第18話 乳母の娘
トントン
セオの自室の扉をノックする音が響いた。
「……」
唇を重ねていたセオが、名残り惜しそうにゆっくりと私から離れる。
セオは私に微笑むと、私の後頭部に添えられていたその大きな手で、そのまま私の頭を抱えるように、自分の肩におさめる。
「???」
背中に回された手と、頭を抱えている手に押さえられ、私は身動きすらできず抱きしめられたまま、
「入れ」
と、告げるセオに、焦った。
(えっ! この状態で?!)
慌てて離れる間もなく人が入ってくる音がして、私は顔を上げられず、そのままセオの腕の中で身を隠すように顔を伏せた。
(誰が来たの?! 恥ずかしい……っ!)
わたわたした後、諦めたようにセオを抱きしめる腕に力が入る私を面白そうに感じながら、セオは入ってくるハンナを見る。
「来たか」
セオの言葉に、ハンナは無表情に頷いて見せる。
「二人が着きました。リリア様にご挨拶をと、玄関で待っております」
「ああ」
セオはハンナの言葉にうなずくと、私の頭に置かれていた手を離した。
「……」
頬を赤らめたまま、ムッと不機嫌に向けられる瞳に、セオはフッと笑う。
「これから、リリアが皇子宮に滞在することも増えるだろうから、乳母たちを呼び戻した」
「あ、……はい」
動揺しながらも、乳母、と聞いて、思い出す。
セオの能力を知っている人たちだ。
「もうすぐ、仕立屋も来るだろう。ハンナにお前の部屋まで案内してもらえ」
「……私の部屋ですか?」
「ここでもいいが、まだ結婚前だからな」
ニヤッとからかうように笑うセオに、私はムッとしながら尋ねた。
「……私、伯爵邸に帰らなくていいんですか?」
「ああ。お前が消えた時、皇子宮で妃教育をするからしばらく皇子宮に滞在する旨、伝えてある」
「ああ、なるほど……」
一人納得していると、
「名残り惜しいな」
と、セオのつぶやきが聞こえた。
真っ直ぐに見つめられる。
「?」
「なかなか、離れがたい」
「……っ」
「もっと、お前を感じていたい」
セオの、突拍子もなく告げられる言葉にドキッとして、その身が爆ぜた。
真っ赤になる私を見て、セオは困ったように笑う。
「そんな可愛い反応されたら、本当に離れられなさそうで困る」
と。
(あの顔で言うのは、反則よね……っ!)
ハンナに促されるように、私はセオの自室を出た。
熱くなった頬を手で覆いながら、私はハンナの後を追う。
(でも、一緒に居たいのは、私もかも)
セオのことを思いながら歩いていると、目的の場所にはすぐ着いた。
「……」
そして。
言葉にならない感激を、受けた。
乳母だと紹介された女性と、その娘の瞳がキラキラ輝き、私を見ている。
「この方が、殿下のっ!」
「あの、殿下のっ!」
二人そろって上げられる歓喜な声に、私は思わず後退る。
「……えっと。リリア・クロフォードです。初めまして」
威圧されつつ、私は二人に挨拶をした。
母親が、ヘレン。
娘が、ユイ。
と言った二人は、私が挨拶すると、はじかれたように丁寧に頭を下げる。
「し、失礼いたしました。今日より妃殿下にお仕えいたします、ヘレンとユイでございます。よろしくお願いいたします」
仰々しく挨拶をする二人を見て、ふとよぎる。
(そういえば……)
以前、セオとの会話の中で、嫌そうな顔をして言っていたのはこの子。
ユイ。
(何でだろう……?)
つい、ユイを見て首を傾げてしまう。
外見は、いたって普通の少女だ。
二人の挨拶が終わった頃、エドワードが大きな荷物を抱えた集団と共に、皇子宮の中に入ってきた。
「おや、お嬢様。ちょうどよかった」
と、私たちの前で足を止める。
「今度の晩餐会用のドレスを仕立てるために、担当を呼んだところでございます。この後、お時間おありですかな?」
晩餐会用のドレス、と聞いて、背筋が伸びる。
(皇族の方々が集まるって……。気が重い)
それって、皇帝陛下に皇后陛下、皇太子殿下と皇太子妃殿下も、参加するってことだよね。
「……」
ついため息が漏れる。
「はい、セオから聞いています。大丈夫です」
ため息を隠すように答える私に、エドワードは微笑み、みんなに指示をする。
再び、ハンナに案内され、数人を引き連れて向かった先は、ドレスルーム。
サイズを図るために、つい立の裏で着ていたものを脱ぐ準備をした。
後ろのボタンを外してくれるのを手伝っていたユイが、突然驚いた声を上げる。
「妃殿下っ。どうしたんですかこの痣! 全身にありますよ」
私の背中を見てオロオロするユイの横で、私は体のいたるところにある痣の存在を思い出した。
「っ!」
自分で、恥ずかしさで全身が赤く染まるのがわかるほどに。
(セオぉのせいだっ)
昨夜なのか今朝なのか、わからないけど、セオが付けたキスマーク。
(これって、一週間ぐらい消えないよね……)
再び、私の中でなんとも言い難い、恥ずかしくてしょうがないやり場のない感情が浮上してきた。
「~~~」
言葉にできない恥ずかしさのまま、私は無言を貫くことにする。
理由がわからないユイはともかく。
察したハンナが視線を逸らし、ヘレンは娘の言動に顔をひきつらせていた。
微妙な空気がドレスルームを満たす中、居心地の悪い採寸が始まったのだった。
(疲れた……)
夜、ようやく解放された。
一人になって、私のために用意された部屋のベッドにダイブする。
(ふかふかだ……。気持ちがいい)
布団に顔をうずめて、ホッと一息。
リリアに戻って、ようやく一日が過ぎた。
沈みゆく体への重力を感じていた時。
「恥ずかしい思いをさせて、悪かったな」
近くのベッドが沈み、大きな手が私の頭を撫でた。
少し顔を上げると。
「……」
思った通り。
セオが居た。
(それは、私の体のいたるところに痣を付けた事への謝罪?)
ベッドの端に座り、私の頭を撫でながら、愛しそうな眼差しが向けられている。
その瞳に、どこかホッとしつつ。
「仕事、終わったんですか?」
(私を迎えに行くためにいろいろ時間がかかったはずだから、仕事溜まってたのかな)
視線を上げる私に、セオは軽く目を見開き、少し残念そうに呟く。
「驚かないんだな」
「……」
(それ、聞いた答えじゃないじゃん)
「なんとなく、来る気がしてたので」
そう答える私に、セオは笑う。
「つまらんな、驚かせようとしたのに」
私は体を起こすと、セオの前に座り込む。
「抜け出してきたの?」
部屋着の私と違い、セオはまだちゃんとした服装だった。
「お前が寝る前に、顔が見たかったからな」
「……」
(仕事終わってないんじゃん)
心の中で突っ込みながら。
「あ、ねえ。ユイって子でしょ?」
「何が?」
急にユイの名前が出て、セオは明らかに顔を歪めた。
「セオが苦手な子? 前、嫌そうに話してたじゃない? でも、そんな変わった子ではなかったよ?」
「あー……」
セオはまた、あの時と同じ顔をして、複雑そうな声を上げる。
「そのうち、分かる」
「ふーん……」
(まあ、追及するつもりはないけど)
「そんなことより」
「……」
セオの手が私の頬に触れる。
艶っぽい瞳にせがまれて、私は目を閉じた。
セオの唇が触れるか触れないかの所まで近づいた時。
「妃殿下っ♪」
バンっ
と、勢いよく扉が開かれたかと思うと、明るいユイの声が部屋に響いた。
「ゆっくりお休みしていただくために、香油をお持ちしましたっ♪」
「……」
「……え?」
突然のことに驚く暇もなく、私はセオに突如抱きしめられると。
「あれ? 皇子殿下?」
ユイの不思議そうな声を最後に。
気が付けば。
セオの自室の、ベッドの上に居た。




