38 雷雲
巌津和尚の語り具合はさすがお坊さんというべきか、語った内容に反してわたしの荒んだ気持ちを不思議と静める効果があった。時間もつぶせて、1時間くらいで夜が更けてきた。
わたしはファミレスをあとにした。
コンビニに立ち寄り、なけなしのお金でサンドイッチを買ってアパートに帰った。
相変わらず電灯もテレビも使えず、冷蔵庫のうなりさえない。
(冷凍庫の中はひどいことになってるな)
そう思うとうんざりしたけど、いまは些細なことに思えた。
それよりも巌津和尚が言っていた「結界」が気になる。そんなものを張って、サイは本当にここに戻って来れなくなっているのだろうか?
電気は使えないけれどガスはまだ止められていなかったので、お湯を沸かして紅茶をいれ、サンドイッチを押し込んだ。相変わらず食欲はなかったけれど頭をしっかりさせるためにカロリーは補給しなくちゃ。
(なんでサイと別れたんだろう。わたしのバカバカ!)
でもあのときはグッドアイデアに思えたんだもの……わりと咄嗟の思いつきだったけどね。
サイと別れてたった一日なのに、こんな面倒なことになるなんて思わなかったんだ。
サイに「おカネがなくなった」と告げたくなかったばかりに。
食事を終えて2杯目の紅茶を飲み終わると、考えが決まった。
見栄っ張りはやめて助けを請おう。
それにサイに連絡を取らないと……巌津和尚が彼と戦いたがってるって知らせないと。
時間を見ると6時を回ったところだった。日曜だしタカコはまだ寝てるだろう。とりあえず荷物をまとめて、9時ごろ電話しよう。
ところが、まもなく雨が降り始めてたちまち土砂降りになった。雷鳴も轟いて、ときおり窓の外がフラッシュのように瞬いた。
雨風は勢いを増して、傘を差しても一分でびしょ濡れになりそうだ。
まるで家にすっこんでろと言わんばかりだ。
昼になって雨脚はいくらか弱まったけど、ひどく寒かった。
(落ち込んでるときはすべてこんな調子なのか)
なにもかもがわたしを罰してるような気がしてくる。
(いかんいかん!もうネガティブスパイラルは無し!)
わたしはダウンジャケットを取り出してくるまり、窓から外の様子を眺めた。真っ黒な曇天でゴロゴロくぐもった雷鳴が続いていた。
正直言ってカミナリの日は外出したくない。落雷が怖いから。
(なんとかコンビニくらい行けるかな……もうタカコに連絡しても、いまさら転がり込めないけど)
それよりもサイに電話がつながるか確かめたい。声が聞きたい!
わたしは居てもたってもいられなくなってアパートを飛び出した。霧雨程度だったので傘は差さず、コンビニまで急いだ。
公衆電話に100円を入れて残りのコインを電話台の上に積み上げると、スマホに表示された電話番号を打ち込んだ。
呼び出し音。わたしは胸焼けしそうな気持ちで受話器に耳を押し当てていた。
3度目の呼び出し音で、繋がった。わたしはハッと息を吸い込んだんだけど、その瞬間プツッと切れた。
ツー…… ツー……
(エッ……)
わたしは受話器を耳にあてたまま、おつり口に10円玉が落ちてくる無情な音を聞きながら、しばらく呆然と突っ立っていた。
わたしは受話器を置こうとして、気を取り直した。
もう一度かけてみる。
呼び出し音。
それから
『ナツミ!?』
「サイっ……!」
『ナツミ、さっき出られなくてわるい、この機械まだ使い慣れなくて』
「サイ!」わたしは安堵と腹立ちで涙ぐみそうになった。
『そうだナツミ、今どこにいるんだ!?』
「ええと、じつは、まだアパートの近くなの……」
『そうか。タカコさんに連絡したら来てないって言うから……ナツミの携帯も繋がらないし、どうなってるのかと思った』
「ご、ゴメンね……サイはなんともない?」
『おれの心配はいい!それよりいますぐ川越に向かうんだ。なんでもいいからそこから離れろ!』
「え、どうして――」たずねかけてわたしは思いとどまった。「うん、行く!電車で離れるから。サイは今どこにいるの?」
『おれは――』ガリガリと耳障りな雑音が入って、通話が切れた。
「サイ?もしもし?サイっ!?」
わたしは大急ぎでもう一度電話をかけたけど、サイに繋がらなくなっていた。
念のためデスペランさんとタカコにもかけてみたけど、やっぱりダメだった。
「なんなの」
またもや途方に暮れて、わたしはしばし棒立ち状態だった。
駅のほうに向かおうときびすを返して、わたしは驚いた。
霧に囲まれていた。
10メートル先が見通せないくらい濃い霧が、いつのまにか一面……冷たい湿気の匂いが鼻につく。
「いったいどうなってるのよ……」