23 オーバーヒート
「エッ?」
わたしは思わず声を漏らしてしまった。
デスペランさんはわたしに笑顔を向けて頷いた。
「魔王ルシファー。おまえそのものだぞ。魔導律が回復したおまえならここを制覇できるはずだ」
「それでどうするというんだ?」
「どうするっておまえ」デスペランさんは笑った。「パワーが全回復するかもしれないんだぞ?俺なんか比べものにならんパワーが。そうすりゃイグドラシルにもっといい条件で再挑戦出来るだろうが?」
サイファーくんは黙って首を振った。
「因果律の鎖を断ち切りたいだろ?あのふざけた天使どもに操られて魔導傭兵なんて馬鹿げた仕事しなくて済むんだよ?それに、元の姿に戻れるかもしれねえじゃねえか……」
NSA? 魔導律? イグドラシル?
元の姿ってなに!?
それに……それに。
「ルシファー」はわたしが投稿中の小説『わたしと魔王様の秘密のスローライフ』でサイファーくんにつけた偽名だ!ていうか勝手に彼を「魔王ルシファーの生まれ変わり」って設定したんだけどっ!
「ちょっとタイム!」わたしは叫んでいた。
サイファーくんとデスペランさんが同時に振り返った。
「タイムね!お茶にしましょう!デスペランさんはコーヒーでいいかしらっ?」
「あ~……」デスペランさんがポンと膝を叩いた。「いいね、頂きましょう」
それでわたしはドリップパックのコーヒーを三つ用意した。じっくり時間をかけてお湯を注ぎ、いい香りで神経が落ち着くのを待った。
「日本のコーヒーはやたら濃いという話だったが」
デスペランさんはカップを掲げて香りを嗅ぐと、一口すすった。
「いけるね」
「どうも」わたしはお菓子のお椀を置いた。砂糖とミルクを注いでわたしもコーヒーを飲み、ホッと一息ついた。
「なあデスペラン、とりあえずいったん帰れ。泊まるところはあるんだろ?」
「まあな。この辺の不動産は暴落してるから、手頃な物件を買ってNSAカワゴエ支局を開いてる最中だ。おまえもそっちに移っていいんだぜ?」
サイファーくんはその点については考え込んでいるようだ……わたしはミルクコーヒーに目を落とした。
「――どうしてもとなったら世話になるかもしれない……だが俺はここ、ナツミさんのところに飛ばされたんだ。なにか意味があるはずだ」
わたしは密かにホッとした。
「そりゃおまえ――」デスペランさんは言いかけて、わたしの目を憚るように言葉を止めた。
それからサイファーくんの耳に頭を寄せ、何かつぶやいた。
サイファーくんはコーヒーにむせそうになった。
「――よせよそんな話!」
「本当なんだからしょうがなかろう?」デスペランさんはお椀から抹茶のアルフォートを取って封を取り、一口で食べた。
そしてわたしにウインクした。「これ旨いな」
「ああ、なんかあっちのひとって抹茶味好きなんですよね……はは」
「マッチャキットカットは食ったことあるよ。ウォルマートで売ってる」
「そうなんですか~」
なんだかひとりお馬鹿な話を展開してないわたし?
テンパってるかな?
「ごちそうさま」デスペランさんは立ち上がった。
「それじゃひとまず帰るわ。これ」デスペランさんは懐から名刺を取り出して、わたしとサイファーくんに渡した。名刺といっても電話番号以外なにも書いてなかった。
デスペランさんはちょっと頭を傾け、尋ねた。
「おまえこっちに来てどのくらいなんだ?」
「八日だ」
「それじゃスマートフォンはおろか身分証すら持ってないだろ?」
サイファーくんは頷いた。
「終焉の大天使協会の巻物がそれなりに役に立ってるようだが」
「それなりにな、だがそれだけじゃ不便だ。なにか身分証でっち上げられるか掛け合ってみるよ」
「それは助かる」
「なにかあったらこの番号に連絡くれ」
「ああ」
「ナツミさんも、なんでもいい」
「は・ハイ」
わたしたちは外までデスペランさんを見送った。確実に去ってくれるのを見届けたかったからだ。
アパートの駐車スペースにもの凄く大きな車が斜め寄せしていた。真っ黒で白のストライプ……たぶんアメ車だろう。デスペランさんはスマートキィでその外車を開けて颯爽と乗り込んだ。ドアを閉める前に手を振った。
わたしたちは車が角を曲がって見えなくなるまで見送り、家に戻った。
わたしは途方に暮れてて、なんと言えば良いのか分からないでいた。
サイファーくんが先に口を開いた。
「ナツミ、今夜は俺が夕飯を作る」
「え?サイファーくんのお料理?ごちそうしてくれるの?」
「丸一週間記念。御馳走ではないけどね」
たしかに手の込んだ料理ではなかったけれど、オリーブオイルでソテーした鶏の胸肉にクリームとジュースで作ったソース、煮野菜のつけ合わせはどれも凝った味付けで、大変おいしかった。盛り付けもレストラン並の彩りで、ひとによってはインスタにあげてるところだ。
わたしは誰とも分かち合うつもりないけどね!
男性が作ったお夕飯をごちそうになるなんて初めて……それも「記念日」に。
サイファーくんにはひとりで出掛けるに当たって三千円渡してたけど、それで食材を買ってきたのだろう……わたしの胸にほんわかした温かいものが広がった。
昼間の出来事は急転直下すぎて、わたしにはどうすれば良いのか見当も付かなかった。彼のお友達が現れたのは素直に嬉しい。なんだか悪い人ではなさそうだし。
サイファーくんもそのことについては話そうとしなかった。




