第1話 皇子との出会い
それはあまりにも唐突で。
目の前の出来事を受け入れられず、
「……」
「……」
私も彼も、お互いを見合ったまま、声すら出せなかった。
目と鼻の先に、突然現れた仮面の人物。
漆黒の前髪が仮面にかかり、その下の、黒い瞳が私を見ている。
時が止まったような感覚。
その重なった視線を最初に振り切ったのは、私、の方だった。
「あ……っ」
私の小さな声が漏れる。
テラスの手すりに、腰を下ろしていたのがいけなかった。
しかも、高い場所にあるテラス。
突然現れた彼に驚きのけぞった私は、支えもなくそのまま後ろに倒れていく。
「……」
落ちると思った時には遅い。
身動きしにくい舞踏会のドレスは、大きく広がったスカートが重くて邪魔をする。
(こんなことなら、マーメイドドレスにすればよかった……)
と、嘆きつつ、私は落ちていく体をどうすることもできないし。
目の前の仮面の彼も、慌てて伸ばした手が宙を切った。
ああ、ごめんなさい。
酔った勢いで、手すりになんて座るんじゃなかった。
私がこんな所に座っていなければ、あなたを巻き込む事もなかったでしょうに。
目をつぶる私の脳裏に、さっきまで目の前にいた仮面の彼の姿が浮かぶ。
(あの人、イケメンだったな……)
このまま頭から落ちたら大ケガでは済まないだろうな。
まあ、イケメンに見送られたのなら、まだましね。
(お父様、お母様、一人先立つ私をお許しください……)
目をつぶって覚悟を決めるも。
「???」
(って、あれ……?)
いつまでたっても身に訪れない衝撃。
落ちた、よね?
恐る恐る目を開けると、
「……っ!」
私は、宙に浮いていた。
(え? ……何、これ?)
改めて確認した今の自分の現状に息をのむ。
体のどこにも支えがないのに、私はその空間に留まっていた。
テラスから、体は完全に外れているし。
ドレスの下に広がる地面は、遠くに見える。
(どうなってるの……っ?!)
私は慌ててテラスに居る仮面の彼を見た。
「っ!」
私と目があった彼は、明らかに動揺している。
「……え?」
この状況は、彼のおかげだろうか?
そもそも、彼はどうやって私の前に現れたの?
「……」
今日は、皇室主催の仮面舞踏会。
参加していた私は、お酒で火照った体を冷やしに一人、テラスに居た。
酔っていた頭で何気に手すりに腰を下ろして。
仮面を取り、靴も脱いで、一人であることに完全に油断していた。
そして。
彼は突然、現れた。
本当に突然だった。
テラスに続く扉が開く音も耳には届かなかったし。
人が近づいてくる気配も、足音もしなかった。
唐突に現れた、彼の顔。
まるで、私の目と鼻の先に彼が瞬間移動してきたように……。
「……」
私の導かれた考えが伝わったかのように、彼は困ったような顔をする。
「……本当に?」
(瞬間移動?!)
私は食い入るように仮面の彼を見るが、彼は私から目を逸らしたまま、ため息をこぼした。
(じゃあ、私の今の状態は、彼の、サイコキネシス……?)
「……」
呆然としたままの私は、ゆっくりテラスに戻され、そのまま座り込んだ。
彼は私を見たまま声もなく、考え込んでいる。
「……」
待って、なに?
(これって、超能力?!)
「セオ殿下っ!」
「!」
目の前の彼の肩が、大きく揺れる。
え?
セオ殿下……?
って!
(第二皇子のセオ皇子殿下っ?!)
「って、誰?!」
キョロキョロする私の前で、彼は手すりから身を乗り出して下を確認する。
「なぜそのようなところにっ!」
どうやら、下の庭に誰か居るようだ。
「……」
彼は冷めた瞳で下を確認したかと思うと、今度は私を見下ろした。
ビクッと自分の身が震えるのがわかる。
セオ皇子と言えば、この帝国の皇帝陛下の正統な血筋。
皇位継承第二位の皇子様。
今は騎士でこの帝国を警備する騎士団のひとつの団長職にもついているはず。
私とは、住む世界が違う雲の上の人。
けど彼は、仮面しててもわかるほどの……。
(イケメンっ!)
「……っ?!」
(あれ?)
仮面の奥に見えた切れ長の黒い瞳が、戸惑いと共に揺れ動いている気がする。
(あんなに冷たく私を見下ろしていたのに?)
「あ、あの……」
「……」
私の上目遣いに、彼は身構えた。
「ありがとうございます」
「……」
見上げる私の目の前で、彼は驚いた表情になった。
ように、見える。
「……?」
首を傾げる私の前で、彼は何かを言い出しそうになったが。
「殿下っ! そこを動かないでくださいよ!」
下にいる人物に声をかけられ、その口を噤んでしまった。
そして、彼は再び手すりの下を覗くと。
「その必要はない。今行くから待て」
と、下の者に告げると、私の前に跪く。
「レディ。近々あなたを訪ねに伺います。どうか、くれぐれもこの件はご内密に」
「……」
言葉は丁寧ながらも、低く釘をさす声色に、若干の脅しを感じる。
(この能力のことをしゃべるな、と、いう事?)
ジッと見つめる私の瞳に、彼は二ッと微笑んだ。
「そうです」
「え?」
「他言無用でお願いしたい。では、失礼」
彼は私の手を取ると、手の甲にチュッと軽く唇を当てる。
そして。
手すりを乗り越え、下に飛び降りた。
「っ!」
(えっ! ここ、結構高い……)
先ほど身をもって確認したのだから、間違いない。
私は思わず手すりの下を覗き込む。
しかし、当然ながら、彼は軽やかにその身を地に下ろしていた。
「……」
(あ、そっか、能力者なら、こんな高さも関係ないのか……)
ホッとする私を、彼は見上げる。
「……」
「殿下っ! こんなところを誰かに見られたらどうするんですか?!」
舞い降りた皇子の前に、一人の男性が駆け寄った。
騎士の制服を着ている。
皇子の側近、または護衛の騎士かな。
先ほど下から声を掛けた人物も彼だろう。
「その心配はない」
皇子はチラッとその騎士を見た。
「そうかもしれませんがっ!」
慌てる騎士に対して、皇子は平静に再び私を見上げる。
「誰かご一緒だったのですか?」
不思議に思ったのか、騎士の彼が上を見上げようとした時。
「わっ!」
彼は騎士の胸ぐらをつかみ、片手で軽々と持ち上げた。
「殿下! 勘弁してくださいよっ!」
(騎士である男の人を片手で持ち上げるなんて……)
何気に下を覗いていた私。
あの騎士に私の存在を気が付かれたくないのかな。
と、彼の行動の意図を理解して、私は手すりから離れた。
とにかく。
「♪」
(皇子も怪我しなかったし、良かった良かった♪)
気楽に私が離れたそのテラスを、
彼が名残り惜しそうに見上げていたことに気が付かず、
もう会うこともないはずの雲の上の存在である皇子殿下のことを、
私は深く考えることなく、その日を終えてしまったのだった。