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180 天使とお喋り

 

 Aチームの面々が畏るべき事実に絶句していると、シリアスな会話に飽きたユリナがシャロンの膝から降りて、アズラエル伍長の膝に飛び乗った。

 「おニぃたん!」

 「お~よちよち、ユリナちゃんは退屈しちゃいましたか~?」

 ちびちゃんたちはアズラエルお兄さんが大好きだ。天使を名乗るのは伊達じゃない。

 「あ~……俺ちょっと、飲み物注いできますわ」

 「あ、あたしも」

 ブライアンとジョーが神妙な面持ちで立ち上がり、隣室に行ってしまった。


 メイガンがこめかみの髪を梳いて言った。

 「気を取り直して――あの、アズラエルさん?コーヒーをお容れしましょうか?」

 「どうかお構いなく」


 ユリナちゃんがぱたぱたテーブルを半周して、ソファーのわたしの横によじ登った。

 「ユリナはおやつの時間ね?」

 「おやちゅ!」

 わたしはユリナを抱っこして立ち上がり、深刻そうな相談の場から立ち去った。


 育児部屋に行くと、女性士官がちょうどワッフルを配りはじめていた。

 わたしはちびを椅子に座らせておやつの用意を手伝った。ユリナと同じくらいの子は三人。二歳の男の子ひとり。もうひとりはやっと摑まり立ちできるようになった赤ちゃん。

 うちの姪っ子は本場のメイプルシロップにいたく感銘を受けている。ほかほかのワッフルに注がれるとろっとした液体に目を輝かせていた。

 わたしは赤ちゃんに離乳食を食べさせる、という根気のいるお仕事を買って出た。


 そのあとちびちゃんたちをお昼寝させる、というミッションに挑んでいると、天使のアズラエル伍長が戻ってきた。

 「おつかれさま」

 「やあどうも……ビリー、お姉さんの言うことを聞きなさい」膝に飛びついてきた元気な男の子の頭をぐりぐりしながら言った。


 子供たちが窓に面したベッドに寝転がってすやすや寝入ってしまうと、わたしたちはテーブルの椅子に座ってひと息ついた。

 ブライアンたちが早くもアズラエルさんの「お友達」について噂したらしく、女性士官さんは明らかに以前と態度をあらためて、頼んでもいないのにコーヒーを用意してくれた。

 「どうもありがとう」

 「いえ」女性士官さんは盆を抱えてソソッと後ずさりながら言った。「なんなりと」


 わたしはコーヒーをひとくち頂くと、言った。

 「ちびちゃんたちのお世話などさせて、すいませんねえ」

 「子供は好きですよ……というか、この世界に来て、子供たちに救われています。あの子たちを見ていると不思議な気持ちになる……生まれてたった数年というのはどういうものだったか、すっかり忘れていましたからねえ」

 「ああ……長生きですもんね」

 アズラエルさんはうなずいた。

 「おかげで情緒というものをすっかり無くしてしまいましたから……ですが人間に戻ったおかげで永いこと忘れていた感覚が蘇りました」

 「それは……良いことなんですよね?」

 「そうでもないです。ここに来た当初、あなたがたがテレビジョンと呼ぶあの機械から流れてくるニュースを観ていたわたしは、こんなひどい世界は焼き尽くしたほうが良くないか?と自問していました……もし魔導律を保持したままであったらこの地球の苦悩する人々すべてに〈祝福〉を与え、けしからん輩に鉄槌を下していたことでしょう」

 「そっそれはまた過激な……」

 「まあサイファーくんが、そんな機械の戯れ言を真に受けるなと諌めてくれましたが」

 わたしはホッとした。

 「だから、いまは小さな人間たちに癒やされているのです。なんの屈託もなく健やかに育った子供たちの素朴なでひたむきな姿にね……」

 「そうだったんですか……」

 「知ってましたか?この数日間で幼い子供が親に殺された、というのを2度も聞きました。別の国では飢え死にする子供がいるそうです。飢え死に!」

 アズラエルさんがいたたまれない様子で首を振った。わたしは言葉も無かった。

 「ですが……ちょっと興奮してしまいました、失礼」

 「いえ……」

 わたしはコーヒーを飲んで口を湿らせた。

 「それでは、えーと、わたしたち人間はもっと努力しないと……だけどわたしはサイやあなたがたのように利口じゃないから、人類の尊厳とか大きな話は……」

 わたしがおずおず話していると、アズラエルさんは首を振った。

 「そういう大層なお題目はあなたがた人類が平和な世界を目指すためにさんざん振りかざしたようですが、そんな物は個々の人間にはとても受け止められませんよ。そもそも戯言です」

 わたしは途方に暮れた。

 「言い切っちゃいましたね……」

 「よく聞いてください。知的種族のひとつの文化圏が滅亡するとき、ある兆候が必ず現れます。それは個人的な無作法さです。ごく普通の街中での他者に対する非寛容さ、侮蔑、理解しようとする努力の放棄など……」


 わたしはその言葉を聞いて、冷や水を浴びせられたように心臓がキュッとなった。

 分かりみすぎる。

 ネットを駆け巡る言葉の暴力ひとつを取っても……それが文字通り溢れかえってる世の中も、アズラエルさんが言った言葉が当てはまりすぎる……。


 「そうです。かつて凶帝ホスとギルシスがイグドラシル世界を混乱させたときも、ひきがねはそんな個人的な無作法さの連鎖反応だったのでしょう。

 この世界で言うなら「りべらる」と称する方達がむきだしの憎悪と非寛容さを発揮していますが、そもそもあの人たちはよりよい世界を標榜しているようなのですよ……こんな皮肉がまかり通る世界とは、あなたがたの信仰で言うところの地獄そのものではないですか?」

 「外」から来た人の言葉だけに容赦なく突き刺さった。

 ずいぶん前にサイが「この世界は地獄だ」と言ったときは「それはちょっと大げさかな……」くらいのフワッとした印象だったけれど……

 根神や尾藤、あの女子高生、藍澤さんの個人的憎悪の標的だったわたしには、アズラエルさんの言葉は痛いほど実感できた。


 やっぱり、ここは地獄なんだ。


 心がポッキリ折れそう。

 

 「ナツミさん」

 「わたし……どうしたら良いんだろう……」

 「あまり背負いめさるな。あなたはあなたにできることをすればよろしい」

 「でも……」

 アズラエルさんがうなずいた。

 「迷っていらっしゃる。ですがそうして迷う自分を愛してあげなさい。それが知的生物なのです。恐怖や憎悪は動物の心だ。それに支配されてはならない」

 「はい……」


 

 そんな天使との印象的な会話ののち、わたしたちはネヴァダ沙漠に出発する準備を始めた。神器を持つわたしが行かなければなにも始まらないのだ。


 ところでネヴァダってアメリカのどこら辺だっけ?というところから始めた。


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