35 とても現実的なピンチ
巌津和尚と名乗るお坊さんが訪ねてきた明くる日、わたしは自分がたいへんな危機に陥ってると気付いた。
クレカどころではなくキャッシュカードも使えない。
携帯電話も使えなくなっていた。
銀行残高が差し押さえになった事実は、ご丁寧に銀行から会社宛にかかってきた電話で知らされた。それでスマホも使えなくなっていると気付いた……カード会社かけようとしたらダメだったのだ。サイにもつながらなかった。
「どしたの川上さん?」
窓際のデスクから社長が尋ねた。
「あー……えと、銀行からわたしに電話で、預金についてなにか手違いがあったようで」
「なに、借金トラブル?カード詐欺?」
「いえまさか!借金なんかしてませんし」
「そ」
少なからずうろたえてたわたしはふらりと力なく立ち上がって、コーヒーを注いだ。ミルクと砂糖の封を切る手がおぼつかない。
悪夢のようだ。お昼だけど食欲が失せた。ていうかランチを買うお金がない。
落ち着けわたし。
お財布の中身は千円ちょっと。それとPASMOの残高3,000円ほど……PASMOは今朝使えたので、無効になってないはず。
無効。
誰かが手を回して、わたしの口座や諸々を無効にした?
そんなことあり得る?
おカネがない。
お給料……今日がお給料日だったのだ!
どうしよう。危機感がだんだん膨れ上がってきた。どうしよう。頭が真っ白で何も考えられない。
心ここにあらずのまま仕事を終えて家路についた。
夕方までにいくつか考えは浮かんだけれど、一度もしたことがないことばかりで気が重かった。
1) ママに借りる。
2) ローンを申し込む。
3) 社長に給料前借り……これは無理。入社早々そんな真似は出来ない。
両親にいくらか貸してもらう、というのがいちばん気が楽だけど、心配させるに違いない。だってスクラッチくじが当たって超余裕、ということになってるんだから。
友達のひとりはローンのカードを作ってお小遣いの足しにして、二年で100万円くらいの借金を作った。返済にちょっと苦労してるけどそれでも死にはしない。
アリかも。
街角にはたくさんの会社の看板が掛かってる。
明日は土曜日。事態が変わらなければ、それも考えなきゃ……
途中の道程がモザイクのように切れ切れの記憶しか無い。いつものお店の前に行くたびに買い物しなきゃと思って、それで(あ、おカネがないんだ)と思い直す。
夢遊病みたいにアパートまでたどり着いた。
わたしは相変わらず食欲はなかったけれど、おなかはグーグー言っていたからサイの夕食をかき込んだ。
サイはスープを飲みながらわたしをチラッと見た。
「ン?なに?」
「心配?」
「心配?なにが?」
「昨日の男のこと、心配してるのかなって」
「ああ、うん、そうね。ちょっと心配」
わたしは様子が変だったのだろう。サイに笑って見せた。
「あの人の格好が非現実的で、なんか実感無くて」
「ジダイゲキみたいだった」
「あの、ねえサイ」
「なんだ?」
「サイはしばらくデスペランさんのところに行ったほうが良くない?また怪しい連中に目を付けられてるんだし、無理に対処することは無いと思うんだけど……」
サイはその言葉を反芻しているようだった。
「――うん、それもいいかも。でもナツミをひとりには出来ない」
「狙われてるのはサイだもん。わたしはタカコか伊藤先輩のところに転がり込むよ……明日と、日曜くらい」
「それじゃもう決定かな?あいつの世話になるのは気が引けるが、あの巌津和尚の背後をなにか探ってくれるかもしれない。たしかにいい考えかも」
「ごめん、それじゃあ、用意しようか」
翌朝、サイはスポーツバッグに着替えを詰め、短剣と装備一式も持って出掛けた。デスペランさんに渡されたスマホで連絡は付いていた。(彼のスマホは無事なんだ)とわたしはぼんやり思った。街道沿いでデスペランさんの車に拾ってもらえるという。
わたしは10時になるとバイパスのほうに歩いた。実家に連絡する前に、とりあえずローンの申し込みだけ済ませようと思ったのだ。
ATMみたいな小さな箱に入店するのは気恥ずかしかった。
それから30分後、わたしは絶望感に打ちのめされて家路についた……
審査が通らなかったのだ。