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48 スローリィライフ

            

 サイがアパートの洗面所に新しくたてつけたドアは、わたしとデスペランさん以外には見えないドアだ。巌津和尚ならひょっとして……ていうことだけど、普通の人間には見えない。

 事実上「異世界への扉」なのだ。

 異世界と言ってもサイが住んでいた世界に直通とはいかなかった。その手前、サイが「彼岸」と呼んだ場所に通じてる。

 

 わたしたちはその「彼岸」に小さなコテージを設けて、ここひと月近く、生活の半分はそこで過ごした。

 見渡す限り、南国の椰子と砂浜が続く。

 空は明るくなったり宵闇になったりするけれど、太陽は無い。星も見えない。

 暑すぎもせず寒くもなく、虫もいない。

 わたしとサイだけの世界。

 だから「彼岸」なんて呼び方はやめて、「サイとわたしのラブリーアイランド」に改名したい。


 サイは魔法でなんでも作ってしまうけど、ある日には長い桟橋が砂浜から海のほうに伸びていた。遠浅だから100メートルくらい沖に出ても腰の深さにしかならないのだ。

 桟橋の終点は五メートル四方のはしけで、わたしたちはときどきここで食事する。あるいは遊覧したり、イチャイチャしたり。


 サイはこの海は海ではなく、大河だと言った。とは言っても対岸は全然見えない。たしかに水は向かって右から左に流れ続けてて、海水ではなく真水だ。波もない。


 「この河は地球と「あちら」を隔ててる。絶対越えられない、というしるしなんだ」


 なんだか直感的に不吉な話だ……

 それはともかく、この河にはもうひとつ、とても厄介なルールがあった。


 それはわたしが水着を披露して、泳ごうとしたときに起こった。

 水辺に突進するわたしの背後でサイが叫んだ。

 「ナツミ!水に入るんじゃないっ!そのままじゃ――あ、やっちゃった……」

 「え?べつになんともないよ?」


 なんともなくなかった……水着が消えてた!


 この河の水に、現世の物品はいっさい持ち込めないのだ。


 わたしは慌てて浅い水辺に膝を抱えてしゃがみ込んだ。

 「それもうすこし早く言うべきでしょ!」

 「水から出ないとパーカーも着せてあげられないよ~」

 「せっかくなんでこのまま泳ぎますぅー!もうあっちいって!」

 サイは笑って、パーカーを砂浜に置いて行ってしまった。

 わたしは選び抜いたワンピースを一瞬で失った悔しさで意地になってたんだけど、いつまでたっても水深30㎝くらいなので少々間が抜けていた。


 その明くる日、桟橋ができていた。


 というわけで泳ぎたかったらヌードを披露するしかないのよ。

 でもまあ、ここはカンペキにプライベートビーチだし……。

 

 ここに太陽はないけれど、オーロラのような光の帯が射して明るくなったりする。

 柔らかい光だからとあなどってたけどタカコが指摘したように、わたしはうっすら日焼けしていた。

 まんべんなく日焼けしてるからサロンで焼いたと思われても無理なかった。


 コテージにはダイニングテーブルのセットと簡単な調理器具、小さな冷蔵庫を持ち込んだ。電気はアパートから引いてなんとかしたけど、水道とガスはどうにもならない。

 まあ便利なのもほどほどにね。


 わたしたちはここにゴミの山を作る気はなかった。帰宅後のひとときから就寝まで過ごすささやかな楽園だ。あとお洗濯物を干すのに便利。

 空気は湿気もなく雨も降らない。


 それからロードバイクを二台、運動がてらピクニック用に持ち込んだ。

 ここは島じゃなくて、浜辺が延々続いてる。砂浜は無理だけど、まばらな椰子の林は芝の固い地面で自転車で走れる。


 自転車で遠出すると多少地形は変化して、切り立った岩場や清流のせせらぎはあった。

 それに蛍のような燐光が瞬く静謐な花畑の丘……小さな青紫の草花が一面に広がっていた。どこかで見たような、覚えがないような……懐かしい景色。

 

 だけど言ったように虫はいない。花はどうやって受粉しているのかな?

 

 小動物もいなかった。

 でも水にはときどき生き物の姿が見えた。

 生き物なのか……妙に幻想的ではっきりしない大きな魚、あるいはウミヘビ?はじめて水中で出くわしたときはびびったけど、近寄ってくることはなかった。


 サイは謎めいた言い方をした。「はっきり見えないほうがいいよ」



 即売会が終わって、わたしたちはファミレスで3時間ほど駄弁った。

 わたしたちはそのあとカラオケしに行ったけど、サイは用事があると言って先に帰ってしまった。


 10時に帰宅したわたしは、ピクニックバスケットを持ってラブリーアイランドに向かった。サイは先に帰宅していた。


 「ナツミ、明日の朝デスペランのマンションに行くんだけど、一緒に来てくれないか?」

 「朝?早いの?」

 「7時に迎えが来るって」

 「そう、それじゃあ早めに寝なきゃね。あ、ところでさ、サイ。藍澤ミチカって子知ってる?」

 「藍澤さん……ああ、体育館裏に呼び出されて飛びつかれたっけ」

 「飛びつかれた」

 「まあね。いきなりキスされたんで驚いたけど……」

 「キス」

 「まあすこし強めに、やめるよう言い聞かせたら、次の日仲間四人連れてきて、動画に撮ったとかわけ分からないこと言われたなあ……」

 「そ、それでそのあとは……」

 「俺やナツミの動画はアップしたとたんネットから消されるらしいよ。デスペランがなにかそのようなことを言ってたろ?だからその後はどうなってるのか知らない」

 「あの子、それで今日私に会いに来たのか……」

 「あの子が絡んできたのか?俺がまた言い聞かせようか?」

 「ううん、いい。わたし対処できるから」


 ――――沈黙――――


 「ナツミ?怒ってない?」

 「怒ってません」

 「本当……?」

 「怒ってない」



 わたしのムカムカはその後1時間に起こった出来事であっさり蒸発した。



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