151 ヤケ酒
サイの言葉を聞いたわたしはその場で凝固した。
柱越しでよく分からないけど、サイが鮫島さんに詰め寄ってる、そう見えた。
「僕は……」鮫島さんが躊躇いがちに返答しはじめた。
「僕は……ああそうだ!ナツミさんに惚れている!」
わたしは耳をダンボにしてたから、その衝撃的な告白を一言も漏らさず聞いてしまった。一時保留してた記憶がいっぺんに蘇って、わたしは息を呑んだ。
(そーだわたし……記憶がこんがらがってるあいだに鮫島さんとかなーり親密になっちゃったんだっけ!?)
「そうか……」サイがため息交じりに言ってる。「本気なんだな?」
「本気だ」
「わたしとナツミも親密なのは承知しているな?」
「そんなこと分かっているが、あなたもナツミさんも同性愛者ではないと僕は思ってる。間違いだったか?」
「単純に割り切れる問題ではないのだ」
「サイファー、あなたが過去にティーンエイジャーの男だったというのは知っている。だけどいまのあなたが本来の姿だとも聞いた。じっさい夏からあなたはずっと女のままじゃないか?」
「それはそうだが」
「あなたがナツミさんをとても大事してるのは僕だって分かってる!しかし――」
サイが警告するように指を立てて、鮫島さんが口をつぐんだ。
「時間が欲しい」
「あなたの事情ばかり汲み取るわけにはいかないぞ。ナツミさんの気持ちも考えなけりゃ」
「分かってる……」
話し合いが終了しそうな成りゆきになったのでわたしは慌てた。
(ここから逃げないと!)
物陰からそっと後ずさり、非常階段まで後退した……不意になにか柔らかい物体にどんとぶつかって、わたしは振り返った。
天草さんが驚愕の表情でわたしを見ていた。
「――――っ!」
思わず叫びかけたわたしの口を天草さんが手で塞いだ。
もの凄い形相でガン見されて、わたしはうなずいた。それからふたりでサイと鮫島さんのほうを覗いながら、一緒に非常口まで退却した。
階段の踊り場まで降りて、天草さんはやっと口を塞ぐのをやめた。
「ぶはっ」
「ご、ごめんなさい」
「いいけど……逃げないと」
わたしたちはそそくさと階段の残りを降りて、最上階フロアの廊下に戻った。
ですぴーとアルファはいなくなってる。
わたしは超気まずいまま天草さんと並んで、行き場所を見出せずにいた。
「え~……あの」わたしは言った。「天草さん、ここに居るとアレだから、下に降りようか……」
「外に出るんですか?お勧めしかねますけど」
「いえ、外じゃなくて――」
「あーら珍しい!いらっしゃーい」
わたしたちは同じマンション、社長宅を電撃訪問してしまった。
「よかった!ちょうど暇だったからねえ……」
社長はわたしと天草さんを見比べてちょいと首をかしげたけれど、言った。
「まあ入りなさいよ」
「お邪魔しま~す」
社長に案内されて窓際のリビングに通された。
「紅茶かコーヒー?」
「いえ、お構いなく」
「なによう、せっかく来たのに。とことん付き合ってもらうからね、だいたいあんたたち二日も無断欠勤してるんだし」
「ちゃんと断りました」天草さんが言った。
社長は肩をすくめた。
「まーどうせ昨日の午後から会社は休止中だけどさ、本川越であんな騒ぎだから」
「このタワーマンションもハイパワーに攻撃されてましたもんね……」
「ホントよ!わたしゃ会社の窓からアレを為す術もなく眺めるしかなくてさ~、マジびびったわ」アッハッハッと笑った。
「――でもサイファーたちが頑張ってくれたんでしょ?おかげで路頭に迷わずに済んだわ~」
「とりあえず無事でなによりです」
「そうよ、座って座って!」
結局社長の飲みに付き合わされることとなった。
しばらく社長の問答に答え続けたけれど、天草さんが変な様子なのは気付いたようだ。
「なに?天草さん」
「え?べつに……」
「べつにって、沢尻エリカかよ」
「誰ですか?それ」
「――っていうかさっきからダンマリじゃないよ」
「あの、ほっといてください」
社長は強いお酒が入ったカットグラスを傾けるあいだ、涼しい表情だった。
わたしはかなり神妙な顔で、グラスの影に隠れてちびちび飲んでた。
天草さんもわりといけるクチらしく、グラスをぐいっと傾けてる。
「つまり鮫島君がナツミさんに恋してて天草さんも鮫島君に恋心抱いてたわけだ」
天草さんがブーと噴いて咳き込んだ。
「なっなんで……!」
「カマかけただけ」社長は余裕の笑みでふんぞり返った。「図星」
さすが年の功、と言わざるを得ない。
天草さんが急に顔をしかめて、涙がポロリと一粒、頬を流れ落ちた。
「天草さん……」
わたしは恐る恐る彼女の手に手を伸ばした。
はね除けられはしなかった。
「わたし……」天草さんは手の付け根で涙を拭った。「さ・鮫島さんに、告白したの……だけど、9歳年下はちょっと……って言われて……」
(ああ……)
わたしは立場上、言ってあげられる言葉がなかった。
「失恋、しましたか……」
社長は静かな笑みで言った。「じゃ、呑もう」
社長は天草さんのグラスにお酒をつぎ足した。
「もー!ズルいと思いません?なんで川上さんだけモテモテなんですかぁ!」
「ったくね!あたしだってですぴーにアプローチかけてんのにさ!あん畜生!天草さんさ、あんたサイファーが男の子だった頃見たことある?もんのすごい美少年だったんだよ?なんで陰キャのオタ女に惚れてんのかあたしゃ理解不能だったわよ!」
「ひっどーい!陰キャのオタってわたしのことっすかぁ?」
「けどサイファーくん女になっちゃったしねえ!どーすんのさナツミさん?」
「もー分かりませんよぉ!」わたしも泣いた。
「それじゃ迷走中のナツミさんの恋路にカンパーイ!」
「べーだ!わたし同情しませんからね?だって川上さんは、川上さんは鮫島さんがいるじゃない!」
「そいや、鮫島さんて何歳?」
「31ですってよ!よく考えてみると、たしかにおじさん過ぎでしたっ!」
「へーっ!天草22歳かよ!なんだまだ小娘じゃん!いいよねえピチピチギャルは!あたしなんか――」
――以下記憶消失――
スマホが鳴ってたのでわたしは目を覚ました。
「あーはいはい、なんでしゅ?」
『ナツミ?まだマンションにいるよな?』
「いますよ~ん」わたしは面白い冗談を言った気がしてクスクス笑った。
『――酔っ払ってるのか?』
「ン~?べつに、酔ってナイ……」
『その様子じゃ帰って来られそうもないな。どこにいるんだ?』
「しゃちょーん家でじょしかいやってます……」
『しょうがないな、迎えに行くから、動くなよ?』
「まってまぁーす」




