49 頂上での対話
勇者がひとり地球に転移して隠棲しようとするのにどれほどコストを背負うかというお話なのでサクッと流して頂いてもけっこうです。
イスラエル国民よ,
あなたたちは,陶芸家の手の中にある粘土のように私の手の中にある。
私がある国民または王国を引き抜き,打ち壊し,滅ぼすことについて語ったとして
その国民が私が非難した悪い行いをやめた場合
私もその国民にもたらそうとしていた災いについて思い直す
――エレミア書18節
日曜日の朝早く。
わたしとサイはアメリカ合衆国のお招きに応じてデスペランさんのタワマンに出掛けた。
なんと、リムジンで送迎。
預金が元に戻り、それにサイの金貨を換金したぶんを合わせると、わたしたちはちょっとした子金持ちだった。
それで、わたしはサイに勧められて礼服やドレスを何着か仕立ててもらった。着る機会なんていくらもないと思ってたけど、さっそく試せるのでわたしは喜んだ。身体にぴったりな服というのは気持ちのイイものだ。
サイは、悪ふざけでプリンスがコンサートで着るようなスカーフとフリルと派手な刺繍の夜会服を仕立てていた。
ちょっとバカっぽい気がしたけど、サイが着るとまったく王子様に見える。
そんなわけでわたしたちは「正装」して会見に臨んだ。
タワマン最上階は厳戒態勢を敷いていた。
警備員が三倍に増やされてる。エレベーター前には金属探知機のゲート。
とはいえ警戒はサイには適用されなかった。わたしがボディチェックを受けただけで、彼は短剣さえ取り上げられなかった。
警備員の四人にひとりくらいは女性だったが、サイを見てハッと目を見張ったり、口元に手を当てて眼をキラキラさせていた。
あの衣装は西洋人には効き目抜群のようだ。
今回はデスペランさんのスイートではなく、反対側の一室に案内された。
こちらは窓は塞がれ、高級調度や絨毯、絵画の掛かった壁という、洋画に出てくる部屋みたいになっていた。
まもなく隣室のドアが開いて恰幅のいい黒人のおじさんが現れた。
背後にはあのメイガン・マーシャル中尉が付き従っていた。
サイに言われてあの巻物をハンドバッグに忍ばせていたんだけど、そのおかげで英語の会話がすべて理解できた。
「サイファー・デス・ギャランハルト、わざわざお越しいただき、感謝します」
「初めまして、パウエル大将」
「もう退役したので、パウエルでけっこうだ」
「ではミスター・パウエル」
ふたりは固い握手を交わした。
「お座りください」
わたしたちはふかふかのソファに腰を下ろした。メイガン中尉はパウエル氏の背後に立っている。
パウエル氏は短く刈り込んだ白髪にメガネと、すごく真面目そうな人だった。朝から制服でビシッと決めてたから、わたしたちもちゃんとした服装でホッとした。
制服の胸にずらっと並んだ色とりどりの刺繍――「略章」はいろんな作戦に参加したという印で、知ってる人が見れば彼がどんな経歴か一目で分かるのだという。根神先輩に教わったのでわたしは知ってた。
つまりこの人はものすごく偉い軍人だ。
「国内の混乱でやや遅れたことをマックが謝っていた。わたしは政治家も辞めたのでなんら権限はないのだが、いまは人材不足なので今回のお役目を預かった。まずは覚え書きに目を通していただきましょう」
「ミスタ・パウエル・サー。その前に」
口を挟んだのはメイガン・マーシャル中尉だった。
「なんだね?中尉」
「こちらの」彼女はわたしを指し示した。「エ~、お嬢さんは別室にご案内したほうが良いかと」
パウエル氏はわたしを見て、サイに視線を移し、それから言った。
「中尉、問題は無い。書簡をサイファー氏に渡したまえ」
「イエス・サー」
「サイファー、そちらのカワカミサンもコーヒーはいかがかな?あるいは紅茶かなにか」
「コーヒーを、いただきます」
「わ、わたしもお願いします」なぜわたしの名前まで知ってんだろ?
「中尉、よろしく頼む」
「イエス・サー」
サイが書類を改めているあいだ、わたしはコーヒーをすすって厳格な雰囲気に耐えた。
サイはわたしが読めるように皮のホルダーに挟まっていた書簡をテーブルに広げたから、黄色い便せんにしたためられた手書きのメモと契約書類っぽい印刷物が見えた。
手書きのほうは「ディアサイファー」で始まり、「アンスン・マクドナルド ユナイテッドステイツプレジデント」という署名で締められていた……
「つまり、これからは合衆国の許可なく「パワー」を使わないでくれ、ということですね。分かりました。こんな手続きを踏まなくとも、俺はもうあなたがたの国に力を行使したりしないけれど」
「おもに国内向けの手続きなのだ。その紙切れ一枚で大勢が安心できる」
「それ以外にも、いろいろと譲歩していただいているようだ……俺はあなたたちの基地をひとつ潰したんだが?」
「犠牲者をひとりも出さず」パウエル氏はうなずいた。
「メッセージは正確に伝わったと思う。きみを恫喝しようと試みたCIAの間抜けどもは、塩の柱に変えられなかっただけラッキーだった。しかしマックは前任者同様タカ派の保守だが、柔軟な思考という点ではここ半世紀でもっとも賢明なひとだ。それに」
パウエル氏は顔をしかめたが、笑ったのかもしれない。
「あのルーニィ・ディザスターによって、ある意味我が国に異例の結束がもたらされた。リベラルと称する捨て鉢な無神論者たちがなりを潜めたのでね。わたしも驚いたが、9.11のときとは明らかに違う。本物の超常現象によって我が国のもっとも冷笑的な人間さえ考えを改めざるを得なかったわけだ」
「おれという絶対悪が登場したから結束できたと言うことか?」
「悪とまでは――」パウエル氏はメイガンにチラッと目を向けると「中尉、席をはずしたまえ」といった。
「イエス……サー」メイガンは敬礼して、さっときびすを返して従った。けれどドアを閉める寸前にわたしに向けた表情はなかなか凄みがあった。
パウエル氏は続けた。
「――まあ、きみが信仰の土台を揺るがしたというのは確かだろう。比較的良いほうにだが。だがそれはいっぽうでは、約束の地が本当にあるのかもしれない、という希望を国民……多くの国の人たちに抱かせた。ルシファーが存在するなら神の国も実存するはずだ、とね」
「それが目下の危惧ですか」
「そう……正直言ってわれわれは国内、とくに若者の苦悩を見誤っていた。彼らの絶望を。彼らは喜んで祖国より神の国を選ぶだろう。だからせめて……われわれはルシファーをコントロールしている、ということを国民に示さねばならないのだ」
パウエル氏は見た目は子供のサイをずっと対等に扱っていた。敬意さえ感じる。サイもサイでまったく臆せず、腕組みしてパウエル氏の言葉を吟味していた。
「ならば今夜、ご希望の時刻に月のサインを消すよ。そうすると〈ルシファー〉が言ったと、大統領に伝えてほしい」
パウエル氏は背筋を伸ばし、何度か大きくうなずいた。
「それは……たいへんいい考えだ」
サイは書類二枚にサインして、そのうち一枚と手書きの便せんを受け取った。
「約束は守る」
パウエル氏は重々しくうなずいた。
「ところで、きみとデスペラン君の探求はこれからも続けるのか?」
「あなた方もそれを望んでいるのでは?」
「わたしには……分からない。あのメイガン中尉のようにデスペラン君に心酔した一部研究者がやっていることだ。それは必ずしも合衆国の総意ではない」
「たとえどんな結果になるにせよ、知りたいとは思いませんか?」
「知りたいし知りたくない」パウエル氏は自嘲気味に首を振った。
「わたしは老いぼれ兵士にすぎない。地球が張りぼてに囲まれた流刑地かもしれない、という考えに耐えられるとは思えないね」
「だけど、俺もデスペランもすぐ思ったことだ。「ここは酷いところだ」とね。俺たちの世界は地球のような発展はしなかったが、それでも生まれてすぐの子供が死ぬことはない。あなた方が大昔に追放された咎人の子孫だとすぐに分かった。それにあなた方はこのまま続けばいつか滅亡する。あなた方がアトランティスと呼ぶ先代文明がたどったように滅亡して、一万年前からやり直すことになるだろう」
「われわれに救いはない?」
「どうかな。でもデスペランとその研究者たちは地球と俺たちの世界を繋げられるかもしれないと、考えている。ご存じのように」
「それが救いになるのかね?」
「この世界は張りぼてで宇宙とやらは無意味な広がりに過ぎず、「異星人」も存在していないと「発見」するだけで終わるよりは、あるいは」
「それは、そうだな……」
「そのために、この世界の成り立ちを解き明かす必要がある」
「よく分かった……これ以上聞いたら夜眠れなくなるよ。しかしたいへん興味深いやり取りでした。まことにありがとう」
サイとパウエル氏はふたたび立ち上がり、握手した。
パウエル氏はわたしの手も取った。
「カワカミサン、サイファーを守ってください」
わたしは戸惑った。
「サイは強いから、わたしなんか、守ってもらってるばかりで……」
「ずっと味方でいてほしい。われわれは物事をあるがままに捉えるすべを失いしばしば誤った判断を下す。いつサイファーくんを裏切るか分からない。そんなことにならないとわたし自身は願うが、世界は複雑すぎて、そして愚かなのだ」
※パウエル氏は実在のコリン・パウエル退役大将がモデルというかそのまんま。彼が仕えるマックこと「アンスン・マクドナルド」は海外SFにちょっと詳しいひとならわかる名前です。なお英国首相は穏健派のチャールズ・クラーク氏という設定だけどたぶん登場しない。




