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43 夢の中へ


 ビルの29階から飛び降りても怖くはなかった。


 まあ、公式には。


 非公式的にはわたしは悲鳴を上げ、落下し始めたときにはサイの首にしがみついて目をぎゅっとつむり、「大丈夫!」と自分に言い聞かせていた。まさかサイが突然無理心中するはずないし。

 落下速度がふわりと和らいで、止まった。


 わたしがおそるおそる片目を開けると、どうやらタワマンおもての歩道のようだ。

 幸い人の往来はほとんど無かった。とは言えいつまでもお姫様抱っこされるのは(されてたいのはやまやまだけど)バツが悪いので、降ろしてもらった。

「け、けっこう面白かったね!はは」

 わたしはヨロッとしかけたけどサイの肩に手を置いてなんとか足を踏ん張った。今日は高低差がやたら激しい。

 「それじゃ、帰ろうか」

 「あっでも……」わたしは躊躇せざるをえなかった。

 どこから話をすべきか……


 わたしたちは駅の方に歩いた。

 歩きながら、わたしはここ数日間に起こった出来事をサイに説明した。説明すればするほど、なにも解決してないことに気付いてわたしは気が滅入った。


 「――だから、アパートに帰っても電気が使えないの。勢いで飛び出してきちゃったけど、サイはもうすこしデスペランさんの所に居たほうが良かったんだよ」

 サイは無言で険しい顔つきになって、なにか考えているようだった。

 「ナツミ、嫌がらせについてはひとつずつ対処していこう。まずはおカネだ」


 サイはいつも肌身離さず巻いてる皮の腰巻きを外した。ベルトもしてるのになんで付けているんだろう、といつも思ってたものだ。

 サイは小さなナイフで手際よく腰巻きの縫い目をほどいた。

 そして、中からコインを取り出した。

 「これを」

 サイはわたしの手のひらに金色のコインを積み上げた。500円玉よりふたまわり大きなコイン10枚……

 ずっしり重かった。

 「貴金属を扱ってるお店に行ってみよう。ネットで調べたから、近所にある」

 

 丸広通りの商店街の一角に宝石店があった。

 サイはいっけん未成年なので、わたしが金貨を持って入店した。

 わたしはかなりきょどってたけど、お店の主人はごく事務的に金貨を受け取り、モノクルで眺めたり、ノーパソで何か調べたりしはじめた。

 「これ玩具じゃないですよねえ?」

 「エッはい、その……そのはず……」

 「見慣れないコインなので査定は重さのみになってしまいますが?」

 「そ、それでお願いします」

 お店の人は電子秤で重さを確かめた。やがて


 「こうなります」


 電卓の液晶に表示された数字にわたしは戦慄して、「そ、それでけっこうです……」とだけやっと言った。こういうのはもっと手続きが面倒なのかと思ってたけど、いちど保険証を提示して、書類に住所氏名電話番号を記入しただけだった。


 わたしは厚さ二センチ近い諭吉さんの束を受け取って、店を出た。

 (ひょっとしてわたし、まだ夢見てるのかしら……?)


 お札の束をサイに渡そうとしたけど、持ってるよう言われた。

 「いままでの宿代と、これからの宿代。何ヶ月かそれで足りると思う」

 「こんなにたくさん受け取れないよ!」

 「まだ金貨はある。それはナツミが持っててくれ」

 「そ、それじゃあとりあえず収めるけど……」

 とっととどこかに仕舞いたかったので諭吉さんをバッグに突っ込んだけど、札束を所持してる緊張感は緩和しなかった。

 いずれ半分はサイに持ってもらいたかった。銀行が信用できなくなったいまはそのほうが安全に思えたし……


     グ・グゥ~~~~~~


 ああもう!このおなかは!

 「……夕ご飯、食べようか?」

 「うん……」


 サイは本川越駅前のちょっと高めなお食事処にわたしをつれていった。わたしに任せたら遠慮してラーメンで済ませると思ったかな?

 とにかく個室のお座敷をふたりで占領できた。とびきり高い豪華御前を頼んで、それにわたしはお酒をすこし。


 ゆっくり食事を取って、デザートの白玉餡添えきなこ黒蜜がけ抹茶アイスクリームのころにはすっかりくつろいでいた。

 「ナツミ、帰りたくないなら、上のホテルに泊まろう」

 「エッ!?あ~……そうね、と泊まりね、分かった」


わたしたちはとくに咎められることもなくホテルにチェックインした。いちおうダブルベッド……だけど周囲の視線が気になるったら。


 わたしはドキドキしっぱなしで、部屋に入るとベッドに飛び乗ってしまった。サイも続いてわたしのとなりに飛び乗った。

 ベッドサイドテーブルからリモコンを取って壁掛けテレビを付けた。静かだと会話を進めるしかなくて、会話を進めるといずれ※#∞√になる、と思ったからだ。

 わたし最終ライン越えに躊躇してるから、まだいちおう……


 NHKがニュースを放送していた……時間的にバラエティがやってる頃なのに。

 わたしは顔を上げて画面を見た。臨時ニュースだ。


 『――繰り返しお伝えします。本日未明、アメリカ西海岸ロサンジェルス近郊のエル・トロ基地で起こった「爆発事故」について、現地メディアの様子を記者に伝えていただきます。森本さん、事故から16時間ほど過ぎましたが、現地の様子はいかがでしょう?』


 『ハイ、こちらロサンジェルスです。えー、現在夜中の四時を回ったところですが、エル・トロの爆発現場周辺は騒然としておりまして、警察と州兵が収拾に当たっているところです。一時は核兵器の爆発と思われ全土で緊急非常態勢に移行しましたが、現在は解除されました。

 しかしLA市内などではいまだ騒乱が続いております。

 いくつか新情報も上がってきました。政府によると事故当時エル・トロ基地は演習のため無人となっており、奇跡的に死傷者はいないとのことです。また別の政府筋によりますと、エル・トロ基地の全職員がおよそ1000㎞離れたモハベ沙漠、デビスモンサン基地で生存を確認されたとの情報も上がっています』


 画面にはスマホで撮影されたらしい動画が写っている。夜の林の向こうで大規模火災が起こっているけど、そのオレンジ色と黒煙の中に巨大な人型の影が蠢いていた。なんと差し渡し100メートルぐらいありそうな黒い翼が背中に生えていて、それが羽ばたいて黒煙をかき乱すたびに誰かが「オゥマイガー」と連呼していた。


 わたしは思わずサイの横顔を見た。だけどサイは涼しい顔で画面を見ている。


 『アメリカ全土が騒然としているようですが、なぜなのでしょう?』


 『ひとつには例の月面の絵文字と呼応しているからと思われます。主にキリスト教の熱心な地域では月面に突然現れたピースマークらしき模様を不吉の前兆と捉え、パニックが広がっているようなのです。さらにポトマック川の水が赤く染まった件など、アメリカ政府は対応に苦慮していると言えるでしょう』


 真っ赤に染まった不気味な月が映し出されていた。その真ん中に丸と線三本のマークがはっきりと浮かんでいた。


 

 「ねえサイ……」

 「なに?」

 「これってまさか……」

 「さあ、どうかな」

 サイはわたしを抱き寄せた。

 「それより、シャワー浴びよう」

 「ふっ」わたしはうつむいて、ソッと言った。「……ふたりで?」

 サイは苦笑した。「ナツミの好きなように」

 「そ、そうね、どうしよっか……」


 そのとき急にものすごくからだが重くなったように感じて、


 (あれれ酔いが回ったかな?)

 世界が渦を巻いてどこまでも沈み込んで

 

 わたし、寝オチしちゃった……。 



 第二章はあと2回で完結します!

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