70 決意
「……しかしだな、そいつは途方もない仮説だぜ」
ですぴーはしきりに腕を振り上げて訴えた。
「だがあの終焉の大天使どもの意図は計り知れないよ」
「“意図は計り知れない”だと?」
「おまえが“途方もない仮説”とか“妥当な推測”なんて言うのだから俺だって“意図は計り知れない”ぐらい言ったっていいんだ」
ですぴーは降参するように両腕をあげた。
「やめようぜ。お互いアカデミックなタチじゃねえ」
「おまえはともかく俺は賢者ジアのもとで四年間学んだ」
「それでもぜんぜん足りゃしねえよ。やっぱりメイヴを取り返さなけりゃ」
「それはそうだ……」
サイはわたしに手を差し出した。その手を取ると、アパートに通じるドアに足を向けた。
三日が過ぎて、デスペランさんが電話してきた。
『あの女子高生はだいぶびびってたので、俺たちがさらにびびらせておいた』
「どうやって?」
『藍澤家の自宅に「我々は川上ナツミ氏の代理人である」……って調子で連絡したのさ。あの娘はしばらく告訴される心配に気を揉むはずだ』
「ありがとう」
『どういたしまして』
「あの……サイは最近学校に行ってないみたいですけど、そちらに伺ってるの?」
『ん?何度か来たよ』
「そう……ですか」
藍澤さんのこととサイのことでわたしは睡眠不足に陥っていた。眠りが浅く変な夢ばかり見る。
サイはちゃんと毎日帰って、朝まで一緒にいてくれる……それで満足、なにも変わっていないといくら言い聞かせても、モヤモヤが収まらない。
(わたし欲張りになってるのかなあ……)
「ナツミさんなに?ため息ついちゃって」
「えっ」
社長に言われてわたしは我に返った。
「あ、すいません、ぼんやりしてました」
「ま、無理もないやね」
「ど、どういう意味なんで……?」
「だってさあ」社長は机に肘をついた腕をワイパーみたいにひらひらした。
「あの少年と毎日一緒なんでしょ……かれハワイの件がジワジワネットに広がり始めてまた脚光浴びてるし」
「えっ?そうなんですか」
「欧米じゃLoDi以来「ルーディスト」って連中がタケノコみたいに発生してるからね。アンチキリストだかそういうの。ヤバいよね~」
「そんな情報どこで仕入れてるんです?」
「ま、ダークウェブってのあるから……それに紙と郵便だって馬鹿にならないんだよ?」
サイの情報はデスペランさんの組織がシャットダウンしてると思い込んでたんだけれど、すべてとはいかないのか……
社長は両腕を頭の後ろに組んだ。
「わたしゃ、満ち足りてるけどね」
わたしは口をへの字にしていたと思う。
「当事者意識というやつですか?」
「そう、世間の大騒ぎの真相を知ってる、っていい気分。とくにある程度距離をとってる場合」
「あんま面白がらないでください」
「ま、なるべく心がけるけど」
社長は藍澤さんの件まで知らないから、気楽なものだ。できればわたしだって社長と同じ「安全距離」まで後退したい。
(それは本音であり、嘘でもある)
オタクで草食女子のわたしが、生まれて初めて「オンナの確執」みたいなのに直面して、頭の中でなにかがふつふつと湧き上がってる。
とても原初的ななにか。
わたしはそれが嫌いだ。
それで子供みたいにわめいて他人を罵倒したり……そんな感情で頭をいっぱいにしたくない。
わたしがそんな女になったらサイに嫌われちゃう……そんな気がする。
(わたしが女子高生と争ってるのになんでほかの女なんか探してるんだよ!)
そんな言葉をサイに投げつけてやりたい……わたしの一部はたしかにそう思っていた。
少女漫画や恋愛ドラマに描かれているように彼にすがって、泣いて訴える。
わたしは首を振った。
無理。
そんなことしたくない。そんなのが頭に浮かぶのも嫌。
アパートに帰ると、サイの姿がなかった。靴は揃えて置いてあったので、わたしは浴室のドアを開けてラブラブアイランドに向かった。
宵闇の浜辺で椰子の林の一角が明るかった。コテージより200メートルくらい奥だ。
なにか塔みたいなものが立っていた。
高さ30メートルくらいありそうな櫓だった。
わたしはその櫓まで急ぎ走った 。
「サイ!」
「ああ!」櫓のてっぺん、見張り台みたいなところからサイが乗り出した。
「お帰り!」
「サイ、今度はなにを作ってるの!?」
サイは見張り台からひらりと躍り出て地面に着地した。
(ヒーロー着地!)とわたしは思った。
サイはタオルで顔の汗を拭いながら言った。
「見たとおり、見張り台を作った」
「なにを見張るために……?」
「デスペランに「ここ」を知られた以上、ほかの誰かがやってくる可能性も出てきたからな。ささやかながら……」
「嫌だな……」わたしはぽつりと言った。「ここはわたしとサイだけの場所なのに」
サイはわたしを抱きしめた。
「ナツミ、悲しむな」
「でも――」
「俺たちのゴールはここじゃない」
サイの何気ない「俺たち」というひと言が、いまのわたしには救いになる。一週間がんばろう、という気持ちにしてくれる。
「うん」わたしはサイの赤毛に顔を埋めて呟いた。「でも……ここが好きなの」
「俺も」
夕食を済ませたわたしたちは、久しぶりに長めに散歩した。
浜辺をゆっくり歩きながら、眼前に広がる大河を眺めた。
ここが実際に「彼岸」で、目の前に三途の川が流れているのだと思うと、ラブラブアイランドという愛称もいささか違和感を覚える。
(いや、いいんだ!)
わたしはあらためて決意した。
(ここはサイとわたしのラブラブアイランド!……誰にも譲らない!)