10.神の心、罪の正体
「な、何だよ……何でその名前が出てくるんだよ……?」
「まさか――!?」
「そのまさかよ……貴方達が人間界で出会い、貴方達が裏切ったルミエールは、神界最強と讃えられる後継神――時空を司る神クロノスの後継神よ!」
「そんな!?」
「ルミエールが……神……!?」
「しかも神界最強って……そんな事って……」
ルミエールという名前を聞き、人間達全員が疑問に感じていた冒涜の正体――自分達のした事の重大さに気付いた。
人間界で出会い、そして裏切った、ルミエールという後継神の正体に。
その衝撃的な事実を突き付けられ、事態は再び混乱を招いてしまう。
そんな状況も何一つ気にする事なく、フォルスが話を続ける。
「皆さん理解したみたいですし、最早言うまでもない様ですが、念の為ちゃんと説明もしておきます。クロノスは、人間界のソーシャルネットワーク社会の調査――即ち『インターネットの調査』を行っていました。その理由は、神界の『心の尊重』です」
「心……?」
「えぇ。神界、もとい後継神の目的は、ヒトとヒトの純真な心の繋がりを重んじ、信頼関係を築き、互いに思い合う世界の維持――要するに、相手を思いやる清く正しき心を守り、育てるという事です」
その言葉を聞くと、何とも素敵な話に聞こえる。
互いに相手を思いやる心を尊重し、守り、育て、そんな世界を維持する。
聞こえの良い理想的な話だ。
しかし、人間達はその説明を聞いて、自分達のした事の重大さをより理解してしまう事となる。
そんな人間達の気持ちも察する事もないまま、フォルスは続け様に言う。
「ですが……僕達後継神と違い、ただの人間は悪しき心を抱え持つ者達が多く、人間界の維持は日々拮抗し、不安定な状態でした。そこで目を付けたのが、人間界のインターネット社会です。これは、遠くにいる見えない相手とコンタクトを取れる、まさに心と心の繋がりに通じるものを感じましたからね」
「そして、そのインターネット社会の調査に名乗り出たのが、クロノスだったわ。彼は元々、人間に対して友好的だったから、もっと人間と関わりたいと思ったのでしょうね。けど――」
フォルスに続いてクロノスの事を話すサラだったが、その顔は相変わらず重苦しいもので、目には再び涙が浮かび始めていた。
「そこは、想像も出来ない程の悪意がうごめいていた……顔が見えない事を、何処の誰なのかも分からない事をいい事に、無責任にヒトを傷付け、切り捨て、心を侮辱する行動が後を絶たなかった……その世界で、クロノスは貴方達と出会ったのよ。後は、貴方達が一番よく分かってるわよね?」
その問い掛けに誰も答えなかった。
誰も何も言う事はなく、ただただ沈黙が走り続けていた。
そんな様子の人間達に、サラは怒りを覚え、握り締めている手の力がより強くなる。
「まぁ、貴方達のした事は全員手段が違いますが、共通してクロノスを一方的に切り捨て、拒絶したのですよ。クロノスの気持ちも考えずに――そうでしょう、コザクラ?」
突然フォルスから名前を呼ばれ、ビクッとしてしまう。
そう、コザクラには心当たりがあった。
そして、この場にいる誰よりも大きく関わっていると、自分でも分かっていた。
それはコザクラにとって、今まで何度も思い出して来た、忘れたいと願ってきた過去なのだから。
「貴方、クロノスの元恋人ですね?」
その発言に誰もが驚き、そしてどよめく。
「調べによれば、貴方はクロノスとインターネット社会で出会い、そして貴方からクロノスに求愛したそうですね。クロノスはそれを受け入れましたが、程なくして貴方は、自分の言動に嘘を吐いてまで、クロノスに全てを擦り付け、拒絶した。そうですね?」
「――っ!」
突如、自分の過去を暴露、それも事実を突き付けられ、返す言葉が無かった。
コザクラの過去――インターネットで知り合ったルミエールに一目惚れし、告白し、結ばれ、最後は話し合いもなく、一方的に切り捨てた、自分の初恋を。
「コザ、あんた……ルミエールの彼女だったの……?」
「そんな事があったなんて……」
衝撃的な事実を知り、コザクラを気に掛けるユミとコハルだったが、フォルスはそんな二人にも呆れた様子だった。
「貴方達二人も、クロノスの優しさに嫌気が差して、勝手に拒絶したのでしょう?人の事を言えた立場ではないでしょう」
そう、ユミもコハルも――他の人間達も、インターネットでルミエールと友として出会い、冒涜したからこそ、今この場所に居るのだ。
経緯は違えど、立場は全員一緒で、だからこそこの世界に連れて来られ、このままでは処刑されてしまうかもしれないのだ。
この場所にいる人間全員が、ルミエールを冒涜し、傷付けた事実に、チェルが悲しみの込められた顔を浮かべ、俯く。
「どうして、そんな事が出来るんでしょう……?いつからそんな、相手を思いやる心が無くなっちゃったんでしようか……?」
「その心を見極める為にも、こうして呼び出したのでしょう。今は見守るしかありませんよ」
「そうね……だからこそ、貴方達にはそのケジメをつけて貰うわ。期限は三年。それまでに彼の心を癒せたら、処刑は免除よ。衣食住は揃えてあげるから、後は自分でよく考えて行動しなさい」
サラが何気なく告げたその一言で、人間達の焦りはより加速した。
三年以内にクロノスの心を癒やす事が、処刑を免除する条件――つまりそれは、三年間この世界で過ごす事を意味していた。
今まで何気なく過ごしていた日常から、突如剥離され、自分達が冒涜して傷付けた神を癒やす為に、この世界で、それも罪人として長期間過ごさなければならないという事実を、落ち着く間もなく伝えられたのだ。
そんな話、突然伝えられても理解出来る訳がなかった。
「説明は以上よ。これから貴方達にはクロノスに会って、その結果どうなるのかを、私達に見させて貰うわ。クロノスは今遠征中だから、彼に会うのは帰還予定の一週間後だけど、それまでの間はまた別の話を――」
「待てよ……」
理解が追い付かない自分達を置いて、どんどん話を進めるサラ達に痺れを切らし、重い口を開いた男がサラの言葉を遮った。
「俺達ばかり悪者扱いしてんじゃねーよ……ルミエールだって……クロノスだって、俺に嫌気差すような事してたんだぞ……」
絞り出すような声で、不満と言い訳を口にする。
すると、今まで何も喋らず、背を向けて煙草を吸っていたフランが、そのまま視線を送る事なく答えた。
「それは貴方が感じていただけよ。クロノスは貴方に悪意を持っていなかったし、直接当たる様な事もしていなかった……言動を見て、貴方が勝手に彼を傷付けたんじゃない」
「ふ、ふざけるな!いつまでもネチネチ言ってるあいつが悪いんだろ!昔の事をいつまでも気にしやがって!後ろ向いてばかりでイライラするんだよ!」
「後ろを向くのは貴方達が原因よ?それが無ければクロノスは――」
「そういう問題じゃねぇんだよ!過ぎた事に何時までも執着すんなって言ってんだよ!冒涜だの傷付いただの言ってないで、切り替えて乗り越えろって言ってんだよ!!」
息を荒くし、必死に反論する男。
それに対して終始冷静なフランは、煙草の煙を吐くと、呟く様に答えた。
「貴方の言い分にも一理ある――」
男に対する、肯定の言葉だった。
しかし、フランはデスクから離れると、振り向きながら言葉を続けた。
「だとしても、貴方が罪人である事に変わりはないわ。貴方は彼を殺したのだもの」
「なっ!?てめぇ、勝手に人殺しなんて身に覚えの無い事――!!」
「そもそも貴方達は、神界における『死』の定義が何か分かる?」
「は……?」
突然投げかけられた、死に関する質問。
あまりに突拍子の無い議題に、男は何も答える事が出来なかったが、フランは止まらなかった。
「心臓が止まる事?脳が動かなくなる事?肉体が動かなくなる事?寿命を迎える事?いいえ、どれも違うわ。私達は神の魂を受け継ぎ、輪廻を繰り返し生きている。つまり、それらはかつて私達が経験した過去の一つ……それでも、今こうして私達は生きている。だったら、神の『死』って何なの?」
「わ、分かんねぇよ、そんな事……」
あまりに突然で、難しい質問に、文句を言うかの如く答える。
しかし、フランはその答えに不満があるようで、不機嫌になっているのが分かる。
「それは分からないじゃなくて、考える力が無いだけよ。ヒトとしての基本的な思考能力が備わっていれば、例え答えが分からずとも、どんなに的外れな不正解だろうとも、何事も考えれば一つでも結論を導き出せるものよ……そんな事も出来ない、考える事を放棄した薄っぺらな頭で、何を口答えしてるのよ。いいから、さっさと考えて答えなさいよ」
静かな怒りが込められたフランの言葉を聞くと、男は酷い言われ様に更なる不満を覚えながらも、言われた通りに自分なりの答えを導き出し、静かに答える。
「輪廻が終わる事……」
「へぇ、こんな世界に連れて来られる程の粗末な頭してる割には、案外まともな答えを出せるじゃない?上々なものね……でも残念。それは『死』よりも、私が言った寿命に近いわね……教えてあげる。答えは……心が壊れる事よ」
フランは煙草の煙を吐き、何かを思い返す様な遠い視線を送りながら、苦しそうに言った。
「心の傷は一生消えない……だから、一生背負って生きなければいけない。それでも体は生きている。そんなの、ただの生き地獄じゃない……肉体と違って、心の傷は治る事なく、そしてそれが積み重なり、粉々に壊れる……そんな器だけの状態なんて、生きているとは到底言えないわ。貴方達は、クロノスをそんな状態にした――貴方達は、クロノスの心を殺したのよ」
フランの言葉を受け、男は唸り声を上げ、黙ってしまう。
しかし、それでも何とかこの場を凌ごうと必死だった。
「う、うるせぇ!俺には、あいつの心がどうかなんて関係ねぇんだよ!」
その言葉を受け、フランは煙草を持つ手をピクリと動かすと、眼光をより鋭くしながらも体を左に向かせ、再びデスクに腰掛けて煙草を吸い続けた。
男は怒りを口にしながら、そんなフランに近付いて来る。
「お前らの条件も飲まねぇし、処刑なんて知った事か!俺には俺の生き方があるんだ!俺がどう生きようが、てめぇらには関係ねぇだろ!てめぇに俺の生き方を否定される覚えなんかねぇし、神がどうかなんて知った事じゃねぇ!それでもあんな奴に会ってあんな奴を癒せって言うなら!力づくで――」
次の瞬間、場が凍り付いた。
男があと一歩でフランに届く程の距離に入った瞬間、監視室中に銃声が轟いた。
フランが横を向いたまま、男に拳銃を向け、その引き金を引いたのだ。
「力づくで……何?」
「うわああああああああああ!!!?」
男はあまりの恐怖に叫び声を上げ、腰を抜かしてしまう。
銃弾は男の左頬に掠り、僅かに血が流れている程度で、致命傷は負っていない。
それでも、一歩間違えていたら――あと数センチでもずれていたら、間違いなく殺されていたと考えると、精神的なダメージは計り知れない。
「呆気ないわね、ただの威嚇射撃で……さっきの威勢は何処に行ったのよ」
銃口からまだ微かに煙を吹く拳銃を下げ、それを手にしたまま男に向かって真っ直ぐ近付く。
男は怯え、震えて身動きが取れず、ただフランを見つめる事しか出来なかった。
「確かに、貴方がどう生きようと私達には関係ない……それはここに居る貴方以外の全員もそうよ。だけど――」
フランが男に近付きながら語り、そして目の前まで来ると、かがんで男の胸ぐらを掴んだ。
「私の大切な仲間を傷付けたのなら話は別よ?もし今度同じような事を――クロノスを侮辱する様な事を言ったら、私も、私達も、この世界も、貴方を、貴方達を許さない。よく覚えておきなさい……!」
それは、あのファーストコンタクトとは比べ物にならない程の、より鋭い眼光と敵意だった。
その顔は、もはや鬼の形相で、黙って見ていた他の人間達も、身の毛がよだつ程の恐怖を感じた。
しかも男は、それが目の前に、その上自分に対して向けられているのだから、その恐ろしさは計り知れない。
男はあまりの恐怖に取り乱しながらも、出せる力を振り絞り、フランの手を振りほどくと、手足を滑らせながらも何とか逃亡を図ろうとした。
「に、逃げろ!逃げてやる!!こんな訳分かんない所……!俺一人でもあの廃墟まで行って、戻る方法を――!」
しかしその最中、男は突如四つん這いの状態のまま止まってしまった。
何が起きたのか、どうして急に止まったのか、周りの人間達は不思議がっていたが、その状況に誰よりも驚いていたのは、他でもない逃亡を図った男本人だった。
「は……?え……!?」
男は驚きながらも、何とか逃げようと四つん這いのまま前進しようとするが、全く進まない。
まるで目の前に見えない壁があり、行く手を阻んているかの如く、どれだけの力を振り絞っても一定のラインを超える事が無かった。
「何だよこれ!?何で進まねぇんだよ!?逃げなきゃいけねぇのに、何で――!」
「言った筈ですよ?僕から十メートル以上離れないで下さいと」
フォルスが遠く離れた男に向けて言うと、フォルスはそのままゆっくりと後ずさりをしてみせた。
すると同時に、男も見えない壁に押されているかの様に後退し、その不可解な現象は人間達全員を驚かせた。
「僕の特殊能力ですよ。僕には『行動を制限する能力』があります。よって貴方のみならず、貴方達は現在僕が制限した通り、一定以上の距離から離れられないのですよ」
「能力――!?」
フォルスの口から出たその言葉に、人間達は驚きを隠せなかった。
能力――そのあまりに非現実的、超常的な力の存在に。
「あぁ、因みにこんな事も出来ますよ……皆さん、右手を開かないで下さい」
すると次の瞬間、逃亡を図った男のみならず、コザクラも、ユミもコハルも、他の人間達も右手が勝手に握り締められる。
「えっ!?」
突然の事に驚き、コザクラは慌てて右手を開こうとするが、それは石の様に固く、左手を力強く使っても、指一本開かなかった。
催眠術にでも掛かった様な超常現象に焦るのも束の間、フォルスが再び口にする。
「動かないで下さい」
その言葉を聞いた瞬間、今度は左手も動かなくなり、それどころか身体全体がピクリとも動かなくなった。
更には――
「呼吸をしないで下さい」
背筋が凍り、まさかと悪い予感がよぎる。
その予感が的中し、コザクラは呼吸が出来なくなってしまった。
口からも鼻からも、息を吸う事も吐く事も出来ず、身動きが取れないまま、時間が経過する。
「グッ……アァ……!」
次第に息苦しくなり、身動きも呼吸も出来ないまま、パニックになりかける。
限界が近付き、コザクラの意識が薄れかけた、その時、
「解放」
フォルスの口から告げられたその言葉を皮切りに、コザクラは倒れ込み、喉に両手を当てながら過呼吸の様な激しい声を上げた。
「ハァ……ハァ……!」
辺りを見ると、他の人間達も同じ様に苦しみ、乱れた呼吸を行っていた。
「そういえば、能力の事は言ってませんでしたね。これも神界における、後継神の力なのですよ。まぁ、後継神相手にこれ程強力な制限は力量差に依存しますが……貴方達のようなただの人間相手なら、幾らでも制限を掛けられますよ」
「そう、これが貴方達と、私達の力の差よ……これで分かったかしら?貴方達は私達に従うしかないという事……クロノスの為に動くしかないという事を」
サラが静かに、威圧をかけるように言い放ち、逃げ場も、選択肢も無い現実を突きつける。
「チェル、皆を寮棟へ案内してあげて」
「はい!」
サラの呼び掛けにチェルが元気に返事をすると、チェルは先程の出入り口に向かって駆けて行った。
「皆さ〜ん!寮に案内するので付いて来て下さ〜い!着いたらお茶菓子も出て休憩ですから、もう少し頑張って下さ〜い!」
チェルの優しくふんわりとした包容力のある声――しかし、それに反応出来ない程に、人間達の精神はボロボロだった。
「嘘だよな……?こんなの、ただの悪い夢だよな……?」
「夢でこんなに苦しいんですか……?そんなのおかしいですよ……」
「おかしい以前の問題よ……何が神の世界よ、そんなの認めたくない……!」
あまりに異常な状況に置かれている事を理解して、完全にパニックに陥る人間達。
そんな中、
「ルミ……」
コザクラが、かつて呼んでいた愛称でルミエールの名を口にし、胸に手を押し当てていた。
1章 END
2章へ続く