02.髪の長い女の人
暫くして落ち着きを取り戻したコザクラは、駆け寄って来た女性の手を借りながらも立ち上がり、先程の空間よりも少しだけ明るく、広い空間の中央付近まで進んだ。
そこには十数人もの人がいて、男女比率はほぼ同じ。しかし年齢はバラバラで、コザクラと同じく制服を着た高校生も居れば、私服の少し大人びた人、大学生と思わしき人、スーツを着た社会人、主婦のような大人の女性まで居た。
状況は全員コザクラと一致していて、何故こんな場所に居るのかは分からず、寝て目が覚めたら何故かこの不気味な場所にいて、更に普段着ている衣装に着替えられていたらしい。
そしてもう一つ、全員に共通して存在する記憶があった。
「髪の長い女の人……ですか?」
それは、コザクラの記憶にも確かに存在するものだった。
眠っている時に誰かに声を掛けられ、意識が朦朧とする中で見た人物――部屋は暗い為、顔や服装の細部は認識出来なかったものの、髪の長いシルエットはしっかりと認識出来ており、そして声は女性だった。
つまりコザクラを含めたこの場の全員が、昨夜にその髪の長い女の人を目撃しているのだ。
「どういう事?皆、住んでる場所は違う筈なのに、昨晩同じ様な人を見るなんて……」
「まぁ、同一人物とは限らないけど……それよりどうやって家の中に入ってきたんだ?ちゃんと戸締まりはしたし、しかも起きたらこんな気味の悪い所に……」
「うぅ、今日約束があるのに……何がどうなっているの……」
「そもそも、今何時なのか、今日が何日なのかも分からないしなぁ……」
「夜中に髪の長い女ってホラー映画かよ……」
各自自分の意見や不安を口にして話し合ってる中、コザクラは一人ポツンと、その輪から外れていた。
そんなコザクラに、先程駆け寄って来た女性が声を掛けてきた。
「その……さっきはごめん。凄い驚いてたし、怖かったでしょ?」
「あ、いえ……それより、私以外にも人がいて、ちょっと安心したと言うか何というか……だから、気にしないで下さい」
お互いに頭を下げて謝ると、コザクラは自身の名を名乗った。
「私、コザクラって言います。貴方は?」
「ユミ。気軽に呼び捨てでいいよ。私も、コザって呼ぶから」
「え?あ、はい……」
自己紹介してすぐにあだ名で呼ばれ、少し戸惑うコザクラ。
同世代に見えるとは言え、会って間も無いのに馴れ馴れしい。
思えば自己紹介の前――扉から出てきた所に駆け寄って来た時からタメ口で接していたし、この人は元々そんな性格なのだろうと感じる。
しかし、コザクラが戸惑っているのはそれだけではなく、
(コザ……)
そう呼ばれて、心の何処かで何かが引っ掛かっていたのだ。
自分の名前を略して呼んだだけの、簡単なあだ名。
ただそれだけの筈なのに、何故か懐かしさと違和感があった。
何かを忘れているような、何かを思い出しそうな、そんな感覚だった。
この懐かしさと違和感は何だろうと、そう考えていると――
「あの、私も混ぜて貰ってもいいですか?」
今度はユミとは違う、別の女性が声を掛けてきた。
少し背の高い、綺麗な年上のお姉さんみたいな人だった。
「あ、はい。どうしました?」
「いえ、歳の近そうな女性があまりいなかったので、話に混ざれず不安になってたんです。お二人は、私よりちょっと年下に見えますけど、同世代かなって思って……」
心配そうに焦りながら言う。
確かに、何が起きているのか分からない状況の中、同じ境遇の人達が周りにいるにも関わらず、一人でいれば不安が更に増すだろう。
これから何が起き、どんな動きがあり、どう展開するのか分からないのだから、コミュニケーションを取る相手は必要だ。
何気ない話をするだけでも多少気分は落ち着くし、話をする相手がいると思うだけでも安心する。
何かあった時に協力し合う事も出来る。
それが歳の近い同世代なら、通じる話も、共有出来る事も多そうだ。
まさに今の状況でやるべき行動と言える。
コザクラとユミがそれを理解すると、二人は顔を合わせ頷く。
「私、高校三年生です」
「あたしは二十歳」
「あ、良かった~。私は大学四年生なので、ほぼ同世代ですね」
多少歳が離れているものの、おおよそ同世代と知ると、女性がホッとした表情を浮かべる。
そして、彼女もコザクラとユミに対し、簡単に自己紹介を始めた。
「私、コハルって言います。お二人より少し年上ですけど、気兼ね無くお願いします」
「ご丁寧にどうも……」
礼儀正しく挨拶をするコハルは、まるでお嬢様の様な雰囲気を出している。
そんな気品溢れる清らかなオーラに戸惑いつつも、二人は落ち着き、コハルと共に今の状況を話し合う事にした。
「ここ、本当に何処なんだろう……?あたしの近所でこんな場所は心当たり無いんだけど、工場とか倉庫とか、見るからに大きな施設よね?」
「そうですよね、多分そんな感じの大きな建物だと思います。それと、こんな多くの人を一度に集めるなんて、一人では無理でしょうから、単独犯ではなく、組織的犯行の可能性が高いですよね」
ユミとコハルが冷静に現状を分析し、今いるこの場合がどんな建物なのか、誰が自分達を集めたのかを推測する。
そんな中コザクラは、やはり最初に感じた違和感が気になっていた。
「ここが何処で誰が集めたのかは、私も心当たり無いですけど……気付いたらこんな場所に居て、その上スマホもなくなっていて、完全に誘拐みたいですよね……」
「あ、やっぱりコザもスマホ持ってないんだ……周りの皆も、誰一人持ってないらしいのよ。これじゃあ連絡手段も無いし、GPSで現在地も調べられないし、完全にお手上げだわ」
「その上、衣服まで変わっていますからね。誰の仕業かは知りませんけど、着替えさせたのが男だったとしたら悍ましいですね……」
「ちょ、それ言わないで……」
忘れかけていた恐怖を思い出し、背筋が凍る。
どうか、その人が女性でありますようにと、三人はただ祈るしかなかった。
すると、声が響いた。
「全員揃ったかしら?待ちわびたわ」
聞き覚えのある声が薄暗い空間の中で響き渡り、その場にいる全員が、声の聞こえた方向に視線を向ける。
その視線の先には、見覚えのある姿があった。
「髪の長い女の人……!」
そう、薄暗くてよく見えないが、それは昨夜薄部屋の中で見たシルエットと同じだった。
その声も聞き覚えがあり、昨夜名前を尋ねられた時の声の記憶と一致し、コザクラはあの時見た人物と、今目の前にいる女性が同一人物なのだと確信した。
「随分熱い視線を送るのね?この距離じゃ、貴方達はまだ影しか見えないでしょうけど、それでもこんなに視線を送られるなんて、アイドルにでもなった気分・・・芸能人の気持ちがよく分かるわ」
視線が集中する中、その感想を語りながらゆっくりと近付いて来る。
コツン、コツンと、足音を響かせながら、十数人の人だかりに向かって歩み寄って来る。
そして、次第にその姿がハッキリと見える様になってきた。
「――!」
その女性は、とても綺麗な人だった。
シルエット通りの長い髪。
その髪は薄暗い中でも分かる程艶があり、肌艶も美しい。
顔は整っており凛々しく、その上胸も大きく、美脚。
一気に男性の視線がより熱く、女性の視線が羨ましくなっているのが分かる。
その全体像が鮮明に確認出来る程の距離まで来ると、髪の長い女性は立ち止まって十数人の人だかりを隅々まで見渡した。
「全員居るみたいね。それじゃあ疑問も沢山あるでしょうけど、私から話でもしましょうか」
そして、そのまま何かを話し始めようとする。
コザクラはそんな様子を気に留める事なく、彼女に声を掛けようとした。
「あの――!」
「ちょっとあんた!」
しかし、同じタイミングで別の誰かが大きな声で怒鳴りつけるかの様に声を掛けた。
そのせいでコザクラはタイミングを失い、何も言う事が出来なくなってしまった。
大声の聞こえた方向を見ると、コザクラ達三人がいた場所からすぐ近く、数メートル程離れた場所から、コザクラより年下と思わしき小柄な少女が、怒りを露わにしている様子が見える。
先程まで髪の長い女の人に集中していた視線が、今度は小柄な少女の方向へ集中する。
「あんた一体誰なのよ!?ここは何処!?何で服変わってんの!?私のスマホ何処!?これから何が始まるの!?一体何が目的なのよ!?」
聞きたい事も分からない事も、怒りを込め勢いに乗せながら全部言い切ると、息を切らして髪の長い女の人を睨み付けている。
しかし、そんな様子に呆れながら、髪の長い女の人は答えた。
「貴方、メグムね?聞いていた通りの自分勝手な不機嫌サドね」
「サっ……何ですって!?」
メグムという少女は、挑発に乗り、更に怒りを露わにする。
しかし、そんな様子に一切怯む様子もないまま髪の長い女の人は続けて言う。
「そんな大声出して、驚くとでも思ってるの?ただ大きな声出せばビビるだろうって考え、明らかに底辺のやる事ね。威嚇にも威圧にもなってないわ。もっと喉を大切にしなさい」
「……あんたねぇ!」
あまりに舐められた態度で諭され、メグムは怒りのあまり殴りかかろうとしているのか、拳を握りしめながら髪の長い女の人に近付いて行った。
しかし、それはメグムのすぐ近くに居た男によって阻止された。
「ちょっ、止めろ!折角何か分かりそうなのに、そんな事したら聞ける事も聞けなくなるし、帰れるかどうかも分からなくなるぞ!」
男がメグムの腕を掴んで止めると、必死に説得する。
すると、その男の言葉を聞いた髪の長い女の人が、再び口を開いた。
「帰る、ね……さっき何が目的って言ってたけど、私の目的は、貴方達を帰す事なのかもしれないわね」
その言葉を聞いてメグムの動きはピタリと止まる。
メグムだけではなく、全員驚きの声を上げながら、髪の長い女の人へと再び視線を集中させた。
彼女の口から出た、帰す事が目的だと言う言葉に、一同は期待に胸を膨らませたのだ。
「帰す……?帰れるのか!?」
「えぇ。でも、それは貴方達がこれから何を考えて、どう行動するのか、その結果次第だけどね」
しかし、今度は意味深に、掌を返すかの様に全員を再び不安にさせる。
「どういう事……ですか?」
すると髪の長い女の人は、ハッと何かに気付き、口にする。
「ごめんなさい、名乗るのを忘れていたわね。私の名はサラ――」
そして、サラと名乗る髪の長い女の人は、あまりにも突拍子の無い事を告げるのだった。
「知恵を司る神ミネルヴァの後継神よ」