……」
「……」
「さぁ、どうする?」
私を面白そうに伺い見る彼の瞳が、その言葉と表情とは裏腹に、まっすくと注がれていた。
私はふうっと、小さなため息を落とす。
(どうするも何も、内容を聞かない事には答えられるはずがない)
「その提案とは?」
私はセオ皇子を軽く睨んだ。
「昨日……お前の記憶を消さなかったのはどうしてだと思う?」
(うわっ、質問返しされた)
ムッとする私を見て、セオ皇子はフッと笑って見せる。
聞えてるぞ、と、言っている様な表情だ。
「利用できると思ったからでは?」
不機嫌に答える私に、彼は満足げに笑う。
「俺が異能の持ち主だと周りに悟られてないのは、俺に記憶を操作できる能力があるからだ」
(ですよねー)
私は愛想笑いを浮かべた。
「でも、お前は俺の能力を見ても恐怖しなかった」
「……」
真っ直ぐと、穏やかに告げられる言葉に、私は驚いた。
「それは新鮮で、興味を引いた。他の人間とは違う」
「……」
なんだか含みを感じて、私はセオ皇子を警戒する。
「……要点は?」
そんな私に、セオ皇子は余裕の笑みを浮かべた。
「お前に、結婚を申し込もうと思う」
「……は?」
またしても思いがけない内容に、私はセオ皇子をまじまじと見つめ返してしまう。
「ああ、その顔、いいな」
「……」
思わずこぼれた私の声に、気を悪くした様子もなく、無邪気に笑うセオ皇子に、驚く。
セオ皇子は再び、私を見て言う。
「お前に、俺の妃になってもらいたい」
フフっと笑うセオ皇子は、暗い噂とは程遠い、ただの青年に見えた。
「昨日の舞踏会に参加していたということは、お前には俺の妃になる資格があるってことだ」
「……」
セオ皇子のための仮面舞踏会。
ランの言葉が脳裏に浮かぶ。
「お前は、皇太后とつながりがなく、政治的権力を持たない家門の娘。皇位継承に興味がない俺の相手として文句ないと思わないか?」
ジッと見られるセオ皇子の顔が、面白そうに笑みを浮かべる。
「お前はその条件にぴったりなんだ。リリア・クロフォードご令嬢」
思わずセオ皇子に魅入っていた私は、ハッと、我に返る。
「皇子は、女性に興味がなく、結婚するつもりもないとお見受けしましたが?」
「……」
私の言葉に、セオ皇子の顔がムッとしたように見える。
(あれ? なにか表現間違えた?)
「結婚する気は、確かになかった。しかし最近、陛下がうるさくてな」
はあ、と、セオ皇子は大げさにため息を落とす。
「陛下が?」
と、言ってから、私は理解する。
何度も言うが、結婚に向けての、そのための、仮面舞踏会。
「……」
能力のことを秘密のまま結婚するよりは、バレてしまった私を利用しよう。
(ってことかぁ……)
なんだか少し、がっかりする。
それを見通したように。
「お前のことは、好きになる予感がする」
と、セオ皇子は私を見て二ッと笑った。