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31  魔法が解けるとき


 もうすぐ六月。


 友達関係で最後にジューンブライドしたのは三年前。郊外のレストラン貸し切りでお洒落な式だった。映画に出てくるような黒人ソウルシンガーが現れたりして。


 溜息。


 サイが例の「魔導律」の話を打ち明けて以来、わたしたちは多少ギクシャクしている。

 ま、わたしがギクシャクする理由なんかないのよ。彼に対する何の権利もないんだからさ……単なる保護者。彼がほかのだれと付き合おうと女の子となにしようと文句言える立場じゃないし……


 「ぷう」わたしはだれもいない事務所の机に突っ伏した。



 そう、一ヶ月でいろいろな変化があったのよ。

 まずわたしは再就職した。

 川越市内の会社に事務員として雇われました。メディアクリエイティブの会社。ウェブサイトのデザイン管理とかペーパーのレイアウトとか、ざっくり言うとそんな仕事だけどわたしは事務。税理士向けの書類をさばいたり社長の旅行の手配したりコーヒーを作ったりするだけ。

 お給料は安いけど10時から5時までのゆるい仕事で残業もない。


 「ただいまー!」

 ドアが開いて、黄色い雨ガッパ姿のヒナさんが現れた。わたしより三歳上、四人いる正社員のひとり。

 「おかえりなさい、コーヒー入れますか?」

 「お願いねー、外寒いわ!雨もやまないし、もう梅雨なんじゃないの?それにしちゃ寒すぎだけど」

 「ですねえ」

 会社は川越駅からほど近い小さな雑居ビルの二階を占めてる。表通りに面した大きな窓に雨風が打ち付けていた。午後二時だけど外は青みがかって暗い。

 帰宅時間までにせめて風が止んでくれるといいのだけど。


 「まったくやんなっちゃう!通販フォームをどうしたいんだか訳が分からないのよね。アマゾンみたいにしてくれってどこら辺のこと言ってんのか」

 勤続一週間が過ぎたけれど、わたしがいちばんやったことと言えばヒナさんの愚痴に付き合うことだろう。



 小江戸川越の一件以来、謎の中国人は一度も現れていない。

 あの事件の翌日、再び訪れたデスペランさんが「おい、落とし前つけに行こうぜ」と言ってサイを連れ出し、さらにその二日後、都内の新華社通信支局が閉鎖された、というニュースが舞い込んだ。

 デスペランさんによれば、もうわたしが迷惑を被る心配は一切ないということだ。奴らが元気を取り戻すのはずいぶん先のことだろう――


 「あの人たち、いったいなにを欲しがってたんですか?」

 「そりゃもちろん〈魔導律(マギュア)〉だろう……チャイニーズも、おれのスポンサーのアメリカもそれが欲しい」

 「そんなの欲しがって手に入るものでしょうか」

 「アメリカの天才くんたちは無理だって薄々気付いてるよ……いまはおれやサイファーがどこから来たのか、という点に着目してると思う。それを探したほうが魔法使いをたくさんリクルートできるからだ」

 「今後わたしやタカコに危険は及ばない?」

 「それはないと保証する。あのリンという女は日本の暴力団を私兵として雇ってた。奴らにはいくら金を積まれても割が合わない仕事だとしっかり、思い知らせたからな……ルールを破ったらなにが起こるか、じゅうぶん理解してくれたものと思う」

 デスペランさんの据わった笑みにたじろぎつつ、わたしはうなずいた。

 

 〈魔導律(マギュア)〉――サイの魔法。わたしのアパートに現れたときはたしか、いわゆるMPゼロの状態だったのだ。


 それを回復する方法は――

 

 わたしは邪念を振り払うように首をブンブンした。

 PCに打ち込みを済ませたわたしは帰り支度を始めた。

 「ヒナさん、それではお先に失礼します」

 「はいお疲れ~」



 わたしは相変わらず激しい雨が降る中、買い物をして家路についた。

 アパートの明かりは灯っていた。サイが帰っている。

 「ただいまー」

 「お帰り」エプロン姿のサイが迎えた。

 

 わたしは台所のテーブルに買い物袋を置いた。

 テーブルも新しく購入したものだ。サイはやっぱり床に座るのは苦手のようだったので、テーブルと背当てのある椅子のセットを買ったのだ。正直言ってわたしも背もたれ付きの椅子は心地よかった。

 テーブルの真ん中には首の長い花瓶にカーネイションがひとさし。わたしは椅子に座って頬杖をつき、鮮やかな花弁をを眺めた。

 

 「学校どうだった?」わたしは台所に向かうサイに話しかけた。

 「ウーン……まだちょっと慣れない」

 デスペランさんが何やら裏工作して、サイは二週間ほどまえから地元の高校に通い始めた。これがもうひとつの大きな変化だ。

 彼がわたしの知らない大勢に――しかも歳の近い男子女子に囲まれることを思うと複雑な心境だけど、甘んじて受け入れるしかあるまい。


 

 いつものように……ふたりでご飯を食べた。

 このひと月あまり、わたしとサイは平穏な生活を送っていた。

 ちょっぴりだけど、親密さを増した……と思う。

 本当の姉弟みたいに、他愛のないことで口げんかしたり、映画の結末に涙してたわたしの肩を抱っこしてくれたり。

 タカコとのことも、実を言えばどうでも良かった。あっちはデスペランさんとイチャイチャしてるみたいだし、わたしも嫌な女になって入り細を探りたくないし。

 

 デザートのプリンを食べていると、サイが改まった様子で言った。

 「ナツミ」

 「うん、なに?」

 「もしもおれが元の世界に戻れるようになったら――」

 「うん」

 「――そうしたら、ナツミも、一緒に来ないか?」

 わたしはスプーンをティーカップのお皿に置くと、言った。

 「……そんなこと出来るの?」

 「おれが〈魔導律〉を完全に取り戻したら、な」

 サイもわたしも〈魔導律〉という言葉を使わないようにしてた……だって話があっちのほうにいっちゃうから。

 

 中国人に脅されたあの日、魔導律を取り戻したサイファーくんが放った言葉……「おれの大事なひとに狼藉を働いた報い」と言い放って躊躇なくリンを消しとばした――


 「大事なひと」というそのひと言をわたしは信じた……すがりついたと言うべきか。何もかも、わたしを助けるためにやったこと。

 わたしの気持ちが報われる日が来たのだろうか?


 「……ちょっと迷っちゃうかな、パパもママもいるしみんなを置いてくなんて」

 サイはうなずいた。

 「難しい申し出なのは承知している」

 「でも……いいよ、着いてく」

 わたしはなにかが決壊したような気持ちで答えていた。

 サイはなぜか、ホッとしたように見えた。

 「もちろん、すぐにという話じゃない……でもおれはいつか戻るから……」

 「うん、分かった」

 「ナツミ」

 サイがテーブルに身を乗り出して、わたしのメガネをそっと外した。

 それから、掌をわたしの頬にそえて

 カラメル味の口づけをした。


 溶けそう。


 口づけを終えて、わたしはサイの顔がまともに見られなくて、そわそわとメガネをかけ直した。

 サイが立ち上がる気配を感じてわたしはキュッと身をすくめた。心臓がバクバクだ。彼の手が肩に添えられ、わたしはその手に自分の手を重ねながら彼を見上げた。

 そしてたずねた。



 「あなただれ?」



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