94 幼年期の終わり!?
「ねえ」
「なに?」
「もうそろそろ、男に戻っても良いんじゃないの?」
「ああ、ウン……」
「それとも、もう戻りたくない……?」
「いやそれがね……自分ではどうにもならないようで……」
「え?そうなの?前はチューするたびに変身してる感じじゃなかった……?」
サイはため息をついた。
「やっぱり、だんだん呪いが解けてきたからかな。わたし的にはそんな感じでもないんだけど」
いまは夜。
わたしたちはひさびさにラブラブアイランドのコテージで過ごしていた。
サイはゆったりベッドに横たわって、わたしの薄い本を読んでいた。
なかなか妙な光景だ。身長180センチ強の体育会系で美の女神だから、BL本なんて縁がなさそう……と、思ってたんだけど、うーん……。
わたしはパジャマ姿で、ベッドの端に腰掛けていた。
サイは男の子だったときにはわたしのやおい本なんてまったく興味なかったけれど、いまは漫画を読んだり、わたしと一緒にアニメを観たりする。
だんだん、女でいるほうが自然になっているようだ。
そりゃあね、夏から半月近く逃避行してたときは、結構楽しかったのよ。露天風呂だって一緒に入れたし。
だけどサイもわたしも徹底的に異性愛者だった。
それはことサイに関しては、とてもややこしい問題となる。
だってたまに性転換するんだから。
「やはり難しいなあ……」イチャイチャしようと何度か試みたあげく、女サイは途方に暮れて言った。
「男だったときとはスイッチが違うみたいなんだよね」
「なるほどねえ……」
愛さえあればなんとかなる、と思ったんだけど……
いまはその愛情だけがわたしたちの唯一の絆だった。
わたしはそれに必死でしがみついてたけれど、いまやそれは「友情」という名の別の絆に化学変化しつつあった。
なんだろうこのいわく言いがたき危機感。
そしてつのる欲求不満……!
おかげでわたしは、百合小説とマンガをこっそり通販で取り寄せてしまった。
それを読んではため息を漏らす日々。
(やっぱわかんね~)
わたしは座布団にバタッと寝転んで本を投げ出した。
まあ、百合の神髄が分かっちゃったらそれはそれでヤバい気もする。
とりあえずそれら百合物件を本棚に並べてみたけれど、今のところサイは興味を向けてなかった。
朝目覚めたら、男のサイが隣に戻ってた……なんて、もう期待できないのかな。
ホントにそうだったら……どうしよう。
それはともかく、わたしはめっちゃ熟睡してスッキリ目を覚ました。
最近、わたしはとても健康だ。サイのストレッチのおかげで身体は柔らかいし、食欲も旺盛だし。
これはやはり、わたしがサイの〈魔導律〉を吸収してしまってるからなの?
視力が回復……どころか2.0くらいにアップしたのもそのせいだという。
それがなにを意味するのか、サイにも分からない。
わたしはお互い一時的に距離を取るべきかも、と提案したけれど、サイはあえてそのまま様子見、という判断を下した。
天草さんと一緒に通勤するようになってたちまち一週間が過ぎた。
相変わらずトラブルは無し。
海の向こうではLo-Diがらみの議論が沸いているようだけれど、神様が居るのか居ないのか、宇宙人は存在しないのか、地球はまるいのか平たいのか……日本人にとってはあまり興味沸かない事柄について言い争ってた。
「天草さんは神様なんかいないって断言されても平気?」
「うーん……」天草さんは吊革に両手で掴まりながら言った。「ウチの信仰ではすべての事象に神が宿るってわりとアバウトな考えですからねえ。一神教の人たちほど悩まないですねえ」
「そっか……その点、仏教も同じようなものなんだっけ?」
「ま、いろいろ宗派で違いますけれど、神様仏様ってお祈りするときに具体的なイメージは沸きませんよね」
「まあね、たしかに」
「その質問て、〈サイファー案件〉ですよね?」
天草さんはたまに〈サイファー案件〉という言葉を使う。いったいわたしとサイはどんなふうに扱われてるんだろうか?
「まあね。――あなたたちやっぱり詳しい説明受けてないっぽいな」
「やっぱ分かっちゃいます?」天草さんはテヘッて顔して言った。「お恥ずかしい限りで。やーですよね縦割りって」
「NSAのひとから説明されたりしないの?」
「なかなか教えてくんないんですよ。まあこっちの上のほうの人も積極的に情報収集してんだかしてないんだか……」
九月なかば、もうすぐ大型連休だ。
このままなにごとも起こらなければ、また旅行に出掛けてもいいかも。
タカコからも『遊ぼーよー』とメールが頻繁に届くし。
一階の天草さんや鮫島さんもお休みしたかろう……毎日張り合いのない仕事でストレス溜まってるだろうし。
――ところが。
新しい火種が海の向こうで勢いを増しつつあった。
連休直前のある夜、サイのスマホに珍しく着信があった。
「はい」
サイは短い通話ちゅう何度か「うん?そう……」と言うだけで、ほとんど向こうの話を聞いていた。通話を終えたサイはわたしのほうに顔を向けた。やや途方にくれていた。
「どうしたの、サイ」
「デスペランからだ」サイは言った。「ワシントンに宇宙人が現れたってよ」




