第10話 婚約者の来訪
数日後。
その日は朝から雨だった。
「ん?」
窓の外を何気に眺めていると、皇室の馬車が伯爵邸に入って来るのが見える。
(セオが言ってた伝言かな)
今日は雨だから伯爵邸で大人しくしてろ。と、さっき伝えてきた。
(こうゆうときは、携帯より便利だけど)
部屋を後にする私を追うように、エースが付いてくる。
「……」
(今日も、暗い顔)
私は、斜め後方を歩くエースの顔を盗み見る。
毎日毎日、彼はどんよりしている。
セドリックいわく。
とても快活な腕の良い騎士。
らしい。
でも。
(これではそれが本当なのかも疑いたくなる)
う~ん、と、頭を悩ませていると、伯爵邸に現れたのはセドリックだった。
「セドリック様っ?!」
私の驚く声が、玄関に響き渡った。
皇子宮への訪問中止を知らせるだけに来た人が、セドリックだなんて。
伯爵家の執事と言葉を交わしていたセドリックが、私に気が付いて笑顔を浮かべる。
「リリア様っ。わざわざお越しいただいて」
雨足が強まったせいか、屋敷に足を踏み入れたセドリックはずぶ濡れだった。
「いえ、それはこちらのセリフです……」
呆れる私に、セドリックは浮かんだ笑顔を崩さない。
「この雨ですので、リリア様の本日、皇子宮での講義は中止になった旨、お伝えに参りました。皇子宮にいらっしゃらない分、こちらで護衛させていただきます」
ニコニコと華やぐ笑顔で、セドリックは告げる。
「……殿下の護衛は?」
「ええ、殿下には僕が留守の間は執務室から出ないようにお願いしてきました」
「え……」
我慢できるの? と言った私の視線に気が付いた様子で。
「大丈夫です。殿下が執務室以外に出かけるとしたらリリア様の元だと思いますので」
と、セドリックは当然のことかのように笑顔で答えていた。
ずぶ濡れだったセドリックが、伯爵邸のおもてなしを受けてホカホカして戻ってきた頃。
温室にお茶の準備が整った。
「リリア様にご招待していただくのは、初めてです」
と、わくわくした様子を隠さないセドリックに対し。
「エースも、座って」
と、椅子をすすめる私を見て、エースは、
「とんでもありませんっ!」
さらに青ざめた顔で、プルプル頭を横に振る。
「リリア様とお茶したのが殿下に知られたら、俺……殺されますっ!」
「……」
引き攣った笑顔を浮かべたまま、私はしばし固まる。
「えー、そんなこと言ったら僕はもう殺されるじゃん……」
すでに紅茶を口にしていたセドリックが、困った表情で手を止めた。
「……セオが、怖いですか?」
私の問いに、エースはしばらく黙っていた。
そして、ため息と共に吐き出す。
「リリア様は、殿下が怖くないのですか?」
「……」
今まで思いつめていたものを吐き出すように問うエースに、セドリックが苦笑する。
「あなたは、怖いの?」
「だって心読まれるんですよっ! 嫌じゃないですか! 気持ち悪いし、ご機嫌を損ねたら、殺されるかもしれない」
エースの目が泳いだ。
後半の言葉が本心でないとはしても、私の胸が痛む。
「……セオは、そんなに簡単に人が殺せる人ですか?」
「それは……」
エースが目を伏せたのを見て、私は動揺すらしないセドリックを見た。
こうゆう状況に、慣れているみたい。
「セドリック様は?」
私に話題を振られて、セドリックは驚いた表情をした。
「僕ですか?」
そうですねー、と、手にしたカップをそっと下すと、話し出す。
「僕は、殿下が幼少期に過ごしたお屋敷の前に捨てられていた赤ん坊です」
「え……っ!」
思ってもいない返答に、私は驚きの声を上げてしまう。
けど、セドリックはニコニコ笑っていた。
「侯爵様に拾われて、あ、殿下のお母様ですよ。殿下と一緒に育ちました。殿下とは3つ年が離れていますので、僕が物心ついたときには、殿下に心を読まれることは当たり前のことで、それが普通の環境で育っていますから、今更な話です」
「……」
ニコニコしているセドリックを見て、エースは息をつく。
「俺はまだ、殿下との付き合いは短いですから、どう接していいのかわかりません。心がよまれていると考えるだけで、恐怖です。お二人のようには、出来ません」
「……」
(私もそんなにセオと長いお付き合いはしていないのだけど……)
不思議と、エースのような恐怖感に襲われたことはない。
なぜだろう……?
しばらく、お互い考え込む沈黙を破ったのは、セドリックだった。
その顔に、少し寂しさが浮かぶ。
「殿下は、むやみやたらに人の心を読むことはありません」
「……」
「人の心を聞いたって、良い事なんてありませんから。ただ、悪意のある言葉はどうしようもないようです。あと」
セドリックは気が付いたように、私の手を見る。
「殿下のお母様がある指輪をされるようになってから、お母様の声が中心に聞えるようになって、雑音が遠のいたとおっしゃっていました。いま、リリア様がはめていらっしゃる指輪ですね」
「え」
思わず左薬指に光る指輪を見てしまう。
「この指輪?」
「ええ。お母様が亡くなられてからは、殿下がお持ちになられていたようですが。リリア様にお渡しになられたんですね。ならエース。君の声は殿下に聞えてないと思うよ」
ニコニコ言うセドリックの言葉に、エースの顔がわずかに華やぐ。
逆に。
「それって、私は筒抜けってこと……?」
私はどーんと、心が重たくなった気分だ。
「確かに……。人に自分の心を読まれるのは怖いし、嫌ですね。お互いに心が読めないからこその関係ですもんね」
私は指輪を眺めながら言葉をこぼす。
「でも。……聞きたくない言葉を聞いて、一番ショックを受けるのはセオ自身だし、知りたくもない他人の黒いところを知ってしまって傷つくのも、セオなんだよ」
自分の心が覗かれていなか気にする恐怖より。
彼が傷つくのを見たくない自分がいる。
それに。
「セオは、私の黒いところもひっくるめて好きになってくれた気がするの。だから、この先もセオと付き合っていく以上、開き直るしかないよね。彼に対する信頼がなくなれば、私も恐怖と嫌悪に変わるかもしれない……」
ため息をつく私を見て、セドリックは再び笑顔を向ける。
「リリア様のお気持ちは、殿下に伝わっているかと」
「……え」
「やっぱりっ! 聞いてるってことじゃないですかっ?」
エースが声を上げるのを見て、セドリックは苦笑する。
「まあ、この会話は聞かれてるだろうね」
と、セドリックは優雅にお茶をすする。
その横で、
「……」
何かに気が付いた青ざめるエースの瞳が、みるみる見開かれる。
それを見た私は、心がざわついた。
そんな私の心を察知したように。
「ああ、お前の信頼を失わないように、精進するよ」
と、セオ皇子の声がして、私は勢いよく横を見る。
そこには、温室の壁に肩を預けて立ち、こちらを見て不敵に笑うセオの姿があった。
エースとセドリックが素早くセオに跪く。
「……」
セオは二人を立たせると、私の傍まで来て私の前で跪いた。
私の手を取り甲にキスをする。
「お前が落ち込む気配がしたから来てみたんだが」
「……」
(落ち込む?)
手を取られたまま、呆然とする私に、セオは安堵するように笑った。
その時だった。
「お嬢様。グリーン伯爵のご令息、スコット・グリーン様がお見えになりました」
と、ローザが伝えに来た。
「え?」
驚く私と、顔を不機嫌に強張らせるセオ。
(婚約破棄の件かな。わざわざ尋ねてくるなんて)
と、思いを巡らせて、思い至る。
(スコット様の性格を考えたら、ありえるか)
ローザがただ、スコット様の来訪を伝えに来ただけだと思ったから。
立ち上がったセオが握る私の手に力が込められた理由も、考えもしなかったし、油断していた。
セオとスコット様が出くわしてしまうことを。
「あ、リリア~っ」
ローザの後ろから現れ、私を見つけた彼の顔が、パッと華やいだのが見えた。




