51 スローリィライフⅡ
日曜日の夜までに「月のピースサインが消えるらしい」という話題が世界中に行き渡っていた。公式声明の類いはなくSNSで拡散されたのだ。
日本のテレビもギリギリ間に合って、夜10時から各局臨時ニュースに切り替わった。
日本では10時40分――ワシントンD.C.では朝9時40分に短い演説が行われた。
大統領は〈ある存在〉と会見したことを認め、対話の結果平和的合意に至ったこと、国民の忍耐に対する感謝を述べた。
演説が終わると、大統領は壇上に据えられた特大のパブリックビューイングに映った月の中継画面に注目した。
10時前、集まった群衆から自然とカウントダウンが始まり……「ワン――ゼロ!」という声が「ワ――――――!」という歓喜の絶唱に変わった。
月の表面でグリーンの燐光が瞬き、ひときわ明るい光が地球を照らして、それが消えるとピースサインも消えた。
大統領は精一杯にこやかな顔で画面を見上げ、なんども頷きつつ控えめに拍手した。
パブリックビューイングに各地からの月中継画像が映し出された。とくに印象的だったのが国際宇宙ステーションからの中継だ。
群衆の歓声は国歌斉唱に変わった。
さすがにわたしもテレビでライブニュースを見た。サイがピースサインを消すため外に出掛けていたのでひとりぼっちだったから。
ニュース解説者が世界の様子や大統領支持率についてまことしやかに語る様子をながし見してると、騒ぎの元凶が帰宅した。
「おかえり~」
「ただいま」
「最後にピカッと光ったのは演出なの?」
サイは笑った。「ま、多少劇的にしたほうがいいだろ」
休日最後のマッタリした時間を過ごすためにコテージに移動した。
わたしはダブルベッドに俯せてノーパソに小説のつづきを打ち込んだ……が。
(スランプだ……)
正直言って、スローライフ展開が始まると書くネタが思いつかず、更新は滞り気味だ。わたしの指はしばしばキーボード上をさまよい……やがて溜息をついてパソコンを閉じた。
「ねえサイ。昨日の続きなんだけど」
丸テーブルで本を読んでいたサイは、ページから目を離さず言った。
「サタデーナイトハッスルのつづき?いいよ?」
「ちがッ!藍澤ミチカちゃん案件」
サイはページをめくりながら言った。
「それで?」
「ああいうのは」わたしは曖昧に手を振った。「よくあるのかな?」
サイは目を閉じて、瞑想しているように見えた。
「エ~……最近は、あまりなかった」
「最近は?」
「ここひと月は、ない。俺は学校ではかなり素っ気ない態度で、ゲイだと思われてるくらいだから」
「ふぅ~ん」
「なに「ふぅーん」て」
「だってさ、サイは〈魔導律〉をレベルアップするためにその……」
「アー」
「なに「アー」って」
サイは本を閉じて向き直った。
「ナツミ、たしかにアレは魔導律を貯める方法のひとつだった。でもちょっと考えてくれ。RPGってのプレイしたことある?剣と魔法のヤツだけど」
「あるよ?」
「ああいうゲームでレベルアップするおもな方法ってなんだろう?」
「そりゃモンスターを倒したり――あ」
サイは大げさに肩をすくめた。
「お分かりいただけたろうか」
あまりにもあっさり疑問を氷解させられてわたしは拍子抜けした。
「なんか……疑ってゴメン――」
わたしはぶすっと答えたけれど、すぐに別の疑念がわいた。
「――てかそれじゃサイ、あんたどこかでファイトかなにかしてるって事!?」
「ま、そうだ」サイは立ち上がり、ベッドのわたしのかたわらに寝転んだ。
「今日の昼買い物するとか言って出掛けたのも?」
「あたり」
「もう……ずいぶん前からそんなことしてたの?」
「そうだ。勘が鈍ると困るから肉弾訓練はしとかないと……運動だけじゃどうしてもダメなんだ。納得してくれた?」
「まあ……ね」
危ないことしないでねって言うのは躊躇せざるをえない。サイは怪我して帰ってきたことはないし、だいいち母親じみた言い草だもん。
「俺が浮気してるって……悶々と悩んでたの?」
「え、いやその」
「ちょっとひどくない?」サイがわたしの首筋に指先を走らせながら、いった。
「あんなに尽くしてるのに……」
耳のうしろにくちびるが触れて、わたしの背筋にスパークが走る。
「あ・あんなにって」声がうわずってしまいわたしは口を塞いだ。「――てゆうか、サタデーナイトハッスルってなんなんだか……」
「しらばっくれる気ならどういうのか思い出すまでいろいろ試してみる」
「ちょ、ちょっと待って――」
「黙って」
「……ハイ」
サイは、わりといじわるです……。
会話で主導権握っても、いつの間にか逆転されてわたしが守勢になってるし。
15歳の男の子にいたぶられてお姉さん情けないっす。
(まあ中身は精神年齢35歳の女王様だから、仕方ないよね~?)