19 さらなる混沌
びっくん……本名 尾藤テンイチくんがわれらがサークルブースに接近していた。
わたしたちはその惨劇に声を失った。
びっくんは(自称)ホモだ。
年齢はわたしよりひとつ上、28だ。わたしよりほっそりして、全体的にくねくねしている。大きく左右に張り出した耳をのぞけば、まあ女性的な整った顔立ちであった。パッツパツに切りそろえた前髪をどうにかすればなお良い。
彼は大学OBとか誰かの知り合いというのではない。単に数年前ふらっと出現して以来、わたしたちのサークルに挨拶しに現れる粘着質の常連、というだけ。
伊藤さんが噛みしめた歯のあいだからつぶやいた。
「中ボスを忘れてたわ……」
まあ彼はまるっきり嫌われ者でもない。
ゲイバーとか連れてってくれるので、メンバーの半分くらいにとっては愛されキャラであった。まあゲイのお姉さんは楽しい人たちだ。
でも肝心のびっくんてガチなのかどうか分からないのよね……。わたしもいちどナンパされたし、おっぱい触られたとか「被害」も寄せられてて。
「ぼくレズっ気あるから女の子だーいすき」とか言うし。そういう所があるから伊藤さんやタカコは警戒していた。
「皆さんおひさ~」
しまむらのレディスパンツを着こなしたびっくんが、テノールで挨拶している。サークルにいたメンバーが「びっくんあいかわらずー」とか返していた。
わたしたちも意を決して接近した。
びっくんはすでにサイファーくんにロックオンしていた。
「なになにやだ~!この子だれ夫くん~?」
「サイファーくんです~!ナツミさんの親戚」
あーあ、言われちゃった。
「え~なつみんの甥っ子~?」
びっくんは驚きつつ振り返って、わたしを見た。
「あ~なつみんだ~、伊藤隊長、たかちんもご無沙汰~」
わたしたちは「こんちわ」とかなんとか挨拶した。背後で「たかちん……」とタカコがつぶやいた。
「ねえねえなつみんまじなの~?」
「何がです?」
「この王子様よぉ!」びっくんは地団駄踏みつつ、相変わらず根神先輩の隣に座ってるサイファーくんを指さした。
「カレなつみんの親戚なの~?」
わたしは渋々頷いた。「ま・そうっす」
「駄目じゃんこんなとこ座らせたらさ~!」
笑顔ながらやや非難する調子で、根神先輩に向かって言った。言われた先輩はギョッとしていた。この人は誰であろうと別世界の住人に話しかけられるとギョッとするけど、びっくんの類いに対してはとくに気後れするようだ。
「エッ、な、なんで?」
「だってこれ売ってるんだしい」
びっくんは「これ」を根神先輩のひな壇からつまみ上げた。
……ふつう立体物の展示品には手を触れないのが「オキテ」だ。制作者はたいてい極めて神経質なので、ちょっと粗相でもした日にゃ怒られるのなんの。
しかしまわりの女子が「あっ触っちゃ駄目ですよ……!」と注意してもびっくんは意に介さず。
「これ」ってのは例のつるぺた系フィギュアのこと。
いっけん幼い女の子だけど、ミニスカートの中身が問題なのよね。
つまり、「男の娘」。
根神先輩はおちんちんの付いた股間の「魔改造パーツ」を売っているのだ。
わたしたちは努めて見ないようにしていたのだが……とくに彼の客(全員♂)が2,500円も払ってアレを購入してるとこは。
わずか1.5㎝くらいのパーツがなんでそんなに高いかというと、二個セットで通常版と――ごめん、これ以上説明するのやだ!
とにかく、わたしの見解といたしましては、美少女に男性物件を付け足しただけのやつを愛好してたとしても、その人はホモではない。単に強い刺激を追い求めちゃっただけ。
だから根神先輩もその気はない――と、思いたかった。
なんであんなのを作ったかと言えば、わたしたちにウケると思ったから?
でもわたしたちからすると「半端にすり寄ってくんな!」となる。彼にはそれが分からないのよね……なんだか悲壮な話。
それはともかく手塩にかけた制作物を手掴みされて根神先輩がキレた。
「ちょってめっ触んじゃねーよ!」
恥ずかしくて取り乱してるのと完成品を粗雑に扱われた腹立ちが相まって、根神先輩は素早く立ち上がってびっくんに手を伸ばし、フィギュアを取り返そうとした。だけどびっくんはいい気になってサッと身をかわした。
「もー根神先輩こんなの作っちゃって!」
「いーから元に戻せッつの!」
「そうですよ!やめなさい!」断固とした声が響いた。
「エッ」わたし、びっくん、根神先輩、その他全員がサイファーくんに注目した。
サイファーくんは組んでいた足を下ろしてゆっくり立ち上がった。まっすぐびっくんを見据えている。
「やめてください。さっ、それを返して」
「あらなんか生意気な子じゃん。なつみんどーなってんのよ?」
「え?何が」
「教育なってなくない?年上にこんな態度ってどうよ?」
しかしびっくんはその場の雰囲気を素早く読み取って、持っていたフィギュアをサイファーくんに渡した。渋々とだけど。
「ありがとう。さ……」
サイファーくんはフィギュアを根神先輩にそっと渡した。
「お、わりぃ」
根神先輩は恐縮した様子で受け取っていたが、その眼はサイファーくんの顔をまじまじと見つめている。
心なしか、頬に赤みがさして、見えた。




