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142 記憶の散策


 わたしは慎重に立ち上がった。


 やっぱり体はなんともない。転移した癌がすべて消えてしまったように……


 鮫島さんがダウンジャケットをわたしの肩にまわしてくれた。男の人に上着を着る手伝いをしてもらうなんて初めて……彼はさっきからとても親切そうだった。

 知らない男が家の中に侵入してたらもっと取り乱しても良さそうなものだけど、夢と割り切っているせいかなぜか、不思議と警戒感が沸かない。

 「出掛けるんですか?」

 「え?まあ、そうです」


 鮫島さんが入り口から靴を二足持ってきて、「さ、行きましょう」と言って洗面所のほうに行ってしまった。

 わたしは当惑しつつ従った……

 洗面台の脇を通り過ぎるときにわたしは鏡に映る自分を見て、そのまま凝視した。

 メガネ無し。

 若い。

思わず両頬に手を当てて鏡に向かうわたしを、鮫島さんはドアの前で辛抱強く待っていた。

 ――って、ドア?

 なんで突き当たりにもう一枚ドアがある!?向こうは隣部屋なのに……

 だけどそのドアの向こうには、砂浜が広がっていた。

 

 やっぱまだ夢だ。わたしは軽く失望した。


 失望はしたけれど、素敵な夢だ。

 不思議な色の空に海、椰子の林……空には極彩色の蜃気楼が浮かんでいた。

 (わたし、ここを知ってる!)

 ついさっき見てた夢に出てきた場所だ。

 記憶のとおり林の中に丸太のコテージが建っていた。わたしは思わずそちらに走った。

 とつぜん駆け出したわたしを鮫島さんと黒猫が追いかけてきた。


 (ここって……)

 わたしはドアのない南国風コテージに上がり込んだ。

 ベッドもタンスもテーブルも記憶のままだ。

 そして、二枚の写真立てもあった。レッドダイヤモンドのペンダントも。

 七支刀の包みさえあった。

 「ここ、わたしが住んでたみたい……」

 「ええ、サイファーとあなたのスイートですよ。僕もここには来たばかりだから詳しくは知りませんが」

 「わたしと、サイファーの……?」


 サイファーって誰なの?あの写真の男の子?


 「ナツミさん、行きましょう」

 わたしは鮫島さんが差しだした手に手を添えて階段を降りて、物思いにふけりながら従った。

 彼はわたしの手を握ったまま、わたしたちは並んで歩いた。わたしがまたどっかに駆け出さないよう掴んでいるのかな……


 100メートルくらい歩くと、砂浜になんの変哲もないドアが立っていた。

 鮫島さんがそのドアを開けると、また別世界だった。


 雪。

 雪がしんしんと舞い落ちて、5センチくらい積もってる、静謐な世界。

 見渡すかぎり白い……山間部?

 わたしは途方に暮れて雪の世界に足を踏み入れた。


 背後の低い絶壁からして山頂部だろうか。

 その絶壁に寄り添うように、家らしきものが建っていた。

 岩肌に半分埋まったような一軒家だった。

 どこまでが室内でどこからが外なのか境界が曖昧な、張り出し屋根と縁側を備えてる。家の手前は庭園風の斜面で、くねくね曲がった石段が通されていた。超モダンな農家という風情だった。

 ガラス戸の奥は暖かい金色の光が満ちている。

 張り出し屋根の下で外人の女性ふたりがディレクターチェアに座って焚火を囲んでいた。


 「サイファー、メイヴさん!」

 鮫島さんが呼びかけると、背の高い赤毛の女性が立ち上がった。

 「鮫島、ナツミ、どうかしたのか?」

 わたしたちは石段を上がってふたりの女性のそばにたどり着いた。

 「ナツミさんが……どうも記憶が」

 超ゴージャスな赤毛の女性がわたしの肩に手をかけて、心配そうに覗き込んだ。

 「ナツミ、どうした?」

 わたしはまた当惑した。

 サイファーって、あの写真の男の子じゃないの?彼はどこにいるんだろう?

 もうひとり、金髪でまるっきり魔法使いふう衣装の女性が言った。

 「サイファー、ナツミは邪と戦ったようだわ」

 「よこしま?」

 金髪の女性は哀しげな笑みを浮かべてわたしの頬に手を当てた。

 「ナツミ、可哀相に……ひとりで戦ったのね。さ、寒いからこっちにいらっしゃい」

 

 わたしたちは小さな家の中に通された。

 いっけん暖房器具も見当たらないのに暖かかった。


 「記憶喪失だって?」

 メイヴさんは首を振った。

 「正確に言えば、夢の中で別の人生を延々体験させられたのだと思う。あなたと出会わなかった人生を」

 「ナツミ……いまは何年だと思ってる……?」

 わたしが答えると、鮫島さんがショックを受けたように眼を見開いた。

 「15年も!?」

 「そうよ……15年を、毎日毎日克明に経験させられたの。それでナツミはその人生が現実だと認識してしまった」

 「えっ?ちょっと待ってくださいよ、わたしの人生が……あれがすべて夢だったと言うんですか!?」

 妹のふたりめの子供も、タカコの結婚後の性も、わたしは覚えている。

 膵臓癌のことも克明に覚えてる。

 3年も同棲した彼のことも……

 それがぜんぶ、夢?


 「そう考えるのは辛いでしょうね……どんな人生であってもあなたのものだもの。それにあなたはこれを」彼女は両手で自分を示した。「現実逃避的な夢の延長だと疑っているでしょう?辛い経験をし過ぎてなにも確信できなくなってるわね?」

 「当たり前ですよ!だってすべてが非現実的だし」わたしは金髪の女性や山の上の家やどこでもドアすべてを差すように手を振った。「都合よく28才に戻ったなんて信じられませんよ……」

 赤毛の大柄な女性が忌々しげに言った。

 「どうすれば元に戻るんだ!?そもそもどこの誰がそんなことをナツミに仕掛けた!?」

 「記憶が戻れば良いのだけれど、軽い暗示で記憶障害になってるわけじゃないわ」

 鮫島さんが言った。

 「やはり〈ハイパワー〉の仕業でしょうか?」

 「たぶんな」


 赤毛のゴージャスな美女がどうもこの場の中心人物のようだ。

 サイファー。

 すると、写真のあの男の子は誰なのだろう?

 なんだかもどかしい……それを知ることがとても大事なことのように思えるんだけれど、なぜか漠然とした不安も覚える。


 「ナツミ、今夜はここに泊まれ。ここはメイヴの結界の中だ。誰にも手出しできない」


 わたしは途方に暮れたままうなずいた。

 

 この人たちはわたしの知り合いなの?


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