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65 思いがけない要請


 わたしの誕生日からたちまち一週間が過ぎて、タカコと社長もようやくハワイからご帰還なさった。


 世は()べて事もなし。

 

 ただしめっちゃ暑い。


 わたしとサイは窓を開け放した部屋で扇風機にあたりながら、足を投げ出して座り込んでいた。

 「そろそろクーラー必要かなぁ……まだ7月半ばなのに」

 「クーラー?」

 わたしは天井のほうに据え付けられた箱を指さした。

 「アレがクーラーというやつか。扇風機でじゅうぶんな気もするけど」

 「ハワイでも使ってたでしょ?部屋の中涼しかったじゃない」

 「ああなるほど、あんなに寒くなるんだ」

 「あんまり好きじゃないのよね、クーラーの涼しさって……」わたしはサイを見た。

 「暑いのは苦じゃないみたいね?」

 サイは肩をすくめた。

 「夏期は暑いもんだろ……ここもあっちも似たようなものだ。冷たい水と氷が簡単に入手できるだけでありがたいよ」

 「なるほど……」

 男性によっては異常に低い温度に設定したがるから、それはありがたかった。19℃にセットして毛布にくるまる人間を少なくともひとり知っている。

 


 「あ、もう時間だ……」

 「土曜なのに仕事?」

 「吉羽先生のブティックに行くの。うちの社長に紹介するって約束してて」

 「ああ、あの話。俺も行こうかな。どうやって行くんだ?」

 「車で。もうすぐ社長が迎えに来ると思う」わたしは立ち上がって薄い上着を羽織った。今日は涼しい場所で過ごすことになりそうだ。

 「サイが来てくれれば吉羽さんも社長も喜ぶと思うわ。でも用事あるの?」

 「来月大きな即売会があるんだろ?それ用の衣装を仕立ててもらおうと思って」

 わたしははたと立ち止まった。

 「いや……それはどうなのかしら……?」



 「コミケ用?もちろん承るわよ!最近その手の仕事増えてんのよね。でもコスプレ衣装はたいていお断りだわよ!」


 「へーそうなんですか……でもなんでコスプレはダメなんです?」

 「1,アニメちっくなデザインセンスはわたしの美意識には到底受け入れられない。わたしなりのアレンジが最低の妥協ラインよ!」吉羽さんは指を立てながら言った。

 「2、あの手を発注してくる連中ってたまにサテンを使えって注文してくんの!サテンよ!?まったく信じがたいセンス!」なにかをへし折ってポイ捨てする仕草。


 わたしたちは吉羽さんのスタジオの隣、庭に面した採光室でソファに座っていた。天井パネルがスライドしてガラス窓になるようだ。UVカットガラスだそうな。なんにせよたいへんお洒落な住まいである。

 「それで社長さんはドレスを仕立ててもらいたいのね?オッケーだけど日焼けはいただけないわねえ……」

 「ああごめんなさ~い……」社長は腕を眺めながら言った。「一昨日までハワイにいたんで」

 「それはお楽しみだったんでしょうねえ。内側から輝いてるもの。でも本格的なデザイン作業は日焼けが消えてからにいたしましょ。今日は採寸して、後日また生地の色合いについて打ち合わせということでよろしい?」

 「けっこうです!ところであの壁の衣装写真……」

 「ああTクンのコンサート用の?アレあたし」

 「そうなんですかぁ!なんだか光栄ですわぁ……」

 「お褒めいただいたのね?ありがとう!わたしはいっぱい賞賛される必要があるの!」

 

 社長は顧客として良好なファーストインプレッションだったようで、紹介したわたしもホッとした。2時間ほど採寸作業して――というのもわたしとサイもふたたび寸法を測られたから時間がかかったのと、吉羽先生がデザインをパクられた話が面白かったためだ――わたしたちはブティックをあとにした。



 社長に遅めのランチをごちそうになった。


 「今日は付き合ってもらってありがとうね」

 「いえ、こちらの用事も兼ねてしまったかたちですし」

 「ホント、先週あんたたちのパーティーに巻き込まれてからずっと充実しっぱなしでさ、知り合いも増えたし。それにしても吉羽先生、サイファーくんがお気に入りなのね。気持ちは分かるけど」

 「もともとサイが探して交渉してくれたんです。わたしはオマケで」


 吉羽先生はお喋りしながら、首にぶら下げた金メダルを愛しげに触っていた。すごく機嫌が良さそうなのはあの金貨の価値に気付いたためかも知れない……だってこれからずっとサイの服を無料で仕立てる、くらいの勢いだったから。


 

 社長に送ってもらい帰宅すると、スマホが鳴った。

 「あら妹、なに?」

 『お姉ちゃんお土産ありがとうね!ハワイ行くなんてぜんぜん聞いてなかったよ』

 「ああうん、ちょっと突然だったんで……」

 『旦那がアロハのお礼言ってた。ユリナもちびウクレレに大喜びしてるわ。ところでさ、明日はずっと家にいる?』

 「うん、とくに予定ないよ」

 『悪いんだけどさぁ、ユリナを半日預かってもらえないかなぁ?ママも旦那の実家も空いてなくて……』

 「なに?旦那さんとデート?」

 『ウーン、都内でディナーショーなのさ。ずいぶん前に旦那と一緒に行くって決めちゃってたから』

 「分かったよ。ユリナちゃんの面倒はわたしが見るから」

 ユイは心からホッとしたようだった。

 『ありがと~!明日の昼前に連れて行くんで、よろしく!』


 自分でも驚くくらいすんなり快諾していた……以前だったらもっと嫌々ゴネたのに。

 (心境が変化してるなぁ……)

 以前から姪っ子は可愛いと思ってたし、出不精で構ってやれなかったことでやましさを覚えてたから……。


 「サイ、申し訳ないんだけど、あした妹の子供をうちで預かることになっちゃった」

 「ユリナちゃん?了解だよ。あのくらいの子はたいへんだろうけど」

 「そうかなぁ……」


 わたしはちびのお迎えにウキウキしてたのだけど、やがてサイの言ったことを実感することとなった。


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