42 長い日曜日の終わり
巌津和尚はたいそう沈んだ様子で、地面に転がった錫杖と笠を拾った。
デスペランさんがのんびりした足取りでわたしの傍らに歩いてきて、手を差し出した。
「来るのが遅くなって申し訳ねえ」
わたしは力強い腕に引っ張り上げられて立ち上がった。ちょっとふらついた。三半規管がまだおかしい。
「べつに遅れてませんけど……いま何時だか」
「17時過ぎだな」デスペランさんが腕時計を見て言った。
「夕方……」わたしは途方に暮れて青空を見上げた。時間の感覚がおかしくなっていた。サイと電話で話してから5時間近くウロウロしてたのか……
巌津和尚は佇まいを正すと、「御免」と一礼して、歩くのもやっとという足取りで立ち去った。
グゥ~~~
「あっやだ……!」おなかが鳴ってしまい、わたしはぷいとそっぽを向いた。
「腹減ったか?」
「そういえば、朝にちょっと食べただけで……」
「もうすこし我慢してくれや。サイファーも帰ってるだろうから、俺の住処に行くぞ。あんたを無事届けないと俺がぶっ飛ばされんでな」
寒さもいつの間にか遠のいて、暑いくらいになっていた。わたしはダウンジャケットを脱いで、川沿いに路駐していたデスペランさんの愛車に乗った。膝にはネコさん。それにでっかい剣を積んだので、車内は手狭だ。
車は川越市内に向かった。町なかは午前中の異常気象なんか無かったように普通の様子だった。
デスペランさんがタワマンのとなりの立体駐車場に乗り入れたので、わたしは戸惑った。
「ここが、デスペランさんの住んでるとこなの……?」
「ああ、最上階丸々NSAが買い取った。ちと狭いが俺がワンフロア占領してる。残りは事務所」
「狭いって……」
「しかしドローンを飛ばすのに便利だし、屋上に衛星アンテナ増設してもだれも気にしないし、あんたのアパートは望遠鏡で監視できるからな」
「かっ監視!?」
「まあ……そのために支所開いたんだから。それにここはペットオーケーで……」
「フギャ~!」ハリー軍曹が抗議した。
「分かってる分かってる、おまえさんはペットじゃない」
セキュリティゲートをくぐってエレベーターに乗り、最上階の29階へ。
(タワーマンションなんて初めて……)
タワマンはひとつの階に四戸が収まっているはずだけど、デスペランさんの話ではそのうち三戸が事務所だ。建物内側の吹き抜けの通路には軍隊っぽい制服の男女が何人も立っていた。デスペランさんの帰還に気付いた何人かと「ハロー」と挨拶を交わした。だれも大剣を持った姿に疑問を感じていない。
(なんという別世界……)
わたしはまだ幻覚を見てるのかしら?
狐に化かされたような気分のまま、豪華な玄関をくぐってデスペランさんのスイートルームに足を踏み入れた。
わたしのアパートの3倍くらいの面積がありそうなリビングに、サイファーがいた。
「サイ!」
ガラス戸に立って外を眺めていたサイが振り返った。
「ナツミ!」
わたしたちは同時に駆け出してリビングの真ん中で抱き合った。
サイにギュッと抱きしめられて、わたしは背中がふにゃふにゃに弛緩してゆく心地よさを味わった。
「サイ……サイ、会いたかった……!」
「俺も……」
サイはわたしの肩に手を置いて上から下まで眺めた。
「なんともない?」
「平気だよ……サイこそ、面倒なことに巻き込まれたんじゃないの?もう解決できた?」
「ああ、うん――」
わたしの背後で慌ただしい気配がして振り返ると、水色の上着と黒いスカートにネクタイ、という金髪女性が部屋に入ってきた。
「ハイ、デスペラン、ハニー。それにサイファーと……」
「メイガン、こちらはカワカミ・ナツミ。カワカミサン、こちらは合衆国空軍情報部のメイガン・マーシャル中尉」
「あ、ども、カワカミです」
「そ、ねえサイファー、どうかへそ曲げないでちょうだいな。統合参謀本部議長閣下も正式に謝罪なさるそうよ。だから、ね?」
(またヘンなのが現れた……)
わたしは顔をしかめた。華麗にスルーされたのはまあ良いだろう。だけどサイに猫撫で声で迫る馴れ馴れしさはなんなの!?
「その件は了解したのでもう放っといてもらおう」
「やぁんまだ怒ってるでしょ?御願いだからくれぐれも中国に加担するとかナシでね、それにジャップと組むなんて最悪だから。それだけはしないって約束してね?ねっ?」
サイはサイでこの女に対してはじつに素っ気なかった。この女かアメリカだか知らないけど、よほど腹に据えかねることをしたみたいね……
「ナツミ、もう帰ろう」
「うん」
「え?メシ食ってけよ。送ってってやっから」
「しばらくそっとしといてくれ」
「おい出口はそっちじゃ――」
サイはわたしの体を抱え上げると、念力でガラス戸をこじ開けてベランダに出た。そして
「ちょっ――」
助走して手すりを蹴り、大きく跳躍した。