92 Bチーム
翌日、仕事が終わって、わたしはサイにテレポートしてもらってアパートに帰った。
正直、瞬間移動でどこにでも行けちゃう生活にわたしは危機感を覚えていた。
あまりにも、楽ちんすぎる。
だから、今日はひさびさに家で過ごそうとサイに提案されて、わたしは半分ホッとした。不安もあるけれど、会社と旅館を往復し続ける非現実的な生活が続くと、そのうち社会復帰できなくなりそうだ。
「それじゃ買い物行ってこなくちゃ。冷蔵庫空っぽだもん」
「付き合うよ」
そんなわけで、わたしたちは近所のスーパーまで歩いた。
久々のご近所。
不審人物は見当たらなかった。
サイが言ったとおり、潮目が変わったのだろうか?
わたしの知らないどこかで誰かが号令をかけて、それでマスコミもストーカーまがいもいなくなったとしたら、それはそれで不気味で釈然としないけれど。
(まあ「そんな国」なのかも知れないな)と、どこか納得してしまう自分がいる。
サイはXLサイズのTシャツとジーンズのラフな格好で、長い赤毛はうしろで縛っている。素足にサンダル履きでも大きくて目立つ。
だからどうしても衆目は集まっちゃうけれど、おもに近所の男性の視線が集まっていた。純粋に「あのスゴイ美人は誰だ?」というチラ見や2度振り返りといったところだ。
確固たる目標を定めた捕食者の、じっとり据わった目つきは、向けられてない。
結局何ももめ事は起こらなくて、わたしたちは無事買い物を終えた。
が、もちろんそれでは済まなかった。
アパートの前に帰り着くと、夕方なのに引っ越し作業中だった。
一階の住人がまた入れ替わるらしい。
一ヶ月前までわたしとサイをスパイする探偵社と尾藤たちが占めていた部屋だ。
六時過ぎでもまだ汗ばむ陽気なので、引っ越し作業の人たちはシャツに汗のシミを浮かせながら、トラックの荷物を運んでいた。
そのうちのひとり、白いワイシャツにノーネクタイの男性がわたしたちの姿に気付いて、軽く会釈した。
「もしかして、二階にお住まいの――」
「はい、202の川上です」
男性はまた一礼した。
「どうも、鮫島です。下に越してきたので、バタバタしてて申し訳ない。荷物は少ないのですぐ終わりますんで」
「分かりました、よろしく」
「明日、作業がひと段落したらあらためてご挨拶に行かせてもらいますんで」
「あ、はーい」
それまでサイは一歩うしろに控えていた。鮫島さんはサイにもにこやかに一礼した。
「シャドウレンジャー」サイが突然言い切った。
「は?」
「おまえシャドウレンジャーだ。防災公園でデスペランのAチームと対峙した」
「エッ……?」わたしは鮫島さんとサイを素早く見渡した。
「なにを仰ってるのか――」
サイは困惑してる鮫島さんに指を突きつけた。
「レッドだ。シャドウレンジャーの隊長」
鮫島さんがうつむいて頭をかきながら、小さく舌打ちした。
「こんなに早くバレるとは思わなかった……」
「残念、おまえたちはカメラに記録されていた。アメリカ人はそうするんだ。コミケ会場でわたしたちに敵対した人間の顔はすべて暗記した」
思いがけない展開にわたしは困惑した。
「エッ、どういうこと……?」
鮫島さんは降参するように両手を挙げた。
「僕はたしかにアレだった。でももう敵じゃないですから、念のため」
「それでは、わたしとナツミの新しい護衛というのはおまえらなのか?」
「よくご存じで」鮫島さんは浮かない顔で言った。「そう、僕たち五人があなたがたの護衛を承った」
「それは懲罰的な処置なのか?」
「な、なんでそんなことを聞く?」
「ある程度真剣にやってもらわないと困るからだ。わたしはともかくナツミの身辺は」
鮫島さんはしぶしぶうなずいた。
「僕たちは……これを名誉回復のためと考えている。前のボス……あなたと最後に対決した桑田という内務省の男は更迭されてマダガスカル駐在となった。我々は必死で取り組むつもりだ」
サイはうなずいた。
「では、これを預ける」
そう言ってサイは、羊皮紙の巻物をポーチから取り出した。
「えっそれは……」
「おまえが言う桑田という人物から取り上げたものだ。この羊皮紙はおそらく、中国人たちがメイヴという女性から奪ったものだと思う。これも守れ」
「だ、だけど、それを使うと僕たちはまたあの「力」を取り戻すかもしれませんよ……」
「そうだ。わたしたちがメイヴを取り戻すまで預ける。活用せよ」
「了解、です……」鮫島さんは恭しく羊皮紙を受け取り、ゴクリと喉を鳴らした。
すごくまともなサラリーマンふうの人と思ったけれど、羊皮紙に見入るその眼がヤバかった。
「ではあらためて」
サイが手を差し出したので、鮫島さんは握手した。
「まったく、どういうことなんだか」
わたしがぼやくとサイは苦笑した。
「まあ、たぶん悪いことじゃない」
「そうだと良いけど……あの羊皮紙、渡しちゃったりしていいの?」
「あれは彼らが思い込んでるほど重要なものじゃないよ。かえって彼ら自身を縛るものだ」
「ふうん……」たしかに、わたしはあの羊皮紙でサイをお世話する役目を強制されたのだった。
「ナツミ、下のもうひとつの部屋にも新しい入居者がいるよ。先週からいる」
「え?まさか……101号室も鮫島さんみたいな人たちが入居したの?」
サイは謎めいた笑みを浮かべた。
「間もなく分かるんじゃない?」
たしかにそうなった。
ピンポーン。
夕食を終えた頃呼び鈴が鳴って、わたしは戸口に向かった。ドアチェーンを確認して、のぞき穴から外を見た。
巫女さんが、立っていた。
「――はーい」わたしは鍵を外して慎重にドアを開けた。
「夜分おそく失礼しまーす」
「はあ」
「ええとぉ、わたくし、あの先週から下に越してきまして……一度ご挨拶したかったんですけどご不在のようでしたので……」
「ああごめんなさい。ちょっとバタバタしてまして」
「それで、わたくし天草と申します、よろしくお願いします」
天草さんは高級そうな和紙の包装が巻かれた箱を差し出してきた。
「これ、つまらないモノですが――」
「あ、わざわざありがとうございます」
「それでは失礼しまーす」
わたしは、お辞儀してそそくさと立ち去る巫女さんの後ろ姿を、凝視してしまった。
(今度は、巫女……?)
「ナツミ、大丈夫?」
いつの間にか背後に控えていたサイが言った。
「えー……たぶん、だいじょぶ」わたしはサイに箱を渡した。
「なにこれ?」
「引っ越しのご挨拶で渡す粗品」
「粗末には見えないな」サイは包装を剥がして箱を開けた。「おまんじゅうだ」
「わー、美味しそう」わたしは一個取り上げた。「お茶煎れるね」