160 うるおう荒野
「いつまで減らず口叩くんだこの子は!いつも非現実的なことばかり言って、まったく情けない――」
ママの目に涙がにじんでた。
「痛えじゃねーかこのばばあ!テメー暴行で訴えるからな!親子でも手加減ナシだかんなこの――」
サイが根神の襟元を掴んで乱暴に引き立たせた。根神はハッと恐怖の表情を浮かべて凍り付いてた。
わたしはサイが根神を殴るのかと思った……けれど、厳しい目で根神を見て、言った。
「――おまえなんか殴る価値もない。クズめ――」
サイが手荒に突き放すと、根神はまたよろりと尻餅をついた。
「へへ」根神は捨て鉢に笑った。「ハイオレゴミクズです。誰も産んでくれなんて頼んでねーのによー、人生ガシャぜんぶスカ引いてこのザマですよ。あーやってらんねー!」
サイは転がってるカップを拾うと、わたしの肩に手を回した。
「ナツミ、かえろう」
「え?うん……」
「待って!どうすれば息子が助かるのか教えてください!」
「わたしたちのアパートの102号室を訪ねて鮫島という男に事情をぜんぶ話しなさい。それでおおむね解決すると思う」
「無理ゲーだっつったろ……」根神が呟いた。
「なんで無理だって分かるのよ?」
「ナツミ!」
わたしは手を上げてサイを黙らせた。根神がおちゃらけ口調をやめて素に戻りかけてると感じたからだ。
とにかく喋らせろ、とわたしの本能が訴えていたのだ。
「オレら――」根神は地面に目を落としたまま喋り始めた。
「――みんなタマ握られてるんよ。あの野郎、俺の夢に出てきて、オレのハズカシイ過去の秘密ぜんぶ知ってる、バラしてやるって脅してきやがった。たぶん若槻センセもそう」
「夢」という言葉にわたしはハッとして、サイに目配せした。
サイがうなずき返した。
「――だから言いなりになるしかないんよ」根神は自嘲気味に短く笑い捨てた。
「根神、その夢に出てきた人がアメリカで今話題の人だって気付いて、それで心底怯えたの?」
根神が素早くわたしを見上げた。その顔に混じりけなしの狼狽が浮かんでいた。
「え……?なつみん、なんで分かるん?」
「やっぱりそうなの……サイ?」
「ああ、ナツミ。奴が日本人を操っているのだとしたら、問題だな」
「アダム」根神が言った。
「え?」
「アダム・ワイア……あいつそう名乗ったんよ」根神は顔面蒼白だ。いったいどんだけ脅されたのか……
「興味深いお話だった」
わたしたちの背後で声がして、サイが振り返った。
「メイヴ」
メイヴさんが相変わらずの白いローブと魔法の杖のすがたで立っていた。
「いつの間に……」
メイヴさんはなんでもない、というように手を振った。
「邪気を感じたのでね……来てみたの」
根神もママも目を丸くしてメイヴさんを見ていた。
「ほら、いい加減お立ち」
ママに言われて根神がかったるそうに立ち上がった。少なくとも「うるせえ」とは言わなかった。進歩だ。
メイヴさんは涼しい目で根神を見ていた。
「彼、取り込まれかけてたわね」
「取り込む?」サイが言った
メイヴさんがうなずいた。
「アメリカのミスターX――アダム・ワイアが機械の傀儡だというのはデスペランに聞いたけど、それだけでは説明できない力を彼は発揮している」
サイがゆっくりうなずいた。
「どこから〈魔導律〉を体得したか、だな?おまえやデスペランから〈魔導律〉を分け与えられた誰かが裏切ったとしても……」
「それは無いと思う」
「すると、ハイパワーの〈後帝〉が……?」
メイヴさんは首を振った。
「ハイパワーは〈魔導律〉を失って、そののちに自前のテクノロジーを発達させて魔法じみた力を手に入れたのよ。だけど夢に介入するというのは彼らには無理。ほかの何者かがアダムに力を与えているのでしょう」
「それは極めて由々しきことだ……新たな敵がいるということになる」
メイヴさんが根神に顎をしゃくった。
「彼に祝福を与えて邪気の源を辿ってみようと思う」
「それは……危険じゃないか?」
「やってみるしかない」
メイヴさんは根神を手招きした。
「あ?なんスか?」
「君の心を蝕んでいる棘をできるだけ取り除いてあげたいと思うの……ちょっとじっとしててちょうだいな」
「は?意味分かんねーけど……」いつもの軽薄さを取り戻しかけたけれど、まわりの厳しい視線に突き刺されて黙った。
メイヴさんは目を閉じてなにか呪文を呟き始めた。
掲げた杖の先端に、暖かい緑色の光が宿りはじめた。
根神はその光を胡散臭げに見上げた。長年厨二病をこじらせた人間らしく、なにに対しても疑り深いのだろう。
その光が強まると、根神は催眠にかかったように呆けた顔で眺め続けていた。
光がひときわ強まって「バシン!」という鋭い破裂音とともに消え去った。
「ああ……」
メイヴさんがよろめいて、サイが慌てて背中を抱えた。
「メイヴ!」
メイヴさんが弱々しく微笑んだ。
「大丈夫」
「ね~、いったいなんなのよ手品それで終わり――」言いかけて、根神は頭を抱えて膝を付いた。「熱い!頭が熱いムズムズして熱いィー!!」
「コウちゃん!?」
ママが根神に駆け寄った。
「コウちゃん!」メイヴさんを見上げた。「あんたこの子になにをしたんです!?」
「アタマが――アレ?」根神がハッと顔を上げた。頭部をしきりに手探りしてた。「あれ?なんで――」
ママが息子を見おろして息を呑んだ。
「コウちゃん、髪が……」
根神がママを見た。
「髪が生えてきた……!」
わたしはぬるくなってしまったカフェオレの残りを飲み干した。
なんなのこの展開。




