79 わたしのいちばん長い日 Ⅷ
わたしは防災公園に駆け戻った。
隣に高さ1メートル、体長2メートル強の猛獣を従えていたので、道行く先の人たちは自然にスペースを空けてくれた。
「サイッ!」
もう自分が浮いていることなんか気にしていられなかった。声の限りに叫んだ。
「サイ!デスペラン!」
「ナツミ!」
馴染み深い声が聞こえてわたしは心底ホッとした。ひしめく人混みの上に腕を振っているのが見えて、わたしはそちらに向かった。
「タカコ!」
コスプレ姿のタカコと、メイガン・マーシャルがいた。
「カワカミ、怪我はない?」
メイガンが初めてわたしの名を呼んだ。
「仕事モード」になってて、わたしの安否を真面目に案じているように見えた。母国のためであったとしても、尾藤や根神のあとでは有難いことだ。
「怪我はないです。サイとほかのみんなは?」
「あなたが公園から居なくなった途端、あいつらが戦闘をやめて撤退し始めたから、追ってる」
メイガンが言いながらわたしの眼を覗き込んでいた。
「な、なにか?」
メイガンは肩をすくめて、目をそらした。
タカコが代わりに答えた。「メイちゃんは、あんたが意外としっかりしてるなって感心してるんだよ」
「その「メイちゃん」てやめてくんない!?」
「エ~?ダメ?」
「このまえ日本のオッサンにそう呼ばれて以来、生理的にダメなのよ!」
「おやおや、日本のこと嫌いになりそうな外人がまたひとり……」
「このイベント会場に来たのも後悔しているわ」メイガンは厳しい表情であたりを一瞥した。
「なんなのよこの野次馬たち!」
おもにハリー軍曹が巨大化したままなため、わたしたちは相変わらず人だかりに取り巻かれていた。
謎めいた義務感に駆られてスマホを構えている人たちの能面みたいな表情に、わたしも少々うんざりしていた。
わたしも操作中あんな顔してるんだろうか……
「そう?コスプレ撮影はまんざらでもなさそうだったけど?」
「アレはジョーに参加強制されたのよ!」メイガンは腹立たしげに頭を振った。
「まあ勝手に撮影されるのはアメリカでも同じだけど、もうちょっと近寄って声を掛け合うものよ。日本式ソーシャルディスタンスの「わたし関係ありません」て感じが嫌なの」
その感じはわかりみすぎる……とわたしは思った。
それにしてもタカコとメイガンはフツーに会話している。ハワイのあたりからひょっとして仲良しなのかな?って感じてたけれど。
「それよりカワカミ、あの挙動不審な3人組はどうしたの?」
「根神と尾藤と藍澤さんですか?ついさっきあいつらに拉致されそうになりましたけど、ハリー軍曹が助けてくれたんで」わたしは猛獣の首筋を掻いた。
「拉致って……!ナツミ!」
わたしは手を上げて微笑んだ。
「大丈夫だよ。根神のお母さんにペットボトルで殴られたけど」
「それ全然大丈夫に聞こえないんだけど……って、根神のお母さんて?まさかあの――」
わたしはうなずいた。
「――でも尾藤が「まだ一回戦だ」って言ってた。もう一度なにかやると思う」
メイガンも承知しているようだった。
「あんたを一時的にノーガードにしたのは我々の失態だわ。Aチームを呼び戻して防御態勢を立て直そう」
「サイとですぴ……デスペランさんは、どこまで追いかけてるのかな……」
「位置は知らせてくる」メイガンは小さなタブレットみたいな物にチラッと目を落とした。「いま現在は……東京湾の真ん中にいる」
「……それって海の上では?」
「ちょっと状況が……」メイガンは顔を上げた。「ここ暑いから場所を移すわよ」
わたしたちは500メートルほど歩いて、駐車場に移動した。
ハリー軍曹が猫に戻ったので、あとを付けてくる野次馬は徐々に減った。
駐車場の入り口に警備員がふたり立っていて、わたしたちの後を付けてくる最後の数人を堰き止めた。
わたしたちは駐車場の一角を占めている大型車の列に向かい、やがて大きなトレイラートラックの荷台に上がり込んだ。
「うっわ~すごーい!」タカコが言った。
トラックの荷台とは思えないほど居心地良さそうなリビングだった。
とっても涼しい。
奥がガラスで仕切られてて、その向こうに映画みたいなモニタールームを備えていた。大きなテレビにいろいろな景色が映っていた。
オペレーター席にはAチームのシャロン・ヨシムラが座っていた。わたしたちを見て手を振った。
「飲み物は?なにか食べる?」
「そういえば、お昼ごはん食べてないです……」
メイガンが冷蔵庫から瓶入りのミネラルウォーターとラップにくるまれたタコスを出してくれたので、わたしはありがたく頂いた。ハリー軍曹にはミルク、メイガンとタカコは缶入りのダイエットコーク。
タカコはコスプレ衣装を脱いで私服に着替えた。
わたしがタコスにかぶりついていると背後のドアが開いて、Aチームの残り3人が乗り込んできた。
「いやー、やっぱ魔法の靴を履いててもホンモノの魔道士には着いていけねえわ」ボビーがやれやれといった様子で言った。
「アー」ブライアンがソファーにドスンと腰を下ろし、背もたれに頭を倒した。
「お疲れ様」メイガンが冷蔵庫からまたドリンクを取り出し、Aチームの3人に放った。 「あの人ら、海の真ん中に飛んでっちゃった」ジョーが途方に暮れたように言った。
「サイとデスペランさんが?」
ジョーがうなずいた。
「敵のやつらが、ドローンに掴まって飛び去ったのよ。でもまさか追いかけられるとは思ってなかったんでしょうね……追跡を振り切るため海に向かった。けど……」ジョーは肩をすくめた。
「さすがに俺ら水の上は歩けねえわ」
「でもおかしいな……」メイガンがタブレットを見ながら言った。「さっきから東京湾の真ん中で止まってるわ……どうしたのかしら?」
ジョーが脇からタブレットを覗き込み、眉をひそめた。
「たしかにヘンね……」
ジョーが奥のモニタールームに駆け込んでシャロンとなにか話し始めた。
わたしはタコスをモグモグしながら、ただならぬその様子を見ていた。
(やな予感するな~)
冷たい水でタコスの最後のひとくちを胃袋に収めて、ホッと一息ついた。
これでまた戦える。
遠くでサイレンの音が聞こえた……
メイガンもその音に気付いて、モニタールームのシャロンにたずねた。
「サイレンが鳴ってる。いったい何が起こってるの?」
「海上保安庁が最大の警報を発令してるんだよ!」
シャロンとジョーがトレイラーの出入り口に走った。わたしたち残りも立ち上がってそれに続いた。
外に出ると、壁みたいな熱気にぶつかって息が詰まった。
サイレンは有明一帯に鳴り響いているようだ。
Aチームは海に向かって走っていた。
わたしたちは道路の端のUターンから埠頭に向かった。
先に着いていたAチームは岸壁に並んで、吊り橋のほうを眺めている。
「なにか見える!?」
メイガンがたずねると、ブライアンが振り返って答えた。
「かなりヤバいもんが」
わたしもAチームと並んで吊り橋のほうに目を凝らした。
光の筋が2本、海面からV字型に伸びていた。
光の筋は、なにかを引っ張っているようだった。
間もなく、波を掻き分ける黒っぽい物体が見えた。
(クジラ……?)
だけど違った。橋との対比からして大きすぎる。
「おいあれ、潜水艦じゃねえのか!?」ボブが叫んだ。
「まさかと思うけど」メイガンが言った。「094型潜水艦に見えるわ……」
ブライアンが咳き込むような笑いを漏らした。
「それってめちゃくちゃマズくねえか?」